総力特集・人文学部【座談会】卒業生作家と現役学生・教員のトークセッション特別レポート

今なぜ、私たちには 「人文学」が必要なのか

AIの急速な進化、SNSなどによる膨大な情報の洪水、価値観の多様化などにより、私たちはVUCA※(ブーカ)と呼ばれる予測不可能で先行き不透明な時代に生きています。既存の価値観では対処できなくなりつつあるなかで、米国IT大手では哲学を学んだ人材の登用が進むなど、ここにきて「人文学」への注目が高まっています。人文学の本質的な価値や、いまの時代に人文学を学ぶ意味とは何か―。信州大学人文学部卒業生で小説家の仁木英之さんをゲストに迎え、現役学生・教員が語り合いました。(まとめ・佐々木政史)
※VUCA:「変動性(Volatility)」「不確実性(Uncertainty)」「複雑性(Complexity)」「曖昧性(Ambiguity)」の頭文字をとった言葉。

・・・・・ 信州大学広報誌「信大NOW」第155号(2026.1.31発行)より

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(画像左から)

金井直 教授(人文学部 学部長)
学術研究院(人文科学系)哲学・芸術論コース
研究分野は、新古典主義、彫刻史、イタリア近現代美術、日本近現代美術など。2000~2007年、豊田市美術館学芸員。2007年、信州大学人文学部准教授。2017年より同教授。日印文化協定締結50周年記念美術展(国際交流基金主催)キュレーター(2007年)、あいちトリエンナーレ2016キュレーター。

仁木英之 さん 
小説家(人文学部卒業生)
1973年、大阪生まれ1992年、信州大学人文学部に入学。中国に留学し、家庭教師やひとり旅などで見聞を広めながら2年間を過ごす。スーパーでの会社員生活、フリースクールの経営を経て、2006年『夕陽の梨―五代英雄伝』で「歴史群像大賞」最優秀賞、同年『僕僕先生』で「日本ファンタジーノベル大賞」大賞を受賞しデビュー。他の著書に『千里伝』、『くるすの残光』、『魔神航路』、『黄泉坂』などのシリーズがある。現在、奈良県在住。

佐瀬千陽 さん
人文学部 日本言語文化コース4年生
幕末から明治の歌舞伎作者河竹黙阿弥の作品を研究。演劇サークルにも所属し、古典文学だけでなく現代演劇にも関心を持つ。卒業後は大学院への進学を予定。

佐々木彩衣 さん
人文学部 日本言語文化コース3年生
和歌や中世の古典文学を学んでいる。将来は国語の教員を志望。

澁谷豊 教授
学術研究院(人文科学系)比較言語文化コース
研究テーマは、比較文学(日本におけるフランス文学の受容、日本人のパリ体験、移民・亡命者の文学など)。近代フランス文学の翻訳も行っている。2006年、信州大学人文学部助教授。2018年より同教授。

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金井直 教授(人文学部 学部長)
学術研究院(人文科学系)哲学・芸術論コース

―金井(敬称・役職略、他参加者同):ファシリテーターを務めさせていただきます。時代が大きく変化する中で、人文学の意義とは何か。本学人文学部の卒業生で小説家の仁木英之さんを交え、現役の学生・教員とともに、自由に語り合えればと思います。まずは簡単に自己紹介をお願いします。仁木さんからよろしいでしょうか。

仁木:1992年に信州大学に入学して、中国文学を専攻していました。大阪生まれですが、父が登山家で、子どもの頃から信州に連れてきてもらっていたこと、それと雪のあるところに行きたいと思って、信州大学を選びました。卒業後は長野市でスーパーの青果担当、不登校児のためのフリースクール経営を経て、作家になりました。主に中国の歴史ファンタジーを書いています。

澁谷:人文学部の比較言語文化コースの教員で、比較文学、フランス文学が専門です。よろしくお願いします。

佐瀬:人文学部 日本文学研究室4年生で、卒業論文では幕末から明治の歌舞伎作者である河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)の作品を研究しています。演劇サークルにも所属していて、古典文学だけでなく現代演劇も大好きです。今日はいろんなお話が聞けるのを楽しみにしています。

佐々木:人文学部 日本文学研究室3年生です。古典文学、特に和歌や中世文学を学んでいます。将来は国語の教員になりたいと考えています。

金井:人文学部長の金井です。専門は美術史で、主にヨーロッパの美術を研究しています。仁木さんのご著書も楽しく拝読しました。それでは、ざっくばらんにお話を進めていきましょう。

「利害の外にある世界」が私たちにもたらしてくれるもの

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仁木英之 さん 
小説家(人文学部卒業生)

―金井:最初に、「人文学の価値」について考えたいのですが、仁木さんはどのようにお考えですか?

