信州から世界へ羽ばたいた音楽家 林イグネル小百合さん信大的人物

映画「午前0時、キスしに来てよ※ 」の音楽を担当するなど、音楽家として活躍する林イグネル小百合さんは、信州大学教育学部の出身です。在学中の北欧旅行が縁で、卒業後、スウェーデンに音楽留学。2013年に同国に拠点を移し、小中一貫校で音楽教師をしながら創作活動を始めました。翌年、坂本龍一氏がゲストディレクターを務める「札幌国際芸術祭2014」の都市空間のサウンド・コンペティションで金賞を受賞、その後の創作活動を続ける転機になったとのことです。14〜16年にはノーベル博物館がノーベル賞の授賞式に合わせて開く特別展に音楽作品を出品。近年は、日本の映画、テレビドラマ、CMの音楽をはじめ、空間音楽、パフォーマンスアート、舞台作品など、国境やジャンルを超えて活躍の場を広げています。そんな林イグネル小百合さんに、信大時代の思い出や現在の創作活動について話を伺いました。
※主演・橋本環奈、片寄涼太。2019年全国公開、配給・松竹

・・・・・ AERAムック「国公立大学 by AERA 2022(株式会社朝日新聞出版発行)のインタビューの全文を掲載しています。

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YouTubeで北欧暮らしのチャンネルを運営中。来年はBIWAKOビエンナーレにも参加予定だ。「現在3歳の娘がいるので家族との時間を共有しながら、形態にとらわれず一つひとつ、作品を作り続けていきたいと思っています。」

SAYURI HAYASHI EGNELL
福井県永平寺町生まれ。3歳からクラシックピアノを始める。2010年、信州大学教育学部学校教育教員養成課程芸術教育 専攻音楽教育分野卒業。映画、CMなどの音楽作品多数。映像や空間美術など他ジャンルと融合した音楽に定評がある。ストックホルム在住。

1;ご出身の福井県永平寺町でどんな子ども時代を過ごし、将来の夢は何であったのかお聞かせください

今もですが、昔から好奇⼼旺盛な⼦どもでした。⾃然が身近にあったので、下校中に川でカニを探したり、⽥んぼにはまったりした記憶もあります。読書感想⽂や⼯作など、作ることや表現することが得意でした。好きなことがたくさんあったので、将来の夢をひとつだけ書かなければいけない項⽬や、選ばなければいけない事は苦⼿でした。

2;ピアノを始めたきっかけ、またピアノを学ぶ環境はどのようなものであったのかを教えてください

ピアノ講師である⺟の影響で3歳の頃からクラシックピアノを始めました。夏休みは毎年ピアノのコンクールに出場しており、⺟と他県へ遠征に⾏くこともよくありました。練習の合間にプールや外で遊ぶことも好きで、舞台ではひとり⽇焼けしたドレス姿で演奏して⽬⽴ったこともあったそうです。10歳の頃、叔⽗の仕事に便乗して家族でアメリカへ旅⾏に⾏くことになり、当時シカゴに移住したばかりの友⼈家族のお宅にホームステイして、海外でピアノレッスンを受けました。ニューヨークやロサンゼルスなどにも⾏ったのですが、⾶⾏機⾃体も楽しく、街歩きやスーパーでの買い物なども、とにかく毎⽇の全てが新鮮だったようで、その時の感動が残る絵⽇記を、⼤⼈になって⾒返して笑っています。男性が客室乗務員だった!とか、お⾁が⼤きすぎてご飯をナイフとフォークで⻝べた!⽇本語を話す⼈がいた!とか可愛らしい感じです(笑)。幼い頃に違う国や世界を垣間⾒れたこと、新しい価値観を知るきっかけをくれた両親に感謝しています。実家がヤマハ音楽教室なのでピアノの隣にエレクトーンがあり、ポップスやジャズに興味を持ち始めた頃は、1⼈でエレクトーンで⾳を変えて遊んだりもしていました。楽譜にイラストを描いたり、バッハの曲をアレンジしてみたり。ずっと同じピアノの先⽣に習っていたのですが、どのような演奏でもまず肯定してくれる先⽣で、「さゆりちゃんらしい⾳になってきたわね。と⾔ってくれるのが褒め⾔葉でした。

