信州大学 伝統対談Vol.7 未知を味わう面白さ、楽しさ、怖さ。特別レポート

信州大学 伝統対談Vol.7 未知を味わう面白さ、楽しさ、怖さ。

 学長と語る伝統対談第7回のゲストは教育学部野外活動専攻の卒業生、花谷泰広さん。未踏峰を次々と制覇、登山界のアカデミー賞とも言われる「ピオレドール賞」も受賞された世界的な登山家です。
 2019年は信州大学学士山岳会による信州大学創立70周年記念ヒマラヤ遠征の隊長も務められます。花谷さんは、濱田学長と同じ神戸市のご出身。六甲山の話題に始まり、孤高のアルピニストはなぜ未踏峰、未踏ルートにこだわるのか、大学研究者との共通点、現役学生への熱いエール…なんとも充実の対談となりました。
(2018年12月収録)

・・・・・ 信州大学広報誌「信大NOW」第117号(2019.5.30発行)より

taidanhy-2.jpg

信州大学学士山岳会が2019年春に大学創立70周年を記念して遠征を行う、ネパールヒマラヤのヒムジュン(7,092m)。
花谷さんを隊長に登頂を目指す。(写真は花谷さん提供)

近代登山発祥の地だった神戸から、信州へ。

taidanhy-3.jpg

(左)信州大学長 濱田州博(はまだ くにひろ)
1959年兵庫県生まれ。1982年東京工業大学工学部卒業。1987年同大学院博士課程修了。1987年通商産業省工業技術院繊維高分子材料研究所研究員。1988年信州大学繊維学部助手。1996年同助教授、2002年同教授、2010年繊維学部長、2012年副学長を経て、2015年10月より現職。
(右)登山家(株)ファーストアッセント 代表取締役 花谷泰広(はなたに やすひろ)さん
1976年兵庫県生まれ。2001年信州大学教育学部野外活動専攻卒業。在学中から積極的に海外遠征を行い、2013年に第21回ピオレドール賞を受賞。その後日本山岳ガイド協会認定登攀ガイド、国立登山研修所登山指導員などを兼任。現在は2017年に起業した株式会社ファーストアッセント代表取締役。「登山文化の継承と発展に貢献し、多くの人々が登山に親しむ世の中を作る」というミッションのもと、山小屋(甲斐駒ヶ岳七丈小屋)の運営、登山ツアーやスクールの実施のほか、講演やメディア出演などを通じて山登りの魅力を発信している。

𡈽井里美さん(以下敬称略):学長と花谷さんはお二人とも兵庫県神戸市ご出身ということで、同郷ですね。

濱田州博学長(以下職名):花谷さんが神戸高校、僕は兵庫高校卒業です。この二校で、昔から春と秋にいろいろな運動クラブの定期戦をやっていましたね。ただ、高校のカラーが全然違う。当時、神戸高校は応援がまとまっていて、兵庫高校はめちゃめちゃでした。自由といえば自由ですが(笑)。

𡈽井:花谷さんは、高校時代はすでに山岳部に入っていらしたんですね。

花谷泰広さん(以下敬称略):高校のすぐ裏手が登山口ですから。僕らは山で走るんですよね。当時はトレイルランニングなんて言葉がなかったので「山走り」と言っていました(笑)。“ボッカ”といってザックに石などを入れた重い荷物を担いで歩いたり、を毎日やっていました。もともと神戸は市民ハイキングの文化が発達しているところで、日本の近代登山の発祥の地なんですよね。

学長:ちょっと行けば山がありますからね。近くに鵯越(ひよどりごえ)という源平の合戦地があり、兵庫高校ではそこでマラソン大会が行われていたと思います。

花谷:それだけ街と山が近いので、「山文化」という意味では神戸は拓けています。

𡈽井:山の雰囲気は信州と似ていますか。

学長:神戸は海も近いこともあり、ちょっと違う感じがします。

花谷:そうですね。それでもアルプスの山々は憧れで、信州に来た時憧れのアルプスに近くなったのは嬉しい、でも逆に山が街から近かった神戸と違って、山が遠くなったという印象を抱きました。

