信州大学・自然科学研究のルーツを紐解く 「矢澤ノート」の新発見と「信濃博物学」信大的人物

偉大なる先駆的研究者矢澤米三郎氏の情熱と功績

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(写真:諏訪市博物館所蔵)

 自然科学は本学を代表する研究分野のひとつ。北、南、中央といった日本アルプスを望む信州の豊かな自然環境は同研究の絶好のフィールドであり、自然科学研究はまさに本学の“お家芸”と言えますが、その黎明期に活躍された先駆けたる研究者の存在が昨年度からの調査でわかってきました。本学前身校のひとつ、長野県松本女子師範学校の初代校長であり、旧制松本高等学校の講師も務めた矢澤米三郎(※1)氏です。
 これまで矢澤氏の業績については、まとまった調査が行われてきませんでしたが、今回、本学の大学史資料センター、附属図書館、自然科学館の連携により、新発見の野帳“矢澤ノート”(※2)と、なんと明治時代に発行されていた貴重な科学雑誌「信濃博物学雑誌」の研究が進み、そこから研究者・教育者、矢澤氏の功績の一端が見えてきました。まさに、信州大学の自然科学研究の原点となる、史実再発見の記録です。(文・佐々木 政史)
(※1)やざわ こめさぶろう、よねさぶろうと2説あり (※2)調査時点での仮称

・・・・・ 信州大学広報誌「信大NOW」第135号(2022.9.30発行)より

ライチョウのはく製標本など自然科学館の展示物に名が

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松本女子師範学校(写真は大正初期)

 信州大学は前身校の設立から数えて優に百年を超える歴史を有しています。その歴史に関する資料の体系的な収集・整理・保存・公開・展示等を担う組織が「信州大学大学史資料センター」です。昨年10月に学術研究院(理学系)の東城幸治教授がセンター長に就任したことをきっかけに、信州大学の自然科学研究史に関する企画展示にも力を入れています。充実したコレクションを持つ「自然科学館」の収蔵物について、文理融合の観点から研究を深めることで、コレクションの価値が高まると考えています。
 同センターが10月28日から開催する企画展示に注目が集まっています。本学前身校のひとつである松本女子師範学校の初代校長を務め、自然科学の研究者でもあった「矢澤米三郎」の業績に光を当てるものです。
 矢澤氏は自然科学館収蔵のライチョウ標本の採集者などにその名を見ることはできますが、大学史資料センターの福島正樹特任教授によると「実は、これまでまとまった研究はされてこなかった」と言います。本学の歴史において、“ 知っているようで知られていない人物”であったというわけです。こうしたことから、今回の企画展示の構想が持ち上がったことをきっかけに、福島特任教授は矢澤氏についての研究を開始。これまであまり知られてこなかった業績や人となりが明らかになってきました。

日本初、県単位で博物学雑誌信州の自然科学研究の礎築く

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信州大学大学史資料センター
福島 正樹 特任教授
長野県立歴史館の開館準備から学芸員として資料の保存、展示等に携わる。2017年より現職。本学の歴史に関わる資料の収集・保存及び学芸員養成課程を担当。専門は日本前近代史、博物館学、アーカイブズ学。

 矢澤氏の業績のひとつが、信州の自然科学研究の礎を築き、大きく発展させたことです。
 1902年に「信濃博物学会」を結成、なんと500人以上が集まる大規模な学会で、信州の自然科学研究発展の機運を高めました。
 さらに、自然科学研究誌の「信濃博物学雑誌」の創刊に中心的に携わっています。これは信州全域の自然科学研究者から原稿を集めて編纂したもので、府県の規模でまとめられた自然科学研究の雑誌は当時としてはとても珍しいものであったようです。東京府(当時)でも同様に地域から広く原稿を集めた自然科学雑誌が発行されましたが1936年のことで、「信濃博物学雑誌」発刊から30年以上後のことになります。「とても先見の明があったと言えるのではないでしょうか」と福島特任教授は話します。
 「信濃博物学雑誌」は不定期で発行され、1913年に廃刊するまで39号を発行しています。だいたい10人から20人程度が寄稿し、矢澤氏の教え子である田中貢一氏が主に編纂に携わりました。挿絵が多いことが大きな特徴のひとつで、活き活きとしたタッチで描きこまれており、読むものの目を楽しませてくれます。矢澤氏も執筆陣の一人に名を連ねており、昆虫や植物などについての概説的な記事も書いています。
 ちなみに、「信濃博物学雑誌」という誌名からも窺い知れるように、矢澤氏が研究者として活躍していた時代、自然科学系の学問は「博物学」と呼ばれていました。今では、自然科学系の学問は生物学や地学などの専門分野に分かれていますが、当時は分かれておらず、広く自然科学を扱う学問として博物学があったのです。博物学は研究領域が広いため、当時の博物学研究者は様々なことに関心を持つ好奇心と視野の広さを持っていたと思われます。中でも矢澤氏は信州の博物学研究の先駆けと言えるだけに、「特に好奇心の塊だったのではないか」と福島特任教授は想像します。