3;中学、⾼校時代にがんばったこと、関⼼のあったことを教えてください

中学校に⼊ると吹奏楽部でトランペットを演奏しました。部⻑になったので、スコアを⾒て指揮をする機会があったり、楽器パート毎に違うフレーズの練習をしたり、この頃にそれぞれの楽器の特徴を学び、⾳を組み合わせることにも興味を持ち始めた気がします。図書館の本もたくさん読みましたし、映画も好きでした。

4;信州⼤学に進学した経緯を教えてください

ピアノ⾃体を極めたいというより、⾳楽がどのように社会に関わっているか、⼈の感情に影響を与えるか、みたいなことにふわっと興味を持っていました。作曲も学びたいと話していたこともあったのですが、⾼校は進学校の普通科に通っていたので、センター試験を受けて⾃分の学⼒で⼊学でき、予算的にも国公⽴⼤学、⾳楽が学べるところ。進路については、⺟と毎晩のように話し合ったと思います。実は第⼀志望は他⼤学の新しくできたばかりの学科だったので、確か過去問が1年分くらいしかなく、⾳楽史や理論などの本を⾃分で借りて、部屋にこもって独学しました。塾にも通わせてもらっていましたが、⼤学受験のための勉強は本当に⼤変で、”楽しい”と思うことではなかったので、今思えばこの期間の独学は、⻝べるのも忘れるくらい没頭していたので、楽しかったんだと思います。信州⼤学(教育学部 芸術専攻⾳楽教育学科)を選んだのは本当に偶然ですね。⾳楽科で後期募集があるところを当時担任の先⽣がいくつか提案してくれ、受験することになりました。ご縁だったのだと思います。

5;北欧の⾳楽との出会いを教えてください

実は、北欧の⾳楽に衝撃を受けた!というわけではなく、アーティストもスウェーデンといったらABBA?くらいの知識でした。⼤学時代にフィンランドの⾳楽教育を研究テーマにしている同級生がいて、その子が持っていたフィンランドの⾳楽の教科書を初めて⾒たとき、衝撃を受けました。かっこいい曲!という(笑)。途中で変拍⼦になったり、転調したり、楽譜⾃体は難しいのですが、デザインや挿絵も⼦どもっぽくなくおしゃれで。こんなかっこいい⾳楽を⼦どもの頃から歌ってるのか、と興味を持ちました。当時ジャズに興味があり、コードを使った⾳楽教科書の提案、みたいなのをテーマに研究しようかなぁと思っていたところだったので、⽇本の⾳楽の教科書に出てくる楽曲を⽐較すると、コードやリズムの複雑さが全く違いました。その後、北欧でも特にスウェーデンは、当時だとバックストリートボーイズ、ブリトニースピアーズ、ジャスティンビーバー、レディガガ等、洋楽ヒット曲を⽣み出しているプロデューサーの出身国だとなんとなく知って。フィンランドの⾳楽教育に関しては既に⽂献があったのですが、スウェーデンという国については⽇本語での情報がほぼないので、漠然と⾯⽩そうだなと思いました。

6;4年⽣のときにスウェーデンを訪問されたそうですが、そのときの思い出、エピソードをお聞かせください

スウェーデンとデンマークに1⼈旅がてら、卒業研究のヒントにもなるかなと、事前にインターネットで学校を調べて、翻訳機能を使いながらアポイントを取り、航空券など⾃分で⼿配して⾏きました。その時訪れたひとつの⾳楽学校で、1曲弾いてみてといわれ、当時好きだったカプースチンという、クラシックとジャズが融合したマッチョな曲を演奏したのですが、その後に先⽣が、よかったら来年から来る?と声をかけてくれました。当時スウェーデンの学費は無料だったので(今はEU圏外は有料だと思います)、⽇本に帰ってから親と相談しました。今思えばその時に、今後の⾳楽との関わり⽅や進路を迷っていたことが、演奏にも出ていたのだと思います。

7;学生時代、進路についてはどのようにお考えでしたか?