仁木:誤解を恐れずに、特に文学の観点から言うと、人文学は「エンタメ」という性質が大きいのではないかと思います。ですから、人文学を学ぶことは、本来は「楽しいもの」であり、私はここに一番の価値があるのではないかと思います。どうして人文が楽しいかというと、文学だけでなく、哲学でも美術でもそうですが、自分のなかで完結できる部分が大きいと思うんです。例えば、医学や法学、経済学は、どうしても人の命やお金、権利などの利害と関係していて、「誰かが傷つく」という可能性があります。 

一方で人文はというと、作品やテキストがあって、「自分がそれを解釈したり、楽しんだりする」という要素が大きいので、自分の中で完結する部分が多い。たしかに、現代社会では、自分のなかで完結せずに、自分のなかにあるものをSNSなどに吐き出すことで、炎上などの問題も出てきています。しかし、本来、人文学とは、利害関係を抜きにして人を楽しませたり幸せにするものであるというのが本質であって、これって現代社会ではすごく貴重なことだと思うんです。

金井:たしかにそうですね。私の専門であり人文学の分野のひとつである美術史でも、やはり利害の外に立って鑑賞したり語ったりします。本来、私たちの世界は直接に利害が関わる分野の外にももっと豊かな広がりがあるはずであり、それをちゃんと拾って、言葉にするような作業が大切なのだろうと思います。

仁木:人文の領域って、あまりにも普遍的すぎて、日常のなかで忘れられがちだと思うんですよ。多くの人は、本来的には何らかの歴史観や哲学観、倫理観を持って生きているはずですが、あまり意識して日常生活を営んでいません。しかし、それらは私たちの基礎をつくっている大事な要素だと思います。
 映画がヒットすると、興行収入はいくらで…とか、経済的な観点から語られがちですが、私たちみたいに人文学を学んだ人間は、数字よりも作品の本質的な楽しさは何かというところに自然と関心が向かいます。数字に目が向きやすい人たちに、作品そのものの楽しさを伝えるということも大事で、それは人文学を学んだ人の力が活かせる領域だと思います。

金井:美術館も、やはり企画展の来場者数が取り沙汰されがちです。それはそれで重要な情報ではあるのですが、もっと優先される情報は他にあるのではないかと思うことがあります。日常の中に数の論理が忍び込んでいるんですよね。それを否定はしませんが、もうちょっとこういう別の見方ありますよとアプローチすることで、世の中の見方を変えていくことは、人文学のできることかもしれませんね。

仁木:なぜ、数字の外にある人文の領域が大事かということなのですが、その理由のひとつに、「救いになるから」ということがあると思います。私にも経験がありますが、心が病んでしんどい時に、潰れる前にいい方向に引っ張り上げてくれる力が人文にはある。文学や美術、音楽もそうですね。

金井:「社会的処方」という言葉がありますよね。薬の代わりに美術館に行くことを勧めるなど、文化芸術が心身の健康に寄与するという考え方が広がっています。人文学の知は、社会のウェルビーイングを、経済や医療とはまた別の角度から支える大きな力になり得ると私も信じています。

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佐瀬千陽 さん
人文学部 日本言語文化コース 4年生

―金井:今日は人文学部日本言語文化コースで古典文学を専攻している学生二人にも来てもらっているので、「古典文学」の価値についても考えてみたいと思います。佐瀬さんいかがですか?

佐瀬:私は先ほどお話しさせていただいたように、幕末から明治の歌舞伎作者である河竹黙阿弥の作品を研究しているのですが、もともとは現代演劇が好きで、サークルにも入っています。それで、歌舞伎の脚本を現代演劇の視点から読むことが多いのですが、意外にも両者に共通点があったりして、古さを感じないというか、むしろ古典文学の普遍性に驚くことが多々あります。

佐々木:私も古典文学を学んでいますが、友人などから「学ぶ意味が分からないし、苦手」と言われることが、結構あります。だけど、私が古典が好きだからそのような目で見てしまうということもあるかもしれませんが、古典作品の中にはこれまで残り続けてきた理由があるし、私たちの暮らしを彩るものでもあると思うんです。昔のものだから、現代の私たちとは関係ないということではなくて、私たちの暮らしにつながるものがあると思っています。

