高須芳雄氏(信州大学名誉教授)・笹本正治氏(信州大学名誉教授)信大的人物

信大NOW100号達成!キーマン2人に聞く

信大NOW100号達成!キーマン2人に聞く

Interview「信大NOW」創刊当時 ~高須芳雄名誉教授

広報誌「信大NOW」は1996年10月に創刊。

年3回の発行形態で始まり、20年後の今年、今号をもって記念すべき100号の発行に至りました。

発刊当時の大学の状況を、当時企画担当の学長補佐(※副学長制度以前で学長補佐2名の時代)、創刊当時の広報委員でもあられた、高須芳雄信州大学名誉教授にお話しを伺いました。(総務課広報室)

広報誌が生まれた背景は…

 全学広報誌の発刊は、学長補佐としての私の最初の仕事で、当時の小川秋實学長(第10代学長)より、是非発刊できるようにして欲しいとの要請を受け広報委員会での検討を進捗させたのを記憶しています。もともとはその先代の学長、宮地良彦学長(第9代学長)からの宿題だったとも小川学長から伺っています。大学構成員が互いに、情報を共有するために広報誌としての定期刊行物がどうしても必要だったのです。

コンセプトは「総合大学としてのメリット」…

信大NOW創刊号。裏表紙の「アートスペース」

 本学では“キャンパス統合”の是非が長らく議論されてきました。現在は結論として統合は無くなりましたが、宮地学長の時代にはその議論が続いているなか、全国的な動きもあり、「教養部」が廃止され、共通教育が始まりました。各学部から教員が松本キャンパスまで講義に出掛け、他学部の学生に授業を行ったことも、分散型キャンパスをつなぐ総合大学としての意識の形成、涵養が大事だったからです。

 創刊号の表紙に「キャンパスをつなぐ交流誌」というキャッチフレーズが載っていますように、当初の「信大NOW」は、「大学執行部の諸政策伝達」よりも、学生、教職員が他学部の状況を知るという情報共有の意味と、地域や高校、保護者を含む学外への発信の両方を満たすコンセプトに重きを置いていたと思います。地域との連携は当時から大学の理念としてありました。

信大NOW草創期の思い出…


1999年(平成11年)、文部省(当時)
優秀広報誌審査の「奨励賞」をいただく。


2013年(平成25年)3月発行の冊子、
「凛(りん)-信州知の森の文化資産」。
信州大学が保有する約100点の文化財が掲載されて
いる。

〈名称〉広報誌の名称は、各委員が名称案を持ち寄って決めましたが、最後は「信大NOWがいいのでは」という当時医療技術短大(現在の保健学科)広報委員の宮坂敏夫先生の“感性”が決め手でした。今でもこの名称は変わっていませんね。うれしいことです。

〈表紙〉創刊号の表紙には5つのキャンパスの写真がありますが、これも先ほどの話のとおり、大学がひとつになろう、という意味が込められています。

〈ボランティア特集号〉特に思い出深いのは、信州大学として組織した長野オリンピック・パラリンピックの「学生ボランティア」を特集した第6号です。献身的に支援してくれた学生ボランティアの「生の声」も載せてあり、確か文部省(当時)による国立大学を対象とした優秀広報誌審査で表彰をいただいた記憶があります。(写真)

〈アートスペース〉裏表紙の、信州大学にある絵画等の“お宝”を紹介するシリーズ「アートスペース」シリーズは「信州大学には意外とすばらしい文化財があるのだよ」との当時の小川学長の示唆から始まりました。(※平成25年3月にはこのコンセプトを受け継いだ、「凛-信州知の森の文化資産」という約70ページの文化財冊子を発行しました。)そういった新しい広報企画の協議がようやく始まった時代でした。今となれば懐かしいですね。




Profile

信州大学名誉教授 高須 芳雄(たかす よしお)氏
信州大学名誉教授 高須 芳雄(たかす よしお)氏

1967年大阪大学工学部卒業、1973年北海道大学大学院工学研究科博士課程修了、1973年山口大学工学部講師、同大助教授を経て1988年信州大学繊維学部教授。1995年信州大学評議員、1996年信州大学学長補佐、1997年信州大学副学長・評議員などを経て2009年定年退職し、現在に至る。

