「地域振興は夜明け前だ!」 上田市の産学連携の拠点 ARECを立ち上げから支える 岡田 基幸さん信大的人物

(一財)浅間リサーチエクステンションセンター(AREC) 専務理事 岡田 基幸さん

 一般財団法人浅間リサーチエクステンションセンター(AREC・エーレック)は、繊維学部のある上田キャンパス内に拠点を構える、産学官・地域連携をコーディネートする団体だ。会員企業と大学などとの連携を進めるほか、レンタルラボの貸し出しや会員企業相互の交流をベースに、各種事業のマッチングなども行っている。
 信州大学繊維学部卒で、大学院工学系研究科博士後期課程修了の岡田基幸さんが、このARECの専務理事を務める。繊維学部の特任教授や、内閣府が選ぶ「地域活性化伝道師」なども兼務し、日本中を飛び回って活躍する多忙な人だ。「ヒト・モノ・カネが十分でなくても、地域にいるキーパーソン達の理念、覚悟、執念で地域は変わる事を証明してみせる」を理念に、様々な活動を行っている。

(文・奥田 悠史)

・・・・・ 信州大学広報誌「信大NOW」第90号(2014.11.28発行)より


Profile

(一財)浅間リサーチエクステンションセンター(AREC) 専務理事 岡田 基幸さん

(一財)浅間リサーチエクステンションセンター(AREC) 専務理事 岡田 基幸さん

1971年大阪市生まれ。1999年に信州大学大学院工学系研究科博士後期課程を修了。博士課程に在学中から上田市役所に入庁。
現在は、ARECの専務理事や繊維学部特任教授を務める。主な受賞には、第1回イノベーションコーディネータ大賞 文部科学大臣賞などがあり、個人・団体で多数の賞を受賞している。

地域振興「夜明け前」

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会員企業の技術展示会

「夜明け前は、一番暗いですよね。しかし、太陽が昇るとたちまち空は明るくなる。地域振興はまさに、いま、その夜明け前だと思っています」と岡田さんは語る。
 上田地域はもちろんのこと、日本の各地で、現在、地域を活性化させようという動きが盛んだ。その地域で暮らし続けてきた人が「地域を元気に」とパワーアップして活動している例もあれば、若い世代がIターン、Uターンで地域に入り、都会と地域の架け橋になるような取り組みを始めている例もある。
 岡田さんが目指すのは、これらの取り組みを結合した新たな形。「Iターン・Uターンの若い世代と、地元で生きてきたちょっと上の世代が協働することで、“地域の壁”を突破する力が育ってきているように思います。その中でも、上田市の盛り上がりは一番だと思っています」と胸を張る。岡田さんは、産学連携や農商工連携という地域内での協力体制を推進していく事で、地域産業が活性化すると考え、ARECを拠点にして、企業や地域と共同して多くの連携を作り出してきた。その中で、様々な新事業や新商品を生み出した。
 例えば、その中の身近なものの一つに、野菜カット工場と信州大学などの連携で商品化した食品「玉ねぎの皮」がある。近年、スーパーなどで良く目にするようになったが、東信地域の食品事業者が産業廃棄物として処分していた大量の玉葱の皮を、食品材料として有効活用する道を拓いたユニークなものだ。
 「地域には、まだまだ面白い物が眠っています。それを掘り起こしていくことで、地域は盛り上がっていくと考えています。それは、モノだけではありません。ヒトも同じです。地域の人と人を繋げる事で化学反応が起きて、新しい取り組みが始まります」と岡田さんは語る。

若い世代と上の世代を繋ぐキーパーソンに

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ものづくり教育事業でペットボトルロケットづくり

岡田さんは、すでに、約20年近くに渡り、上田という街で地域づくりの活動を続けてきた。
 大学院在学中に上田市役所へ入庁し、様々な仕事を担った。企業誘致における企業との交渉や関係諸方面との調整、地域の祭りの実行委員・・・多種多様な領域で、多くの人と巡り会った。2002年からARECの立ち上げを牽引することで、さらに一回り大きく強い人の繋がりを作った。
 まさに、岡田さん自身が、若い世代と企業経営者など「その上の世代」を、繋ぎ、結びつけることに尽力してきたのだ。そして、それを一つのきっかけにして、上田の街を活性化させ、盛り上げる若者の機運が広がってきたのである。
 今や、海を渡り世界に広がりはじめた子供たちに手袋を贈る「軍手ィ」の取り組み、上田の若者が集う「Hanalab.」の取り組み・・・どれをとっても、若者のチャレンジを大切にし、企業経営者などの応援体制を築き上げるために、黒子のように駆け回り尽力してきたのが岡田さんなのだ。
 「私なんて全然大した事ないですよ」と謙遜するが、岡田さんの存在なくして、上田の現在の地域振興は語れないと言っても過言ではないだろう。
 岡田さんのこうした活動は、多くの人に認められ、JANBO Awards 2004新事業創出支援賞(個人)や第3回モノづくり連携大賞特別賞(AREC)など数々の賞を受賞している。他薦によるものが多いが、ARECとして自薦でノミネートしているものもいくつかある。「立ち上げの時は、誰だって無名です。素晴らしいことをやっていても、人に知ってもらわなくてはなりません。そのためにも賞を頂くというのは一つの手段だと思います」と言う。
 このような「関心の集め方」に長けたところがあるのも大きな特徴だと言えよう。