仁木:古典は本来とても強度のあるものです。つまらないと感じる理由は、もしかすると「教材」として接しているからかもしれません。今残っている古典作品って、当時はエンタメだったものがほとんどなので、そのような観点から楽しむというのが正しい接し方なのかなと思います。というのは、私も学生時代は古典があまり好きではなかったんですよ。古いものを見ることの何がおもろいのかと思っていました。しかし、今になってみると、実は一番おもろいということが分かってきました。中国や日本の古典文学を好んで読みますし、小説を書く時には佐瀬さんの研究分野である歌舞伎の脚本も大いに参考にしています。

澁谷:中国古典で言うと、例えばご自身の著作 『僕僕先生』で、中国最古の空想的地理書である『山海経』を参考文献に挙げてらっしゃったと思うのですが、やっぱりああいうものもエンタメとして楽しんでおられるのでしょうか。

仁木:『山海経』って、実は断片の集まりでしかなくて、体系的なストーリーもないし、具体的な設定もないんですよ。じゃあ、どうしてそのようなものが古典として残ったのかというと、やはり今のファンタジー小説にも共通する魅力があると思ったからだと思うんです。『山海経』を書いた当時の中国の人も、こんな世界やったらおもろいなとか、こんなモンスターがいたらおもろいなと考えていて、今の時代にエンタメを作ったり、研究していたりする人と同じだと思うんですよね。

佐々木:私も日本文学の古典研究をしていて、昔の人を身近に感じることがあります。今、演習授業で読解に取り組んでいる江戸時代初期作品の中で、鎌倉時代末期頃に成立したといわれる兼好法師の随筆『徒然草』にある「花は盛りに…」の一節が、ちょっと出てくるんです。戦国時代末期に「写本」として成立したその作品は、時代の移り変わる中で、木版印刷による「版本」になるのですが、写本の段階では見られなかった『徒然草』が、版本になると引用されているんです。その理由を調べると、実は、写本成立から版本になるまでの期間に当時の知識人の間で『徒然草』愛好の機運が高まっていて、一種のトレンドを取り入れるために版本で引用したのではないかと考えられるんですよ。今の時代でも、文学や音楽で、そういうことってありますよね。古典研究を通じて、昔の社会とのつながりを実感して、面白いなと思いました。

「嘘」や虚構を大事にできる。それが人文学のユニークさ

―金井:作家の視点から人文学を考えていきたいと思います。仁木さんの小説では、歴史、文化、民族、心理などいろんな人文知のフィールドが交差しているという感じがあります。

仁木:私は歴史小説を書くので、人文知に関わる資料をいろいろと読んで、そこから話を組み上げていきます。ただ、ここでお伝えしたいのは、歴史小説だからといって、全て史実に忠実に書くわけではなく、時には「曲げたり」「誇張したり」することもあるということです。資料で史実を積み上げたうえで、あえて「嘘」をつく。
国民的な歴史作家であった司馬遼太郎さんは史実と違うと批判されることがありますが、例えば、彼が描いた坂本龍馬像が多くの人の心に残るのは、効果的に虚構を使ってその人物像をより魅力的にしているという部分もあると思います。時に、虚構が事実を食いそうになることもあるのです。読者の感情に働きかけ、物語としてより輝かせるために、あえて虚構を入れる。これが許されるのが、小説とか演劇のすごいところで、ある意味で人文学の特権だと思うんです。ですから、それを分かったうえでその特権を誠実に使うことを心掛けています。

金井:仁木さんのおっしゃる虚構というのは、「想像性」や「可能性」、あるいは「過去への問いかけ」であり、「未来に対するメッセージ」とも言えるかもしれませんね。現実の今にある真偽という2項だけで問題を切り分けずに、もうちょっと開いてみるような想像力を、人文という枠の中で、あるいはその枠を超えて持てるといいなと思います。そして、私たちは真偽を敢えて超えるような想像力を、どのように提案できるのかが重要になりますね。

佐瀬:史実と虚構という点で、私はゼミで読んでいる松尾芭蕉の『奥の細道』を思い出しました。芭蕉の旅に同行した弟子の曽良が、旅の模様を日記に残していますが、奥の細道の内容とだいぶ相違があります。これも読者へ、より深い感動や旅情を伝えるための「虚構」だったのかな、と仁木さんのお話を聞いて思いました。

