信州大学 広報対談Vol.4 信大広報、この20年。特別レポート

報道から見た信州大学の広報活動と情報発信

信州大学広報対談Vol.4 信大広報、この20年。

 広報誌「信大NOW」100回発行を記念して、今回濱田学長とご対談いただくのは信濃毎日新聞論説主幹の丸山貢一さん。長野県内のメディアを代表して、報道から見た信州大学の姿、その変遷などを語っていただきました。信州大学の広報活動、情報発信は20年前の広報誌創刊当時はどうだったのか、さらにその後、国立大学法人化を機に変わったこと、近年の記事で思うこと...など、有意義な広報対談となりました。

(聞き手:総務課広報室長 伊藤尚人)
・・・・・ 信州大学広報誌「信大NOW」第100号(2016.7.29発行)より

丸山 貢一

信濃毎日新聞社 論説主幹
丸山 貢一(まるやま こういち)さん
1955年上田市生まれ。1979年早稲田大学第一文学部卒業。同年、信濃毎日新聞社入社。長野本社編集局報道部、大町支局、軽井沢支局などで記者活動。1999年連載企画「介護のあした」のデスクを務め、日本新聞協会賞受賞。長野本社編集局報道部長、同編集局次長兼文化部長、同松本本社報道部長を経て、2012年10月から論説委員、2014年4月から論説主幹。信濃毎日新聞1面のコラム「斜面」、3面の社説などを執筆している。

濱田 州博

信州大学長
濱田 州博(はまだ くにひろ)
1959年兵庫県生まれ。1982年東京工業大学工学部卒業。1987年同大学院博士課程修了。1987年通商産業省工業技術院繊維高分子材料研究所研究員。1988年信州大学繊維学部助手。1996年同助教授。2002年より同教授。2010年より繊維学部長。2012年より副学長。2015年10月より同職。




─広報誌「信大NOW」が創刊された1996(H8)年頃、信州大学はどのような時代でしたか。創刊時の編集委員で、当時学長補佐(後の副学長)であられた高須名誉教授にも少しお話を伺ってきました。創刊号を眺めながらお二人に当時を振り返っていただきます。


濱田州博学長(以下「学長」) 高須芳雄先生が信州大学に赴任された年に、私も信州大学に赴任しました。1988(S63)年です。とても懐かしいですね。高須先生のお話どおり、広報誌発行の主目的は、学内の情報共有だったと思います。信州大学は各キャンパスが離れており、それぞれの歴史を刻んでいるので、なかなか他のキャンパスの様子が分からなかった。
 そして、キャンパス統合の議論も覚えています。確か佐久とか軽井沢の方に移転するという話もあったようにも伺いましたが、結局、コストや各キャンパスの地元の強い意向ということで今の姿に落ち着いたと思います。
 特に学生のウェイトは大きかったはずです。例えば現在、松本キャンパスに通い一人暮らしをする学生の数は松本市の人口の約2.5%にも及んでいます。他のキャンパスもやはりその地域の1%近く。やはりキャンパス移転は地元が「NO」ということになります。


丸山貢一さん(以下敬称略) 確かにそうですね。学生たち若い世代がそこに暮らしているということで街に活力が出てきますからね。
 創刊号の後半誌面に、信州大学に関する新聞記事の掲載日時、タイトルなどが紹介されています。数えてみたら信濃毎日新聞関連が半年で30件程度です。現在、信州大学に関する記事の多さはこの比ではありません。ちなみに信毎のデータベースで「信州大」をキーワードに検索すると、今年4月の1カ月で約30件。ほぼ毎日掲載ですね(笑)。過去の記事を合わせると全体では3万件以上ヒットしました。信州大学は県内有数の情報発信基地とも言えます。


学長 ありがとうございます。日々のご協力の賜物です(笑)。丸山さんはその頃、社内では、どのようなお仕事をされていたのですか。

丸山 貢一 信濃毎日新聞社論説主幹

「流れから一歩ひいて見ることができる
そういう人がいる社会は強靭でしなやか」(丸山)

丸山 当時は記者を卒業して長野本社報道部のデスクをしていました。1994(H6)年は信州大学医学部の前身、松本医学専門学校が誕生してちょうど50周年という節目の年でしたから、医学部の歴史や業績、当時の最先端医療などを別刷りで特集しました。それがデスクとしての最初の大きな仕事でしたね。信州大学との最初の御縁でもありました。


学長 そうですか。その2年後の1998(H10)年には長野オリンピックがありました。本学が組織した学生ボランティアについてはご存知ですか。県内でも初めての試みだったということで話題になったようです。
 信州大学はそれまでの冬休みの期間を、この年は2月のオリンピックに合わせてかなり短くしました。それが今でも続いています(笑)。


丸山 オリンピックの担当デスクもしましたのでよく覚えています。当時の記事の見出しは「支える信大生1600人」でした。県内ではそれまでボランティアという文化がなかった。五輪は長野県の「ボランティア元年」ともいえます。これをきっかけにボランティアをしてみようという空気が強くなり、その後のスペシャルオリンピックスなどにもつながりました。信州大の学生も大きな役割を果たしたのではないでしょうか。


