神長 幹雄 氏(人文学部卒)信大的人物

元「山と溪谷」編集長 神長 幹雄氏

元「山と溪谷」編集長 神長 幹雄氏

 噴煙から逃げ惑う人々の絶叫、そこに倒れた犠牲者の痛ましい姿、そして一人でも多くの人を救い出すために地獄絵図のような現場で繰り広げられた救助活動...こうした記憶がまだ生々しく残っていた2014年12月上旬に、山岳図書の「山と溪谷社」から一冊の新書サイズの本が出版された。
 「ドキュメント 御嶽山大噴火」。
 2014年9月27日の噴火からわずか2カ月の間に、噴火と救助の状況を克明に記録し、生還した登山者7人の証言を中心に、信州大学で山岳科学を専門にする3人の研究者による緊急レポート、救助にあたった自衛隊・警察・消防・医療・山小屋関係者5人の報告、被災者の今後のメンタル・ケアに関する専門家の意見などを集め、全方位的な視点から「戦後最大の噴火災害」にフォーカスした力作だ。
 この新書を企画編集したのが信州大学OBの神長幹雄さん。「信州の山で起こった歴史的災害の記録と分析のために、母校信大なら力を借りられると考えた」と話す神長さんに、今回の出版にかけた想いと、そこに脈打つ〝信大で体得したこと〟について聞いた。

 
(文・毛賀澤 明宏)
・・・・・ 信州大学広報誌「信大NOW」第91号(2015.1.30発行)より

Profile

(株)山と溪谷社 元「山と溪谷」編集長 神長 幹雄 氏
神長幹雄氏

1950年東京都生まれ。1975年信州大学人文学部卒業。在学中に2年間休学してアメリカへ。
出版社・山と溪谷社に入社後は、雑誌「山と溪谷」、同「skier」などの編集部を経て、1994年11月から98年11月まで「山と溪谷」編集長。その後は、同社出版部に所属し、「垂直の記憶」「『アルプ』の時代」などの山岳図書を多数編集。著書に「運命の雪稜」など。日本山岳会会員。

山と信大の繋がりを活かし、現場の証言を

「ドキュメント御嶽山大噴火」山と溪谷社編

2014年12月15日発行
「ドキュメント御嶽山大噴火」山と溪谷社編(ヤマケイ新書)

 「山岳図書出版専門の当社としては、今回の災害を詳細に記録し、多角的に分析して教訓化する責務があると考えました。しかし、メディアスクラムという壁がある。これに与せず、現場の生の証言や専門家の緊急報告を集めるために、山岳関係と、信大関係の人の繋がりを活かす必要があったのです」と神長さん。
 「メディアスクラム」とは、社会的に関心の高い大事故・大事件などで、マスメディアが大挙して押し寄せ、時として強引な取材を行う集団的過剰取材のこと。対象になった人は、取材を避けるようになることも多く、有力な情報の独占のために取材対象者の囲い込みもしばしば行われる。誰から何を聞き出し、いかにして生起している事態の全体像を浮かび上がらせるかは編集 者の腕の見せ所だ。
 「ドキュメント御嶽山大噴火」には、山頂付近で被災し生還した山岳ガイドの小川さゆりさんや、ライター兼カメラマンの垣外富士男さん、山岳写真家の津野祐次さんなど、山と溪谷社らしい〝山繋がり〟の人々が多く証言を寄せている。しかし、それと並んで、噴火現場に居合わせた信州大学山岳科学研究所の朝日克彦助教や、「信州大学研究室からの知見」として専門報告を寄せている三宅康幸教授(理学系)、平松晋也教授(農学系)、鈴木啓助教授(理学系)など信州大学の研究者も多く名を連ねているのも特徴だ。医療関係者なども信大の人脈を通して依頼したという。
 「今回の書籍では、①山岳におけるリスク管理の重要性、②登山者の自己責任の課題、③被災時には自分の身を守ることで精一杯なのだという冷厳な現実、そして④救助に当たった方々の並々ならぬ努力―を浮き彫りにできたと思っています。山岳と信大の繋がりがあったからこそ、短い期間で発刊にたどり着けたのです」と話す。

