信大同窓生の流儀 chapter.04 山岳ユーティリティ(登山・山岳ガイド) 塩谷 晃司(しおがい こうじ)さん信大的人物

山が好き、その一心で歩んできたこれまでと、これから 山に学び、山と生きる。

 志を持っていきいきと活躍する信大同窓生を描くシリーズ第4弾、今回は、登山ガイドとして働く塩谷晃司さんをご紹介します。小学生の頃から山が大好きだったという塩谷さん、信州大学人文学部在学中は憧れの信州大学山岳会に所属。在学時と卒業後、なんと2度にわたってヒマラヤ遠征を経験しました。現在、登山ガイドや歩荷(重い荷物を背負って山の上に運ぶ仕事)、山岳救助や地質・植生調査などの山に関わる幅広い仕事を請け負いながら、年間300日も山に入る生活を続けています。「山が好き」という自分の気持ちにまっすぐに行動し、人生を切り拓いてきた塩谷さんに、山に懸ける思いを聞きました。(文・平尾 なつ樹)

・・・・・ 信州大学広報誌「信大NOW」第143号(2024.1.31発行)より

信州大学山岳会に憧れて高校から松本へ移住

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 「幼い頃から山が大好きだった」という塩谷晃司さん。出身地である神奈川県にいる頃から、両親と一緒にいろんな山に登ってきたそうです。そんな塩谷さんが信州大学山岳会に入りたいと思ったのは、早くも中学生の時。山岳雑誌「山と渓谷」に掲載された、信州大学山岳会のヒマラヤ遠征(信州大学創立60周年事業として実施)の記事を目にしたことがきっかけでした。

 信州大学への進学を見据えて、塩谷さんのお姉さんの信州大学入学を機に、信州の山に登るため、ゆくゆくは信州大学山岳会に入るために、松本市内の高校へと入学。その3年後に、無事信州大学人文学部に入学します。中学3年生にして、自分の進路を決定し、それを実現させた塩谷さんの行動力と意思の強さに驚かされるエピソードです。

塩谷 晃司さん PROFILE

1994年、群馬県高崎市生まれ。小学生の頃からさまざまな山に登り、高校入学のタイミングで松本市へ移住。信州大学人文学部を卒業後は、山小屋勤務やヒマラヤ遠征を経て、現在は登山ガイド、歩荷、地質・植生調査、山岳救助など、山にまつわるさまざまな仕事を請け負う山岳ユーティリティとして活動中。

2度のヒマラヤ遠征で味わった悔しさと成功

 念願かなって信州大学山岳会に入った後は、先輩らから、それまで以上に本格的な登山技術を教わり、沢登りや雪山登攀など、より難易度の高い登山に挑むようになった塩谷さん。「クライミング技術を身につけることによって、登山道から解放され、行ける道が増えたのは大きな喜びでした」と話します。

 そして、2015年と2019年には、ついに自身もヒマラヤ遠征に挑戦。1度目の遠征では、「先輩である花谷泰広さん(登山家・信州大学山岳会OB)に引っ張ってもらいましたが、自分にとって山は『自ら判断して切り拓いていくもの』と思っているので、そのような登り方では満足できず、悔しい思いをしました」と、当時の心境を明かします。そのため、すでに信州大学創立70周年事業として計画されていた2019年のヒマラヤ遠征に参加して、雪辱を果たすことを心に誓ったといいます。

 しかし、2019年はそのまま卒業して一般企業に就職していれば社会人2年目の年。企業に就職すれば、2か月間を要するヒマラヤ遠征に参加するのが難しくなると判断した塩谷さんは、一般企業への新卒就職の道は捨てて共にヒマラヤに登った花谷さんが運営する山小屋(南アルプス甲斐駒ヶ岳にある七丈小屋)で働くことに決めます。「同級生が就職する中、不安もありましたが、この機会を逃すわけにはいかないと思いました」と、どこまでも山への思いに一直線な塩谷さん。そして、満を持して挑戦した2019年のヒマラヤ遠征では、ヒムルン・ヒマール(7,126メートル)登頂を成功させ、山頂で信州大学の大学旗を掲げました。ただ100%満足しているわけでなく、「リスクを考慮して歩くことのできなかった稜線があるので、またヒマラヤへ行く機会を持ちたいですね」と、再び挑戦する意欲をのぞかせます。

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2019年4月~5月、信州大学学士山岳会が信州大学70周年記念遠征としてヒマラヤ・ヒムジュンに挑戦した際の写真。当時衛星を通じて大学へ写真が送られ話題になった。大学旗を持つ左の男性が塩谷さん。

仕事として山に関わるようになって、山を見る時の解像度が上がった

 ヒマラヤ遠征後は、一般企業への就職も一度は考えたといいますが、やはり「山が好き」という思いを諦めたくないとの思いから、現在の道を選択。「山岳ユーティリティ」として、北アルプスを中心とした登山ガイドや歩荷、地質調査、山岳救助など、山にまつわるさまざまな仕事を請け負いながら、1年のうちのほとんどを山で過ごす生活をしています。そんな現在の生活について塩谷さんは「仕事として山に関わるようになって、山を見る時の解像度が上がったと感じます」と話します。山の歴史や、地質・鉱物などを学ぶにつれ、山を多様な角度から見られるようになり、自分自身が山を楽しむ視野が広がったそうです。同じ山でも気象条件等は登るたびに異なるため「毎回学びがあって、もっともっと知りたいと思うんです」と、探究意欲は尽きません。

 毎年8月に、北アルプス南部遭難防止常駐隊員として北アルプスの涸沢で常駐する山岳救助の現場では、救助隊の行動が登山者の生死を分かつこともあります。登山者を助けられた時には大きな達成感を得られる一方で、「人の死に触れたときには、山に登ることのリスクを感じると共に、絶対に自分は山で命を落としてはいけないということを再認識します」と引き締まった表情で話します。

 さらに、こうした仕事の場以外でも、現役の信州大学山岳会の合宿に、監督として参加するなど、卒業後も後輩のサポートに力を注いでいます。「山岳会時代の経験によって今の自分があると感じるので、あまり口を出し過ぎずに『自分で道を切り拓く』という経験をたくさん積んでほしいと思っています」と、その思いを語ります。

 今後について尋ねると、「登山者として経験を積み重ねながら、幅広い仕事を受けることで、自分ができることをさらに広げていきたい」と、まっすぐな瞳で話してくれました。

 自らの「山が好き」という気持ちに向き合い、大切に育てながらここまで歩みを進めてきた塩谷さん。いち登山家として、山岳ユーティリティとして、さらなる高みを目指して、その挑戦は続きます。

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北アルプスを中心に登山を行う。山岳ガイドでは登山者のアテンドもあるが、沢登りも得意とのこと。

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現役学生で構成する信州大学山岳会の拠点、山岳会館。信州大学70周年記念事業の一環で卒業生たちの寄附で新築された。中には手入れも行き届いた登山用具がびっしり。

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