学長 そして、翌1999(H11)年には信州大学設立50周年の節目を迎えました。新生の国立大学はほとんど1949(S24)年の設立です。
 また、当時の広報誌を見ていたら「研究者紹介」で私の記事が出ていました。全く記憶がないのですが(笑)、当時は助教授時代です。この頃は学内に向けて、どこの学部の教員がどんな研究をしているという情報は貴重だったのですね。



丸山 信州大学設立50周年も信毎は特集を組みました。広報誌の「研究者紹介」はタコ足キャンパスならではの苦労ですね。



学長 分散型キャンパスは人の行き来も盛んです。共通教育の全学教育機構には、1年生に教えるために各学部から教員が応援に来ていました。私も教授になってから5~6年にわたって1つの科目を担当し、毎年250名ぐらいが受講していました。



丸山 キャンパス間はどのように連絡を取り合っていたのですか。



学長 マイクロ波通信を使った初期の遠隔講義システムがありました。テレビ会議の走りですね。平成の始め、工学部(長野)と繊維学部(上田)で作る大学院工学系研究科に博士課程ができ、授業ができるツールが必要になったからです。美ヶ原に中継所があり、電波を飛ばして授業ができる体制を組みました。通信速度は非常に遅かったので苦労しましたが(笑)。


─この後、大学の多様化・個性化に向けた取り組み、そして国立大学法人化など…大学改革が大きく進むことになったと思いますが。


学長 当時から言われていたのは大学の機能分化や強化。それらは現在の「国立大学の三つの枠組み」という形になってまとまった感があります。また、「指定国立大学法人」という制度も創設されます。今までより少し自由度が増え、そこだけ別の取り組みができるような権限が与えられる一方、外部資金確保の命題も与えられ、来年から変革が進んでいくことになります。


丸山 国立大学も「選択と集中」を迫られたということですね。当時の社説を読んでみると、改革が良いことだという評価と、心配だという両面を指摘していました。運営費の配分に絡む話が出てきて、ランク付けなどで選別されていくのは、大学本来のあり方からはずれるのではないかという懸念が、当時はかなりあったようですね。


濱田 州博 信州大学長

「リテラシーは時代とともに変わる。
新しいリテラシーを作るのは大学だと思う」(学長)

学長 そうですね。そして2004(H16)年に国立大学法人化という大きな節目を迎えました。教育・研究が大学の大きな使命ですが、それに加えて「社会貢献」が3本目の軸として明確にされたのが法人化以降だと思います。もちろんそれまでも「社会との連携強化」という命題はあり、信州大学は多くの地域貢献を果たしていたものの、大学の組織レベルの活動ではなく、活動を発信もしていませんでした。今は組織で行うものに変わってきています。“鳥マーク”と呼ばれるシンボルマークもそのときに作られたもので「新しく生まれ変わった信州大学」の象徴になったと思います。


丸山 国立大学法人化にはいろいろな課題もあったと思いますが、新しいことに挑戦できるという土壌ができたのでしょうか。当時の新聞をみると、結びで「信大がんばれ」と書かれた社説が載っており、新たな挑戦への社会の期待が垣間見えました。国立大学にとって、本当に大きな転換だったと思います。


学長 そうですね。ここから大きく変わりました。さらに昨年は国立大学法人法の改正で、教授会が審議機関になりました。それまでは決定機関でした。決定機関の位置づけが明確に変わったことも、国立大学法人化以降の歴史の中で大きなことですね。


─そのような変化の中で、信州大学も地域広報が必要だという認識が強くなりました。新聞記事と信州大学、記憶に残るものはありますか。


丸山 私は2008(H20)年に松本本社の報道部長に着任しました。地球規模のテーマを地域から発信できないか、それに関連したキャンペーンができないかとずっと考えていて、行きついたのがエネルギー問題。中信、南信(長野県の中部・南部)地方は再生可能エネルギーの開発や普及に関してかなり芽が出ており、これを広く伝えたいと思い、風土に根差したエネルギー、「風土エネルギー」というタイトルを考えました。紙面で連載記事を展開したのに加えて、学生などこれからの世代にも考えて欲しいテーマですので、連動するキャンパスフォーラムを人文・経済学部棟の教室で開きました。2010(H22)年のことです。


学長 大学も共催し、教員や学生も協力したようですね。


丸山 ありがとうございます。環境ISO学生委員会に協力いただき、学生も巻き込みながら「レッツエネルギー革命、信州の風土から」というタイトルで実施しました。多くの市民も参加してくださいました。福島の原発事故の前年ですので、今振り返っても実現して良かったなと思います。


学長 信濃毎日新聞社による寄付講義が始まったのはこの頃でしょうか。


丸山 2009(H21)年から始まりました。私も過去3回教壇に立ちました。いつも緊張しますね。学生の真剣な目には圧倒されます。
 学生には新聞を読んで欲しいし、新聞記者を志して欲しいという思いもあって私は講義内容を考えました。信濃毎日新聞社には信州大学の卒業生が多いのですが、最近は志望してくれる学生が少なく、残念です。