Interview 
地域貢献と「地域と歩む」シリーズ ~笹本正治名誉教授

2011年3月、広報誌「信大NOW」で「地域と歩む」シリーズが始まりました。

広報媒体の見直しの中から新企画として生まれたコンテンツで、市町村などのエリアごとにその地域で活動する信州大学の教員や研究を取材するシリーズでした。

前広報担当副学長の笹本正治名誉教授に当時の思いを語っていただきました。(総務課広報室)

信州大学の広報媒体を、“攻め”と“守り”の観点で見直す

※図1)ポジショニングマップで広報媒体の総合的
な見直しを行った。広報誌は右上に位置する。

 私が副学長(広報・情報担当)となった2009年、まずは信州大学が情報発信する媒体を見直すことから始めました。翌年4月から第二期中期目標期間が始まるということもあり、信州大学の広報媒体は、誰に何を伝えるものか、広報誌「信大NOW」のメインターゲットは誰か、という、より戦略的な議論から始めました。(※図1)

 広報活動には“攻め”と“守り”の2つの考え方があります。印刷媒体はじっくり読んでいただけるものですので、“事業推進系の攻めのツール”として、外部発信に主軸を置くものに位置付けました。

 さらに、ワンソース・マルチユース、という考え方で、媒体を替えての発信も強化しました。信州大学の特色を集めたスペシャルWEBサイト「信州知の森」を作り、こちらにも順次掲載していきました。

「地域貢献」をわかりやすく、コンテンツの柱に

68号に掲載の「地域と歩む」シリーズ①
まずは長野県北部の「飯山市」から始まった。

 ちょうどこのころ、「大学の地域貢献度ランキング」(※1)で信州大学は総合6位という評価が関係者間で話題になっていました。

 一つの地域の中で、人文・社会科学系の研究もあれば自然科学系の研究を行っている教員もいる…教員の研究紹介というコーナーは以前からありましたが、自治体単位で俯瞰してまとめたことはなかったので、これは面白い、ということになり「地域と歩む」シリーズが始まりました。

 期せずして、このシリーズを開始した2011年3月、東日本大震災、長野県北部地震が発生し、多くの方が被災されました。災害に対して、復興に対して、さらに安全・安心な地域づくりのために本学は何ができるか…被災地支援はもとより、緊急情報通信手段の検討、防災・減災にむけての研究などをまとめた「災害への提言」特集号(69号)は今でも忘れません。

※1)日本経済新聞社・産業地域研究所「大学の地域貢献度に関する全国調査」

キーワードは「オール信大」

「地域と歩む」コンテンツは遂に映像にも。
長野県内CATVオールキャストによる番組制作風景。

 「地域と歩む」の前身になるコーナーで、「信州の秘境、天空の里」とも呼ばれる飯田市遠山郷、上村下栗地区の「霜月まつり」を特集したのが、企画の始まりだったように思います。この祭りは国の重要無形民俗文化財であり、私の専門の山岳信仰研究対象でありますが、地域では農学部の教員が、江戸時代から伝わる伝統野菜「下栗芋(しもぐりいも)」をウイルスから守る研究を行っていました。農学部から車でも2時間以上かかる山岳地ですが、「信州大学の教職員」というだけで神事にも参加させていただける、厚い信頼感で結ばれていました。

 このように総合大学ならではの文理を問わない研究が各地で展開されていますから「オール信大」というキーワードを積極的に使おう、ということになったわけです。おかげさまで、飯山、安曇野、大町など、キャンパス所在地以外の自治体でも、実に積極的にご協力いただくことができ、この「オール信大」の特集ができました。

 地域とのつながりは、各地のCATV局にも及び、2012年の日本ケーブルテレビ連盟信越支部長野県協議会との連携協定にも発展しました。霜月まつりは2015年に祭り存続もテーマにした市民フォーラムを開催し、全県のCATV局で放送されました。地域と一体となった情報発信ということで実に感慨深いものがありますね。

Profile

長野県立歴史館館長・信州大学名誉教授 笹本 正治(ささもと しょうじ)氏

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1974年信州大学人文学部文学科卒業、1977年名古屋大学文学研究科、博士課程前期修了、1977年名古屋大学文学部助手、1984年信州大学人文学部助教授、1994年同教授、2008年人文学部学部長補佐、2009年副学長(広報、学術情報担当)附属図書館長、2016年より現職。

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