小谷コレクション Kotani Collection特別レポート

信州大学所蔵 日本屈指の山岳図書コレクション

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小谷隆一氏と北杜夫氏。小谷氏が隊長を務めるカラコルム・ディラン峰(パキスタン・ヒマラヤ)遠征にて(北氏は医師として参加)

 「小谷コレクション」は2003年、本学の前身校の一つである旧制松本高等学校の卒業生である小谷隆一(1924‐2006)氏から、信州大学へ寄贈された山岳関連図書のコレクションです。
 小谷氏は、小林義正(1906-1975)氏の山岳図書コレクション「高嶺(たかね)文庫」(約3,000冊)を譲り受け、それを母体に、国内外の古書店巡りや新刊図書の購入などにより補完・拡充することで、約8,000点におよぶ日本有数の山岳図書コレクションとしました。
 小谷コレクションには、国内外の初版本、限定版、愛蔵版、サイン本などの貴重な図書が多数含まれており、近世(主に江戸時代)の和古書・古地図は、「近世日本山岳関係データベース」として附属図書館ウェブサイトで公開しています。
・・・・・ 信州大学広報誌「信大NOW」第135号(2022.9.30発行)より

総数約8,000点 ※ほんの一部をご紹介します。

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Atlas of India and High Asia
(Results of a scientific mission to India and high Asia)
インドおよび高地アジア地図書
(インドおよび高地アジアへの科学調査隊派遣の成果)
シュラーギントワイト3兄弟 刊行年:1861-1866年
 ドイツの探検家、東洋学者のシュラーギントワイト5人の兄弟のうち、3兄弟がプロシア王の後援を得て、1854年から58年にかけて行った、インド・ヒマラヤ地方の調査記録。報告書4冊と60枚に及ぶ図版は、大型の本の型をした献呈箱に納められている。図版のうち、29枚はパノラマ図で、エヴェレストやカンチェンジュンガなどが原色で見事に描かれている。

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メルカトル地図
刊行年:1633年
 ヨーロッパにおける大航海時代、1633年にアムステルダムで印刷されたフランス版メルカトル地図帳の一部。朝鮮半島が大陸とつながっておらず、島として描かれている。北海道がなく、信濃は「Rinano」と書かれている。「未知の世界への探検」という大航海時代の気質は、その後の近代登山発展の基底となった。

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秋山紀行
鈴木牧之 制作年代:大正時代(写本)
 『北越雪譜』(ほくえつせっぷ)の著者として有名な鈴木牧之(すずき ぼくし)(1770-1842)が、文政11年(1828)9月に信越国境の秘境・秋山郷を探訪した際に、山村の自然や風土、人々の生活様式から独特の風俗や習慣までを詳細に記録し、絵と文章でまとめたもの。
 本書は、大正時代初期、京都大学教授清野謙次が弟子に写させたもので、稀少な伝本である。

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富士山図
作者不詳 制作年代:江戸時代後期
 富士山の立体地図。美しい円錐形を特徴とする富士山の姿を、立体の形で表現している。 多数の古地図を持つ本コレクションの中でも、極めて珍しい逸品である。地図上には、 全ての登山口から山頂までの道程が描かれ、江戸時代に流行した富士詣での実態を知る上でも興味深い資料となっている。

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山と書物(正・続)
小林義正 刊行年:昭和32、35年(1957、1960年)
 山岳図書に関する研究をまとめた書。その範囲は、江戸時代から現代に至るまで、また、洋の東西を問わず広範に及ぶ。著者の小林義正(1906-1975)は中学時代から山に親しみ、 丸善に勤務し役員を務めるかたわら、山岳図書の収集・研究に没頭した。そのコレクション「高嶺文庫」は、1974年に小谷隆一氏に譲渡された。

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富嶽百景
葛飾北斎 刊行年:天保5年(1834年)
 江戸時代を代表する浮世絵師、葛飾北斎(かつしか ほくさい) の写生集。天保2年(1831)に刊行された「富嶽三十六景」 と並ぶ風景画の代表作で、北斎は写実的浮世絵に新しい境地を拓いた。当時の風物や人々の生活を巧みに交えながら、 各地から望む富士山の景観を描いている。
 作画に対する情熱を綴った跋文(ばつぶん)は有名である。