𡈽井:そして花谷さんは信州大学に入学されて…。

花谷:もちろん熱望していた山岳部に入りました(笑)。選んだ専攻は、独特の教育学部の野外活動でした。僕は第1期生で、5人しか枠がなかったんですよ。本当にご縁ですよね。

𡈽井:野外活動専攻で学ばれていかがでしたか。

花谷:アクティビティのプログラムを体験者に提供して学びを得るのですが、僕は生意気にも担当教員の平野吉直先生(※1)に「結果ありきでプログラムされている野外活動はどうかと思う」なんて言っていました。実際の山登りはうまくいく時もあれば失敗する時もあって、むしろ失敗のほうが多いじゃないですか。人それぞれ、ありのままに感じることがあると思うので、それでいいのでは、と考えていました。

学長:自分で考えること、感じることが大切ですね。多分、野外活動専攻は始まったばかりの時期で、大学側も手探りの面があったのでしょう。それに、いまだに「野外」がついている専攻があるのは
信州大学だけです。「日本野外教育学会」という学会もあって、いろいろな大学で野外教育が重要だと周知されていますが、教育コースにまではなってはいないのです。

花谷:実は僕もその学会で講演をさせていただきました。

𡈽井:では、信州大学がフロントランナーですね。

学長:そうでしょう。ちょうど学会設立と同時期に野外活動専攻ができていますから。平野先生は、今では学会の副理事長も務めていらっしゃいます。

𡈽井:花谷さんは大学2年生の年にヒマラヤに行かれたのですよね。ずいぶんお若いですね。

花谷:たまたま1年生の時に山岳会のOB会(学士山岳会)でヒマラヤに行く話があり、現役大学生も参加していいと言われて、思い切って休学して行きました。僕は冬山を1シーズンも経験したことがな
かったのに、当時は「連れていってやるかわりに1年間頑張って登れよ」と応援してくれる大人がいっぱいいたんです。…ところで今は、僕らの時代より学生が休学しにくくなっているんですか?

(※1)現信州大学理事(教務・学生・入学試験・附属学校担当)

学生時代に海外へ。必ず、後で生きる体験になる。

taidanhy-4.jpg

学長:むしろ、今は海外留学がしやすくなっていますよ。例えば1年間海外に留学したら、トータルで5年大学に在籍しますが、授業料の支払いは4年分で免除される制度があるんです。休学でも国立大学は授業料を払う必要はありません。だから今、短期も含めると信州大学からは年間500人ほどの学生が海外に留学しています。

花谷:それはすごく大事なことですね。

学長:そして海外に行くのは女性のほうが積極的です。卒業して海外の機関に就職するのも女性のほうが多いような気がしますね。

花谷:やはり僕のプロジェクトでも女の子がリーダーシップをとって積極的に動いていますね。

𡈽井:それにしても、10代の頃のヒマラヤ経験はすごかったのでしょうね。

花谷:インパクトはありましたね。一番印象に残っているのはアネハヅル(※2)の“渡り”です。僕らが6,900mほどのピークにいる時に、アネハヅルがヒマラヤを越えていったのがものすごい景色で。周り中、全部V字の編隊を組んだツルが自分の上にも横にも下にも飛んでいて、あの光景は忘れません。

学長:すごいですね。やはりそのようにいろいろな意味で多くのことに挑戦できるのが学生時代ですね。当然、私の立場からしたら学生たちには勉強をしてもらわないと困るのですが(笑)、勉強しつつも自分がまだ出会ったことがない、見たことがないものに対する挑戦をしていかないといけないと思います。

花谷:僕も初めてのヒマラヤは体調を壊したり、初の高山で高山病もひどかったり。ピクリとも体が動かず、登山としては完全に打ちのめされました。ただ、最初のそういう経験は尊いですね。