研究者から行政マンへ

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博士前期課程2年時にスイスのダボススキー場へ

岡田さんは、もともとは、「博士号を取って研究者になりたい」と考えていた。だが、大学院博士課程1年目の秋に上田市役所の試験を受けた。
 「博士課程までいって、自分に研究センスがないことに気付きまして」と笑う。学会に出たり、人の研究論文を読んだりしていると、自信を無くすことも度々だったそうだ。
 その上、修士課程までは支給を受けていた奨学金が、博士課程では審査に落ちてしまい貰えなくなってしまった。母子家庭で仕送りをもらうことも頼みづらく、バイトに注力するのなら、なんのために博士課程まで来たのか分からなくなる。どうしようかと、悩んでいたその時に、偶然手にした上田市の広報誌を、いつもは全く読みもしないのに、その時に限ってパラパラと眺めていると、上田市の総合計画と「創造・活力・ときめきの街~学術研究の都市を目指す~」というフレーズが、岡田さんの目に飛び込んできたのだった。
 「学術研究の都市を目指すということなら、信大との連携を中心に進めていくだろう」と考えた。「これなら、自分が出来る事があるかもしない、と考えました」と岡田さんは話す。
 博士課程1年目の10月に試験を受けて、見事に合格。上田市役所商工観光部商工課に配属された。
 研究室を辞めるつもりで、大学4年生の頃から教えを受けていた繊維学部の担当教員に相談したところ「こっぴどく怒られました」。しかし、担当教員からある提案を受けた。「せっかく博士課程まできたのだから、平日の夜や土日に大学院に通って研究を続けたらどうだ」というものだ。
 辞めるつもりだったから驚いたが、市役所の部長に相談した。「博士号を取れるなら行った方がいいだろう。やってみろ」。
 こう背中を押されて、大学院での研究を続ける事を決意。平日の昼間は市役所に勤務、夜と土日は大学院で研究という生活が始まった。「大変だったけれど、周りの人に助けられました。ありがたかったですね」と当時を振り返る。

研究という経験を生かして

 こうした経験をしている岡田さんだからこそ、今の博士後期課程の人やポストドクターの人には伝えたい事がある。「専門研究といっても、大学4年生から修士課程、博士課程と約6年位です。その6年間で人生を決めてしまうのは、少し早いように思います。研究のプロセスで経験することは、研究職にならなくても、それ以外でも必ず役に立ちます。だから色々な可能性を探った方が良いですね」と岡田さんは語る。研究者は、研究テーマをリサーチし、テーマを決める。そして研究の手順や方法、協力体制などを構想し計画を作る。そして、それを、日本学術研究会の科学研究費助成事業(科研費)などに申請して、研究費を獲得しなければならない。研究が始まれば始まったで、視野を広く持ち、粘り強くテーマを追い続けて、研究成果としてまとめ上げ、学会に報告したり、マスコミにリリースしたりもしなければならない。
 このような一連のプロセスを行う能力は、「他の経歴の人は経験していないことだ」と強調する。「私自身も、研究の経験があったからこそ、様々な産学連携を進められたと思っています。是非、大学での研究という枠の外に飛び出して行く道も検討してほしい」とエールを送る。

50年後も尊敬される日本へ

 「海外に行くと、日本や日本人が尊敬されていることがよくわかります。しかし、このままいくと10年、20年後はどうなっているか分かりません。だから僕は50年後も尊敬される日本を創造していきたいのです。産業振興、産学連携、農商工連携という分野で地域らしさ、日本らしさを追求していくことが重要だと考えています」と岡田さんは目標を熱く語る。
 岡田さんの好きな言葉に、「神髄は真似できず」という言葉がある。
 例えば、外国のホテルに泊まると、必ず、1つか2つは電球が切れている。しかし、日本のビジネスホテルでは、そうしたことはあり得ない。それが日本的なサービスの素晴らしさだ。外国から視察に来て、建物やシステムを真似する事が出来ても、アフターケアや心遣いまでは真似することが出来ない。それが、「神髄は真似できず」ということだ。
 日本が世界に誇れるものを伸ばしていくことがグローバル化への近道だと岡田さんは考える。そして、「世界に誇れるものは、先ほど話した電球のことのように、自分たちが住む地域にも必ずあるのと思うのです。だからこそ、地域の企業と大学、そして行政が連携を強めて地域の良さをとことん突き詰めて考え、日本にしか出来ないイノベーションをこの地域から起こしてみたい。それは必ず世界につながるはずなのです」。
 上田のARECを拠点に全国・全世界にネットワークを拡げ始めた岡田さん。その根底には、自分を育ててくれた街を、この地域を、今度は自分が守り、育てたいという熱い思いが溢れている。

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