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「信濃博物学雑誌」表紙

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掛軸:美術品とも呼べる日本画、ライチョウの精密画(自然科学館所蔵)

研究や人となりを知るノート あらゆることを細かにメモ

 今回、福島特任教授による調査で、諏訪市博物館の収蔵物から自筆のメモ「矢澤ノート」が新たに発見され、これまで知られてこなかった矢澤氏の側面が見えてきました。
 まずこのノートを見て驚くのは、紙面の端から端までびっしりとメモの文字で埋められていることで、福島特任教授は「今の言葉でいうところの“メモ魔”であったのではないか」と語ります。
 矢澤氏は日常的に様々なことをメモしていたようですが、特に記述が多いのはやはり専門の高山の動植物などの自然科学研究に関することです。同級生の河野齢蔵氏らと乗鞍、白馬、八ヶ岳などで植物・動物の高山学術研究を行い、多くの新種を発見していますが、例えば1921年に朝香宮鳩彦王ご一行と立山縦走をした際にセッケイカワゲラ類の新属・新種(ハネナシカワゲラ)を発見した時の様子をノートに見つけることができます。また、福島特任教授は、この記述の近くに多くの氏名がメモされていることにも注目します。この氏名は立山縦走に同行した歩荷(ぼっか)や新聞記者のもので、自然だけでなく人に対してもその好奇心が向けられていたことが分かります。
 矢澤ノートには教育に関する記述も多くみられます。矢澤氏は講師を招いて講演会を頻繁に開催していましたが、その内容を紙面いっぱいに記したメモから熱心な教育者としての側面を窺い知ることができます。一方で、講演者の口癖を似顔絵付きで面白く書き記した記述もあり、遊び心を持った人であったようです。
 今回、矢澤ノートの発見に至ったきっかけは福島特任教授の“筋読み”でした。「自然科学館に収蔵されている矢澤氏採集のライチョウ標本を見て、きっと自然科学研究に関するノートをつけているはず」と考えたと言います。年譜などを頼りに矢澤氏の遍歴をたどり、その所在を調べたところ、最終的には諏訪市の自宅に持ち帰ったのではないかと予想。諏訪市博物館に問い合わせたところ、見事に的中し矢澤ノートの発見に至りました。
 ただ、諏訪市博物館に収蔵されていたノートは1919年から1925年頃に書かれた5冊程度で、福島特任教授は「まだ一部に過ぎない、当然もっとあるはず」と話します。ノートは矢澤米三郎氏の自然科学研究や教育者としての側面、人となりなどを知るうえで重要な資料であり、まだ発見されていないノートの発見に期待が高まります。

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矢澤ノート:立山縦走記、赤石縦走記など、アルプスを縦走した際のメンバー、登山ルートや生息する動物、高山植物などが詳細に記録されている。山岳関係の記述以外にも、肺や腸の病気を解説した医学系のメモなどがあり、あまりある好奇心と洞察力が窺える。(諏訪市博物館所蔵)

実践的な自然科学研究 DNAと情熱は脈々と今に

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大学史資料センター学芸員の坂元さんと田中さん

 こうして信州の自然科学研究の功績と、新たに発見された「矢澤ノート」を見てみると、矢澤氏は改めて明治・大正時代の自然科学研究のマイスターであることが分かりま。信州大学に縁のある偉人と言えば、信州大学の前身である長野県師範学校の教諭でありのちに県歌となった唱歌「信濃の国」の作詞者である浅井洌が有名ですが、矢澤氏は同氏と並ぶ信州大学の礎を築いた人物であると言えそうです。
 それは自然科学研究の発展だけでなく、実践からの学びを重視する信州教育の発展に寄与したという観点からも言えます。長野県では、長野高等女学校の初代校長である渡邊敏が学校登山を通じた実践的な学習の流れを築きました。矢澤氏はその影響を受けて山岳フィールドワークを通じた実践的な自然科学研究を行い、その研究手法を多くの後輩に伝えました。現在の信州大学の自然科学研究は、矢澤氏をはじめとした長野県師範学校時代の学究の偉大な業績の流れを汲むものであり、そのDNAと情熱は脈々と今に受け継がれていると言えるでしょう。

E V E N T

大学史資料センターで10月に矢澤米三郎の企画展を開催
ライチョウや高山植物などの標本を展示

10月28日(金)から12月27日(火)まで、中央図書館展示コーナーで、大学史資料センターと自然科学館の主催で、「明治・大正期 信濃博物学の夜明けと長野県師範学校―矢澤米三郎とライチョウ標本を中心に―」が開催されます。自然科学館所蔵のライチョウ標本・高山植物標本を展示するとともに、その標本を収集・保存した矢澤米三郎と河野齢蔵の活動を代表的著作物とともに紹介します。また、明治大正期に活躍した、その他の県内博物学者を紹介し、彼らのなかに師範学校出身者が多くいたことを示します。

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