(※2)高度5,000から8,000mの高さを飛ぶ鳥として知られ、ヒマラヤ山脈を越える“渡り”を行うものも。

未知に挑むことは、試行錯誤を重ねること。

taidanhy-5.jpg

𡈽井:登山は判断を間違えると命をも失うリスクがありますよね。

花谷:そうです。状況判断と決断の連続です。高所で何日も登っていると判断も鈍ってきますが、それでもミスは絶対にできないので、いいジャッジをするしかない。できなかったら終わりですから。1~2週間集中を切らさず、オンとオフをうまく切り替える。それに、山頂は登山の行程の半分なんです。山登りで一番事故が多いのが下山時ですから。登山と下降のルートが別なら、出てくる場面も全部初めてですし。

𡈽井:山頂で緊張感を緩めることなんてないのですね。学長は大学運営などで緊張されることは?

学長:大学運営と登山に通じるのは、一人でやっているわけではないところですね。ただ、大学運営はずっと緊張しているわけではないですし、学長は一番何もやらないポジションですが(笑)。

𡈽井:この朗らかな笑い声にいつも騙されますが、そんなことはないと思います(笑)。信大は新しい試みに次々トライされていますし…。

学長:影で泣いていることもありますよ(笑)。ただ、だんだん鈍感になってきたように思います。ずっと神経を張り続けていたら身体が持たないので。それでも大学というところは様々なことが起こるので、センシティブにならなければいけない場面は多々あります。学生だけでも11,000人がいますから。

𡈽井:そうですよね。さて、花谷さんは登山界のアカデミー賞とも言われる「ピオレドール賞」を受賞したんですね。

taidanhy-7_1.jpg

花谷さんにお持ちいただいたピオレドール賞の楯。同賞は優秀な登山家に贈られる国際的な栄誉賞で「登山界のアカデミー賞」とも呼ばれる。花谷さんは2013年第21回の受賞者。ピオレドールは「金のピッケル」の意。

花谷:そうやって形容詞をつけないと誰もわからない賞ですが(笑)。賞の対象となるのは、今まで困難で誰も登っていない未踏峰や未踏ルートの登頂の成功です。このピオレドールの対象になったのは、ネパールのキャシャールという山でした。6,770mのマイナーな山でしたが、岩登りだけではなく、急な雪壁も登る、氷を飛ばなきゃいけないセクションもある、標高差が2,000m以上あるルートだったのでスケールもある。ありとあらゆる要素があって、いろいろな力が求められたんです。未踏峰なので行ってみないとわからないことも多いんですけど、それが面白い。未知を味わえるのは最初の一人だけなんですよ。

学長:それは研究者も一緒ですね。初めてのものに意味があるんです。二番目の研究はあまり意味がない。初めて作った物質などには名前も載りますからね。

花谷:僕らも、国によっては初登頂の山やルートに自分の名前を入れたりできます。

学長:研究は登山と違って命がかかってはいませんが…。私の専門分野は化学ですので実験などは注意します。学生がひとつ手順を間違えば火があがることもありますからね。でも、研究における試行錯誤が楽しいのはとても登山と似ていますね。

花谷:そうですね。似ていると思います。

学長:その点、やはり学長という立場で新しいことを始めると大ごとになってしまうので、学長は試行錯誤の苦労はあまりないですよ(笑)。

𡈽井:いえいえ、何度も言いますが、十分新しいことをされておられます。

信大学士山岳会の伝統「お金は出して、口は出さない」

taidanhy-8.jpg

𡈽井:今回の信州大学創立70周年記念遠征では花谷さんが隊長となり、信州大学の旗を持って登っていただくと伺いました。

花谷:そうです。創立60周年の時も持って行きました。あの時は登りと下りが同ルートでしたが、今回は違うルートで行くかもしれません。プランはいくつかあるんです。天候や山のコンディションもありますし、高所が初めての若いメンバーもいるので、行ってみないとわからない。現役の信大生もいます。

