座談会 信州大学と「春寂寥」特別レポート
平成25年度の入学式(4月4日)で、信州大学の前身のひとつ、旧制松本高等学校・思誠寮の寮歌、『春寂寥』が演奏されました。
1945年5月の本学開校以来、初めてのことです。
口伝えで歌い継がれ、一時は消えかかったその歌は、オーケストラ用に編曲され、本学交響楽団、混声合唱団、グリークラブの演奏で、2000余人が埋めた会場に響き渡りました。4番まで演奏の後は、新入生を含め、会場一体となっての大合唱。哀調と躍動感が溶け合った歌声は、多くの方の胸を熱くしました。
今なぜ、『春寂寥』なのか-。
旧制松本高等学校や思誠寮に関わりの深い方々と編曲者に、『春寂寥』への思い、信大の目指す姿などについて、語り合っていただきました。
・・・・・ 信州大学広報誌「信大NOW」第81号(2013.5.31発行)より
根津 武夫さん( 旧制松本高等学校同窓会会長)
青柳 晃夫さん( 旧制松本高等学校同窓会理事)
丸山 嘉夫さん( 作曲家・松本交響楽団常任指揮者)
矢崎 幹明さん( 思誠寮元寮生・松本平タウン情報常務取締役編集長)
司会・コーディネーター:信州大学副学長・笹本 正治(本学人文学部卒)
「青春の歌」として蘇る
笹本:入学式で『春寂寥』をお聴きいただいた感想から、伺わせてください。
根津:一番馴染みのある曲ではありますが、同窓会の理事の中では「感傷的だし、入学式に相応しいか」という意見もありました。そういう既成概念を見事に打ち破ってくれましたね。丸山先生の編曲による速めのテンポやフレーズのまとめ方で、歌詞の意味がはっきりし、若者たちの輝きのある歌声で、まさに「青春の歌」になっていました。
青柳:その通りです。私たちの先輩が93年前に作った歌を、信大生が歌い継いでいってくれたらいいなと心から願っていましたので、本当に感激しました。
笹本:編曲者としてはどのように感じられましたか?
丸山:同窓会からのご依頼は「オーケストラと一緒に四部合唱できるように」というものでしたが、元々は歌詞と旋律があるだけなので、今回のように、原型に近い形で「みんなでメロディーを歌う」という方法は、持ち味を出せたのではないでしょうか。
笹本:私たちが学生時代に肩を組んで、がなるように歌っていた歌が、入学式の場にとてもマッチした、芸術としての音楽になっていて、本当にうれしかったです。
矢崎:寮生や部活など一部の学生にしか歌われてこなかった曲が、信大全体で歌われたことで、新しい命を吹き込んでいただいたような気がします。
全人教育のシンボルとして
信大も全学部の1年生が専門教育に入る前の1年間、松本で一緒に学び、青春を過ごします。人間形成にとって非常に大切な貴重な時間だと考えています。
根津:旧制高校生は大学が約束されていたので、落ち着いて3年間の全人教育を受けることができたように思います。
笹本:信大の1年生も、大学受験を終え、2年からは専門の勉強が決まっている。1年間ではありますが、同じような時間になるのではないかと期待しているのですが。
青柳: 松高での3年間は本当に実り多き時間でした。内的世界、精神世界があることに目覚め、「人間は如何に生きるべきか、自分の役割とは何か、この世界をどうするか」そんな議論を友達と延々とやった。まさに『飽かぬまどゐのもの語り』です。
同窓会が主催していた寮歌祭は、メンバーの高齢化などにより、この5月18日が最後になります。そんな年に、私たちが愛する『春寂寥』が、全人教育の理念の一環として歌い継がれる。信大だけではなく、そこで教育を受けた学生たちによって、日本に新しい時代が来るのではないかと、大きな期待を持ちました。
根津:10代、20代では読み取れなかった「歌詞に込められた自然と人生の観照」を、経験や年代を経るごとに感じるようになって行きます。長く愛唱されていくのではないでしょうか。
伝統を知る中で磨かれる感受性
丸山:特定の山や地名が出てこないので、5キャンパスのどこで歌っても違和感がなく、普遍性がありますしね。旧制松高同窓会から編曲のご依頼を受けてからずっと、信大の学生に伝えたいと思っていました。今の学生が「いいな」と感じて歌い継ぎ、伝統となっていったらうれしいですね。
矢崎:旧制松高も全国から逸材が集まっていましたが、信大も地方大学には珍しく、学生の7割が全国から来ていますね。この傾向は変わらずに続いており、これも、歴史ある前身あってこその「伝統」なのではないでしょうか。
笹本:冊子「信州『知の森』の文化資産 信州大学の文化財」をまとめ、本学がどれほど豊かな文化的財産に恵まれているかを再確認いたしました。