英語の授業も取っていたので、確か4年⽣の最後に授業が重複してしまって逃したのですが、あと美術史さえ取れば美術の教員免許も取得できるほど、2年間で絵画・彫刻・⼯芸・デザインの単位を取得しました。作ることが好きだったので、美術はものすごく楽しかったです。毎学期、なぜか時間割がオーバーするくらい複数の授業を詰め込んでプランして、申請しに⾏っていました。進路説明会みたいなのにも参加しましたが、新卒の仕組みや⾃⼰アピールの書き⽅等に違和感を感じ、就活は⾏わなかったです。教育学部では多くの学生が採⽤試験のための勉強を始めるのですが、スウェーデンのことを調べたり、英語を独学し始めたりしていました。

8;サークル、学園祭、寮⽣活、アルバイト、旅⾏、授業、ゼミなど、在学中に⾳楽以外で思い出に残っていることがありましたらお教えください

バーでピアノを弾いたり、出張ピアノ講師をしたり、イベントコンパニオンをしたり、レストランのスタッフをしたり、授業の後はアルバイトばかりしていました。お⾦を貯めて、在学中に友⼈とヨーロッパ旅⾏に⾏きました。⾃分達でその場で宿泊先やプランを⽴て、格安の当⽇券を⾒つけてパリのオペラ座に⾏ったり、⽇帰りでベルギーの⽥舎町に⾏ってみたり。貧乏旅⾏だったので基本的にはユースホステルで、昼は毎⽇⼿作りサンドイッチ、宿泊先で⾃炊したりと思い出深い旅です。在学中サークルの友⼈達と、⾞数台を乗せてフェリーで北海道へ⾏ったり、バンドを組んでライブ活動したのも良い思い出です。

9;信州⼤学を選択してよかったと思うことは何ですか?

他の⼤学を通っていないので⽐較できませんが、⽴地が最⾼だと思います。1年⽬は松本市、2年⽬以降は長野市なのですが、毎朝、善光寺さんの⾨が通学路でした。⼤学時代は⾃由な時間があるので、⾃然が近いとキャンプとか温泉とかも気軽に⾏けますし、もちろん個⼈差はありますが、都会に住むよりも、物より経験にお⾦を使う機会が増えるかもしれませんね。授業の合間に友⼈と善光寺の仲⾒世通りを散歩したりも、よくしていました。1年⽬だけ全8学部が同じキャンパスということで、最初に他学部の友⼈が増えたことと、北海道から沖縄まで全国各地出身の学⽣と出会えたので、⾯⽩かったです。雪を⼀度も⾒たことがない!という⼦がいたり、⽅⾔も様々で、国内ですが異⽂化交流のようでした(笑)。

10;卒業後、スウェーデンに⾳楽留学されたんですね

⼤学卒業時の進路状況表みたいなので、”就職””教員””進学”欄があるのですが、”その他1名と記載された欄があり、その1名でした(笑)。進学のはずなのですが、合格通知書類のようなものがなく提出できなかったので、その他になってしまったみたいです。その時も不安は少しありましたが、ワクワクのほうが⼤きかったです。スウェーデンに来た当初、英語でなんとか⽣きていけるだろうと⽢い考えだったのですが、実際は先⽣も⽣徒もスウェーデン⼈なので⽇常会話はスウェーデン語のみ。スウェーデンは世界的にみても英語が最も流暢な国なのですが、ピアノレッスンだけ英語で、それ以外はスウェーデン語でした。授業はまだしも、寮⽣活はスウェーデン⼈⾳楽家20人ほどとシェア⽣活だったので、最初は⽇々葛藤でしたね。あまり覚えていませんが、なるべく共⽤キッチンに座って、⾔葉を聞き取ってメモしたり、課題を教えあったり、、と毎⽇脳をフル回転していました。友⼈には恵まれていて、⼀⽣懸命さが伝わったのか皆助けてくれたし、⾳楽を通してコミュニケーションをとることができたのでラッキーでした。それまで⽇本では、割と⾃分で選択し、⾃⼰解決する傾向があったのですが、移住後は⾔語や⽂化が分からず絶対に⼀⼈では太⼑打ちできないような状況になることも多く、”教えてほしい、⼿伝ってほしい”と、ちゃんとできないことを認め、周りにヘルプを求められるようになったのは、その後の⼈⽣に生きる最も⼤切な経験だったと思います。初⽇から、コンサートのためのアンサンブルチームを作りましょうと、声楽の⼦と組んで伴奏をすることになり、その後もソロ演奏や室内楽、地元のオーケストラ団体とピアノ協奏曲を演奏する機会を頂いたり、⽉に1回は何かしらの舞台で演奏することが多かったです。理論の授業はジャズの⼦たちと受けていて、そのころ即興演奏や、電⼦楽器に興味を持つようになりました。在学1年⽬の最終⽇に名誉学⽣として選ばれ、奨学⾦を頂きました。頑張っていればちゃんと⾒てくれている⼈がいるということを実感し、すごくうれしかったです。

11;2013年に活動拠点をスウェーデンに移したということですが、決断の決め⼿は?