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草鞋 (わらぢ)
旧制松本高等学校山岳部
刊行年:大正10-昭和21年(1921-1946年)
 旧制松本高等学校山岳部の機関誌。コレクション所蔵は創刊号(1921)~4号(1922)と、復刊1号(1927)~7号(1946)。アルピニズムの聖地、北アルプスに抱かれた松本高校山岳部の部員たちの山々の縦走や冬山・岩壁登攀への情熱、遭難の悲劇に直面しながらも、なお止まぬ山への思いに満ち溢れている。

近世日本山岳関係データベース
https://www-moaej.shinshu-u.ac.jp/

附属図書館秘蔵のお宝です。

信州大学副学長(広報、学術情報担当)
附属図書館長 東城幸治

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小谷隆一氏著「山なみ帖」に見る山への深い造詣と畏敬の念

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小谷隆一氏が旧制松高を卒業する際に、恩師や北杜夫や辻邦生ら友人が書き記した大学ノート。書籍の原典となる。

 日本を代表する山岳図書コレクションを信州大学が受け継いだ経緯について簡単に触れてみます。小谷隆一氏著の「山なみ帖」と「山なみ帖 その後」それぞれの中で、「コレクターの悦び」と「山の書物の楽しみ -小谷コレクションの展開と結末-」として詳述されており、渡辺(2007,https://www.shinshu-u.ac.jp/institution/library/docs/kotani-p06-kotani.pdf)でも解説されていますので、これらもぜひ一読ください。
 小谷氏は旧制松本高等学校卒業生で、ともに作家の北杜夫氏や辻邦生氏の1年先輩にあたります。旧制松高でも、進学先の東京帝国大学でも山岳部に所属しました。国内外の登山経験が豊富で、1965年にはカラコルム・ヒマラヤ登山隊長としてディラン峰(7, 273m)の初登攀に挑みました。天候に恵まれず、山頂を目前に隊員の命を最優先して引き返す決断を下しました。「山なみ帖」には、この時の様子も記されています。ちなみに、医師としてこの隊に加わった北氏は「白きたおやかな峰」という作品を書き下ろしました。小谷氏が松高を卒業する際に、恩師や友人らによる惜別の辞が綴られたのが「山なみ帖」の原典であり、丸山武夫教授が命名し、大学ノートの表紙に「山脈帖」と記しました。
 1973年に、小谷氏は小林義正氏の「高嶺文庫」を譲り受けました。この時点で日本一の山岳図書コレクションであったことは間違いなく、さらに小谷氏は蔵書を追加していきます。山岳図書収集における彼の執念は「山なみ帖」からも読み取ることができます。国内外の古書店を巡り買い求めるだけでなく、山岳図書の全出版リストを作成しては未収蔵物を探し求める徹底ぶりでした。また、書籍のみならず、山岳の古地図や錦絵、明治初期の登山家の自筆原稿や書簡など、実に多岐にわたるコレクションでもあります。

信州大学ならではの「山岳研究」の意義と価値

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「昭和60年10月京都雲月にて」の題で残る写真。左端が小谷氏

 日本を代表する山岳図書コレクションは、2003年に信州大学に寄贈されました。小谷コレクションの価値を高く評価し、信州大学に「山岳科学研究所」が創設されることを知った梅棹忠夫氏の仲介によるものでした。岳都・松本の、小谷氏の母校ともいうべき信州大学に引き継がれたことは運命のようでもあります。小谷氏は、山の恩師・森本次男氏(旧制中学時代の教師)が繰り返し発した「山登りとは足で登るだけのものではない」を著書の随所で紹介し、「体力と知力の総合」こそが大切であるとも述べています。山岳図書は、まさに「知」の基盤ともいうべき存在です。
 小谷コレクションの寄贈から20年目を迎えた現在、信州大学の「山岳科学研究」は先鋭領域融合研究群・山岳科学研究拠点を中心に展開され、研究成果の蓄積だけでなく、「山岳科学」分野の教育にも注力されています。山岳科学研究やその成果に基づく教育において、信州大学は日本を先導するべき存在であり、世界的な拠点を担う責務もあります。その重要な基盤的資料が小谷コレクションであり、これまで以上に活用いただけたらと思います。

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