澁谷:人文学部は、一般的にはネガティブなイメージが持たれる「嘘や虚構」を、大事にできる学部である。これは人文学部ならではのユニークさであり、面白いところだと言えそうですね。

人文学を学ぶ人へのメッセージ

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―金井:最後に、これから人文学を学ぶ人へのメッセージを、それぞれからお願いします。まずは仁木さんから。

仁木:人間の暮らしにハード面とソフト面があったとして、柔らかい部分を引き受けてくれるのが人文の領域だと思うんです。ただ、ソフトなだけに壊れやすかったり傷つきやすかったりするんですけれども、大学で学問として学ぶことでより自分にフィットした形にできるのが、私は人文学であると思います。また、人文学は自分の人生だけでなく、自分が大切にしている家族や友人などの人生も一緒に豊かにしていけるような力があると思います。それともうひとつ、冒頭でもお話ししましたが、人文の領域はエンタメという性質が大きいと思いますので、今学んでいる学生には「君らが学んでいるのはエンタメやねんで」ということを、やはり強く伝えたいです。

澁谷:たぶん今の「エンタメ」というお話とも関わることではないかと思うのですが、私がフランス文学の講義をしていて、うーん、どうもうまく授業できてないな、と感じるのは、知識の押しつけになっているときが多いようです。目指すところは、学生にフランスを友達にしてもらうというか、「オレの古くからのトモダチを紹介するから、君たちも付き合ってみたら」って感じで話ができればと思っています。
もうひとつ、授業では“文明”を伝えたいという気持ちがあります。フランスの作家、サン=テグジュペリが言っているような意味での“文明”です。この人は第二次世界大戦中にアメリカに亡命したのですが、同様に亡命したフランス人から、政治的な立場の違いのために結構いじめられています。特に辛辣だった詩人のアンドレ・ブルトンに彼は手紙を書いて、「立場はいろいろだけど、昼食を食べに来ないか。“鶏の丸焼き”を出すから。それが文明だろ」てなことを言っています。鶏の丸焼きと聞くと、なんだか素朴なホスピタリティーを感じます。ホストが客の好みを訊きながら、腿肉や手羽を切り分けてやるんでしょうね。こういうのって、運がよければ、いわば「祝祭的」な、かけがえのないひと時になりそう。あくまで、運がよければ、ですけど。ともあれ、私はこの手紙を読んで、「そうか、文明っていうのは鶏の丸焼きだったのか!」と思いました。人文学部の学生には、鶏の丸焼きの味わいを知ってもらいたいと思っています。

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佐瀬:「友達を作るみたいに、人文の学問を学ぶ」という澁谷先生のお話しを、なるほどと思ってお聞きしました。そもそも、大学で学ぶ大きな目的のひとつに、人生でかけがえのない大切な友達をつくるということもあると思うんです。来年度から大学院への進学を志望しているので、そのような感覚で私も人文の学問に取り組んでいけたらなって、考えています。

佐々木:私は高校までは本当に自分の興味ある分野しか見ることができなかったのですが、信州大学の人文学部って、色々な分野の授業が必修になっていますよね。最初は必要に迫られて自分の関心のない分野の授業を受けていたのですが、実際に受けてみると、今まで当たり前だと思っていたことを違う角度から捉えることができたり、知識や教養の幅が広がる経験がありました。それが嬉しくて、友達に伝えたこともあります。信州大学の人文学部ってそのようなことができるところに面白さがあると思っていて、私もあと1年それを楽しんで学んでいきたいなと思っています。

金井:最後に私から一言。仁木さんから人文学はある意味でエンターテインメントだというお話しがありました。たしかにそう思う一方で、自分だけでなく他者の人生を豊かにするとか、澁谷先生の鶏の丸焼きを通じた交流だとか、やっぱりそういう他者への思いみたいなものをどれだけちゃんと持てるかというところが人文学の一つの鍵なのかなと思って今日のお話を伺いました。「リベラルアーツ」という言葉がよく使われますよね。学ぶことによって自由になるということがあるけれど、人文で学ぶということは、自分が自由になるだけじゃなくて、その自由をどうやって他の人と分かち合えるかというところまで責任を持つことであり、そこで初めて人文学になるだろうなという気がしました。

 皆さま、今日はありがとうございました。

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