(留学後に東京で契約社員として本当に短期間だけ働いたのですが、⽇本での社会経験がなかったので、⼥性はヒールを履くとか、就業時間など⼩さなことにも違和感を感じることがありまして、)⾃分に合った労働環境を⾒つけることと、今後のスキルアップを考え、数ヶ⽉後にスウェーデンに⾏き、仕事を探しました。ストックホルムの⼩中⼀貫校の⾯接を受けて働けるようになったので、移住後すぐから約4年間、⾳楽教師として働きました。スウェーデンは移⺠⼤国なのですが、特にその学校は移⺠2世の⼦どもが多く、教師としても学ばせてもらうことの⽅が多い⽇々でした。同時に⾃分で会社を作り、⾳楽やパフォーマンスアートなどの創作活動するようになりました。

12;転機となった作品、思い出深い仕事をお教えください

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ノーベル平和賞部門の音楽作品をノーベル博物館に特別展示。前夜祭では博物館で生演奏を行った(2015年)

どの作品も、本当に思い出深いですが、札幌国際芸術祭2014で坂本⿓⼀さんに⾦賞を頂いたことが、作曲を続けていきたいと思ったターニングポイントです。ストックホルムの森で⾃然⾳をレコーディングし、電⼦⾳と組み合わせて作曲した、ほぼ初めての⾳作品で、ずっと憧れていたアーティストに作品が好きだと⾔ってもらえたことは、⾃信とその後の創作意欲に繋がりました。ノーベル平和賞のための⾳楽制作は、⾃分の様々な創作のキーワードが”境界線”と気づく作品になりました。当時働いていた⼩中学校は移⺠2世の⼦ども達が多く、休み時間は何⾔語も⾶び交うのが⽇常だったのですが、受賞されたマララさんの国連スピーチの⾔葉を、⼦どもたちの声でレコーディングし、多⾔語で表現しました。コンセプトは既にあってそれを⾳で解釈するというプロジェクトがすごく楽しかったし、歴史あるノーベル博物館に⾳が展示されて、世界中の⼈に聴いていただけたのも光栄でした。

13;今後の予定、⽬標、これからチャレンジしてみたいことがありましたらお聞かせください

2019年末からYouTubeで北欧暮らしのチャンネルを運営しており、毎⽇、⾳楽と映像を作っています。創作活動⾃体も楽しいですが、特に2020年、⼈と会えない時間が増え、作品を通して⼈と繋がることができること、オンライン上で伝え合うことの楽しさと重要性を感じています。様々な分野やクリエイターさんともコラボしていきたいです。今年はスウェーデンの⾳楽制作会社ともプロジェクト契約しており、これから様々な⾳楽が配信される予定です。また、過去も参加させて頂いているBIWAKOビエンナーレ芸術祭に、サウンドアートやインスタレーションを来年出品する予定です。現在3歳の娘がいるので家族との時間を共有しながら、形態にとらわれずひとつひとつ、作品を作り続けきたいと思っています。

14;最後に、信州⼤学をめざす⾼校⽣、受験⽣にメッセージをお願いします

正直、知識を得ること⾃体はネットにいくらでも情報があふれており、今から未来は特に⼤抵のことは独学でクリアできる場合が多いと思います。ただ、実際の体験談を⼈から聞くことや、⾔葉で表現できないような思いや体験をすること、たくさんの価値観に触れることで、⾃分がどういった考えをもっている⼈間なのか、何が好きでどんなことで怒るのかなど、フラットに⼈と付き合える⼤学⽣活では、多くの気づきがあると思います。⾃分が情熱を注げることに夢中になってみること、⾃分の中に違和感を感じた時は無視しないこと。どんな⼈も物も場所も多⾯性があるので、迷いながらも、⾃分の⼼が⼼地よいと思える瞬間を増やしていくこと、⼈との出会いや感動や情熱を増やすことができれば、⼤学⽣活をより充実して過ごすことができるのではと思います。

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