世界の山と辺境を巡る山岳図書の編集者

素顔の日本百名山

 御嶽山の噴火災害をめぐっては、写真集の緊急出版はあるが、生還者の証言や専門家の調査レポートなどを集めた書籍の出版は、同書「ドキュメント御嶽山大噴火」が初めて。それをこの短期間で実現できたのは、「かつて、雑誌『山と溪谷』誌で毎号、特集記事を発信してきた経験によるところが大きい」と神長さんは考えている。
 雑誌編集部に所属していたのは入社した後の約23年間。その最後の4年間は編集長も務めた。「発生した事態に対して、問題意識を定め、切り込む視点をいくつか決め、体制を整備してチームで取材に行く―特集づくりの基本です。そこで培った力を発揮して今回の書籍はできたと思います。問題意識・構想力・機動力・チーム力がカギを握っています」と話す。
 もともと旅と山歩きが好きで、山と溪谷社にも「skier」という雑誌の記者の募集を見て入社した。当時は「登山はほとんど初心者同然」だったそうだが、「山と溪谷」誌の記者として特集づくりに励むうちに、「山の世界」でめぐり会った「人の繋がり」に楽しさを感じた。雑誌編集部から出版部に移っても、その思いはますます強くなったそうだ。
 そんな歩みに併せて、次第に自身で登る山も多くなり、モン・ブラン、アイガー東山稜、ピッツ・ベルニナ、アルタイ山脈ベルーハ、中国キレン山脈主峰、マッキンリー、マッターホルンなど、世界の山々に挑むようになった。「辺境」も好きで、ネパール、インドなどのヒマラヤ山麓、パタゴニア、アラスカなどの北極圏も訪ねた。
 そこで、著名な登山家や冒険家の生き様を見て、また、自分自身も〝死と隣り合わせ〟の世界を垣間見て、今回の書籍「ドキュメント御嶽山大噴火」で浮き彫りにしたかった、登山におけるリスク管理や自己責任の覚悟を共感してきたのだそうだ。

「ああ青春」を謳歌し、経済原論を学んだ信大生時代

 信州大学人文学部在学中は、「まさか雑誌の編集者になるとは思ってもみなかった」そうだ。東京生まれの東京育ち。若者が安価に各地を旅して見聞を広げることをサポートするユースホステルの運動が盛んな時代で、高校時代から旅行好き。大学に入ってからも、空手部に籍を置きながら旅を続け、2年間休学してアメリカに渡り、働きながら各地を訪ねた。つまり「あまり大学生をしていなかった」そうだ。「アメリカに2年間いて、帰国したら、大学の同期の友人たちは卒業して誰もいない。けれど空手部の後輩たちが残っていて、あれこれ付き合ってくれて寂しくなかった。空手部に入っておいてよかったぁとその時思いましたよ」と屈託なく笑う。
 当時人文学部で経済学の教鞭をとっていた故玉田美治教授(後に経済学部教授、1980年逝去)から学んだ経済原論は後々、編集者としての視点を支える基盤になったという。特に、マルクス経済学の独特な理論で世界的に著名な故宇野弘蔵東大教授が唱え、その愛弟子の一人である玉田教授が説いた「現状分析」の視点に興味を持った。
 「現状分析」とは、当時の資本主義経済の現状を、資本主義の発展形態の一つとしての「国家独占資本主義」としてとらえるという方法論で、「目の前の現象を、それを決定づけている本質からとらえ返すというものの見方が、その後も大いに役に立った」と神長さんは話す。
 もう一つ信大時代に得た財産は、「人との出会い方、結びつき方」。在学当時、人文学部はあがたの森(旧制松本高等学校)にあり、学生寮の思誠寮などもあって、バンカラでどこからか寮歌「ああ青春」や同じく「春寂寥」の高歌放吟(こうかほうぎん)が聞こえてくるような状況だったという。人と出会い、腹を割って話し、心と心を通わして学び合う校風。それは、編集者となった今でも大切にしているものだという。
 「『ああ青春』を胸に歌い、“現状分析”の理論を持って、世界に出て行ったら、山頂と辺境でとても興味深い人たちとめぐり会うことができたということですね。格好良くまとめればね(笑)」…破天荒さの中に人を惹きつける魅力があり、その魅力が編集長としても発揮されたからこそ、戦後最大の噴火災害の教訓を後世に引き継ぐ〝時代を記したノンフィクション〟が驚異的な期間で発行できたのだろうと感じた。

忘れられない編集者としての思い出

「山と渓谷」誌と神長幹雄氏

 思い出に残るのは、1996年1月号に、当時編集長を務めていた「山と溪谷」誌の特集「素顔の日本百名山」に、皇太子殿下が「山と私」と題するご本人の文章を寄せて下さったこと。まさか書下ろし原稿を下さるとは思っていなかったので、別のところでお書きになった原稿を使わせていただければ…と思っていたのです。だから驚くと同時に、とても恐縮・緊張しました。この号は、他にもヒマラヤの雪崩による大量遭難事故の速報もあり、盛りだくさんでした。
 取材させていただいた登山家や冒険家にも忘れられない方が多いですね。「世界のウエムラ」と言われた冒険家の植村直己さん、天性のリーダーとして登山界を牽引し続けた小西政継さん、世界初のアルプス三大北壁冬季単独登頂を果たした長谷川恒男さん、8000メートル峰14座完登が目前だった山田昇さん、そしてアラスカで活躍していた写真家の星野道夫さん、……皆さん、忘れられない方たちです。こうした直接、お会いしてお話させていただいた登山家や冒険家の方たちも、すでに70人以上が山で亡くなられてしまいました。

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