学長:高所が初めてだと苦しいですよね。私も4,000mの場所に行ったことがありますが、ちょっと歩いただけでも苦しかったですね。

花谷:そうなんです。僕が20歳で苦い経験をしたヒマラヤ登山と一緒で、若いメンバーにとって、ヒマラヤで苦労し頑張った経験は、社会に出た後も、絶対に人生にプラスになると思います。僕は2015年か
ら若い登山家とヒマラヤの未踏峰に挑むプロジェクト「ヒマラヤキャンプ」を主宰しているんですが、それはまさに20歳の時の僕の逆バージョンですね。

𡈽井:創立70周年を記念して、信州大学学士山岳会の寄附で、新たな部室として「山岳会館」も新設されるそうですね。

学長:学士山岳会会長から寄附のお申し出がありました。創立60周年の時もそうですが、学士山岳会は大学の周年に合わせていろいろな記念事業をされておられ、深い絆を感じます。

𡈽井:学士山岳会は活動が活発なんですね。

花谷:やはり全国でも活動しているほうだと思いますね。今はどの大学も山岳部が廃部になったり元気がなかったりしますから。でも、信大は元気があります。アルプスのお膝元の信州大学で山岳部が成り
立たなくなる時は、日本中の山岳部がなくなる時だと思いますよ(笑)。

学長:会長のお申し出は当初、ボルダリングの壁でした。しかし現役の学生の希望により、部室を新設することになったんですよ。

花谷:平成も終わるというのに、僕の時代から変わらないプレハブ小屋の部室がまだ建っていた、というのもすごいことですよね(笑)。でも学士山岳会には「OBは、金は出しても口は出さない」という良き伝統があるんです。だから、学生は思うことをのびのびとやって、その代わりに「教えてくれ」ということに対して先輩たちは応えるし、資金を支援して欲しいと言われれば何とか考える。それは、やはり信州大学学士山岳会の絆の強い良いところですね。

時代は変わっても、変わらないことがある。

taidanhy-9.jpg

𡈽井:対談の最後に、お二人から信大生やこれから信大生になる若者にメッセージをいただけますか。

花谷:僕は好きなことをとことん突き詰めた結果が今の仕事になっています。そこで学生のみなさんも、学問でもスポーツでも自分が関心をもった目の前のことに真剣に取り組むことが尊いことであり、やるべきことだと思います。今はそれを見つけることが大変かもしれませんが、これだと思ったことをとにかくやってみる。仕事にしようというのではなく、夢中になれることを真剣にやることが後々プラスに働くんじゃないかな。遊ぶのも真剣に遊ぶ。中途半端に遊ばない。…なんか先輩っぽくなっちゃいましたね(笑)。

学長:私からは「変化の見極め」でしょうか。私は亥年生まれなので、今年は年男。年男になった年を振り返ると、いろいろなことが劇的に変わっています。神戸にいた12歳の時に大阪万博が開催され、展
示されていた携帯電話や温水便座(笑)が今は実現しています。24歳の大学院生の時はパソコンが出始めた頃で、それが今は当たり前になり、36歳の時は1年アメリカにいましたが、新聞社のWebサイトができ、海外でも即時的に情報が取れて便利に思いました。48歳の時はスマートフォン、iPhoneが登場する前年で、世の中が変わりました。そして60歳の今はAI。次は72歳ですので、今後も好奇心を失わずにいたいと思っています。最近は「変わるものと変わらないものを見極めないといけない」と学生によく言っているのですが、変わるものに対しては対応を十二分にしないといけない時代だと思うのです。登山もやはり変わるもの、変わらないものがあり、どの山にもそれぞれの変化があるので、花谷さんはそこを見極めて登っていらっしゃることがよくわかりました。

𡈽井:お二人とも、本日はどうもありがとうございました。

taidanhy-6_1.jpg
taidanhy-1.jpg

司会・コーディネーター
𡈽井里美さん(どい さとみ)
(人文学部卒業生)
1970年富山県生まれ。信州大学人文学部国語学科卒業後、BSN新潟放送アナウンサーなどを経て、現在はラジオ日本などのラジオパーソナリティ、司会・話し方講師など多彩な活動を行う。神奈川県川崎市在住。

ページトップに戻る

MENU