若い学生たちにとって重要なことは、『春寂寥』の歌詞のように、四季の移ろいにも涙するような「感受性を磨くことができるか」だと思います。入学式で心を揺さぶられるような音楽に触れ、所蔵する多くの宝物に触れ、人としてどれだけ豊かになっていけるか。多くの人と接触する中で学ぶことも多い。「寮」という存在が持っている役割も大きいと思います。
寮で育まれた仲間意識
青柳:現在、600人から700人の卒業生が存命ですが、異口同音に「松本は温かいところ」だと言いますね。どこの地域でも旧制高等学校の学生は大事にされたようですが、それでも「松本は特別だった」とよく聞きます。市民だけではなく、行政もそうでした。
笹本:「信州『知の森』の文化資産 信州大学の文化財」を見ても、これだけの芸術品を持つことができた旧制高等学校は別格だったんだなぁと感じました。
また、丸山先生のご厚意で、オーケストラ用の総譜を図書館で預からせていただくことになりました。どのように活用させて頂くかは、これからの課題ですが、これらによって、学生たちにいい刺激を与えていきたいですね。
青柳:若いうちに一流の物に触れさせて、感性を豊かにするという考えを松高の二代目校長・大渡忠太郎先生は持っていた。絵のほとんどは彼が集めたものだと思います。
地元に学び、複眼の思考を
笹本:学生時代に何に出会えるかは人生を決める基礎になる。信大の未来に向けて、ご助言などいただけますか。
根津:戦中、戦後の暗い時代の松高生たちが如何に生きたか。それを考察すると見えてくるものがあります。私自身は物事を一面的に見ないということを学びました。学生たちにも複眼の思考というか、何事も立体的に見る力を持ってほしいと思います。
青柳:時代が変わっても、大学で学べるというのは幸せなこと。すべての人ができることではないですよね。恵まれた環境にある者には、それに見合った「使命」というものがあると私は思います。常にそれを意識し、自らを省みて、努力を忘れず、オピニオンリーダーでいてほしいと願っています。
丸山:私は「楽譜を書く」ということが仕事のため、専門的な知識、技術というものに頼りがちです。それを基準に他の分野の方と関わると、理解し合い切れない時がある。
物事を理解するということは「ある事柄とある事柄の関係性を理解すること」。そういう視点でとらえると、一見、無関係に見えるものと繋がることがある。その視点を得るために、文系も理系を学び、理系も文系を学ぶ。更に先輩たちが作り残したものを、体系的に学ぶことはできないでしょうか。例えばこの『春寂寥』が音楽的にはどういうものなのか、歌詞は国語的にはどういうものなのか、というように。
大学はスペシャリストを育てると同時に、広角的、俯瞰的な視野を育てる機会を作ることにも腐心していただければと思います。
矢崎:地方大学の特徴は、大学が多数混在する都会とは違い、「地元」があり、信頼で結ばれた縁があることだと思います。信州という環境の中で自分には何ができるのか、何をすべきなのか。学生たちが地域の方たちの中に入り、一緒に具体的な課題に取り組む。
「地域の方々の中で学生が学ぶ」という、人間的な教育が重要なのではないで しょうか。
笹本:私の専門は戦国大名武田氏をはじめとする中世社会や、日本人が音や場に対して抱いた感性の歴史。災害文化史なのですが、信州という希有なフィールドがなければ学問はできません。まさに地域の方々との多くのご縁に恵まれて、日々学ばせて頂いています。
人類の未来まで考える人材を育てたい
根津:松高は30年、信大は64年。倍以上になった。素晴らしいことです。松高を丸ごと受け入れるのではなく、何を取り、何を越えるか。それによって、信大の新しい核ができてくるのではないでしょうか。
笹本:古いものがすべて良いわけではありません。『春寂寥』は今まさに消えようとしていました。なぜ、消えようとしていたのか-。それを考えることは信大の未来を考えることです。個人の未来だけではなく、人類の未来までも考えられる人材を育てていきたい。私たちにはたいしたことはできませんが、まず教員たちの思いがなければ、前には行けません。
『春寂寥』は、大学が更にひとつになるスタートになったのではないでしょうか。
諸先輩の力をお借りして、前へ行きたい。そして、自分がそう思えたように、「信大でよかった!」と思える学生を1人でも多く、育てて行きたいと思います。
今日は貴重な時間を頂き、本当にありがとうございました。
※本ページ掲載の当時の写真の数々は、松本高等学校同窓会よりご提供いただいたものです。