学長 信州大学を取材する中で他に何か感じることはありますか。


丸山 そうですね、私は直接取材をしていませんが、仲間の記者たちが取材して書いた記事を読んで、“研究者の良心”というようなものを感じています。例えば、あのチェルノブイリの原発事故直後から信州大学医学部がベラルーシの小児白血病の子どもたちに医療支援を始めました。近年ではイラク人女性医師のリカーさんを受け入れておられます。リカーさんは、イラクで白血病の治療をしていましたが、宗教的な迫害を受けて脱出してこられた方。信州大学医学部が受け入れられて、遺伝子解析から白血病の治療法を見つけ、普及しようとバックアップされていますね。


超小型人工衛星「ぎんれい」御礼広告

2013年(平成25年)1月 工学部発、長野県初の超小型人工衛星Shindai Satの愛称が「ぎんれい」に決定。愛称の応募者に向けた御礼広告。

学長 リカー先生と医学部の姿を良く伝えてもらいありがとうございました。地域から世界に貢献することができたという話ですね。
 また、私が印象に残っているのは、繊維学部創立100周年の際の信濃毎日新聞社との共同作業でした。ちょうど学部長になった年で、いろいろな周年事業を記事にしていただき、全面広告でも斬新な企画で広告賞をいただきました。
 また、工学部発、長野県初の超小型衛星「ぎんれい」についてはプロトタイプ制作時から、2012(H24)年に始まった愛称募集のキャンペーン、さらに衛星が宇宙に打ちあがり、やがて消滅するまで一貫して報道していただけました。ありがたいことです。今、航空宇宙関連は工学部のロケット開発を中心に展開しています。


丸山 話題の「SUWA小型ロケットプロジェクト」ですね。「ぎんれい」で長野県の産学連携の高い技術力が証明されたのではないでしょうか。


─本学は情報発信を積極的に行い、広報コンテンツも増えた大学になったように思いますが、外から見ていかがですか。


丸山 信州大学は「大学の地域貢献度ランキング(※1)」で4年連続総合1位なのですね。


学長 いろいろな項目について評価されている訳ですが、この1つに産学連携があります。企業や自治体との共同研究や受託研究の数はかなりありますから。


丸山 繊維学部の構内にはAREC(浅間リサーチエクステンションセンター)がありますね。「信州若者1000人会議(2014年)」の主催者になっていて注目する動きです。ここから生まれたネットワークはとても大事で、地方を変えていく良い試みだと思います。


学長 ARECは上田市が建設し、建設費用を経済産業省と長野県で拠出しています。産学連携施設として実証実験の場になっていて、最初から自己採算制をとっています。レンタルラボも当初からほぼ100%で推移していますから、その賃貸料と210社以上の会員企業の会費等で運営できています。


丸山 他のキャンパスでも産学連携はかなり進んでいるようですね。


「信大NOW」全県版拡大号vol.16

2015年(平成27年)11月 広報誌「信大NOW」の全県拡大号vol.16。信州大学の教育・研究・地域貢献の活動を、地域に紹介するため2008年(平成20年)から掲載を行っている。

学長 長野(工学)キャンパスには「ものづくり振興会」があり、ここ松本キャンパスには「信州メディカル産業振興会」、伊那キャンパスには「アグリ・イノベーション推進機構」などがあり、各キャンパスでそれぞれの地域特性に合わせ、企業・自治体との産学官連携が進められています。


丸山 社会貢献とは、より良い社会に変えるために何ができるかということだと思います。世の中の全てが企業の市場原理だけで動くわけではありません。多様な個性を育て、多様な人材を社会に送り届けることが教育本来のあり方です。企業に貢献できる人材をという要請が非常に強いと思いますが、バランスが大事だと思います。信州大学としてしっかり見極めてもらいたいと思います。


学長 産学官連携はあくまでも特色の一面です。生涯学習を支援する「市民開放授業」や「出前講座」の件数の多さも評価されています。社会貢献のためには地方自治体との連携も深めていく必要があるので、私自身これから県内の市町村を回り話を伺っていこうと思っています。


丸山 学長が地域に出て行かれるのですか。


学長 例えば学部間の連携協定を大学間協定に変えて、多面的なバックアップができるようにしたいと思っています。そのような要望はいくつかあると思います。


丸山 大学のあり方でもう1つ気になっていることがあります。軍事研究との兼ね合いです。軍事転用の検討委員会を作ろうということで、日本学術会議が見直しの方向を示していますね。戦後、日本では科学は軍事と一線を画すということできたわけです。信州大学の場合も行動規範にその旨を掲げていると思いますが、軍事技術の開発に結びついていくかどうかをチェックする仕組みづくりが必要ですね。


学長 研究については審議組織ができていて、最後は学長判断までいく仕組みになっています。大きな研究ファンドは大学決定ですので、軍事に結びつくような研究に対しては申請しない方針です。ただ、最終的にどうなるかわからない研究まで規制すると、研究自体ができなくなってしまう。判断が難しいところです。

※1)日本経済新聞社・産業地域研究所「大学の地域貢献度に関する全国調査2015」


─信州大学運営の基本方針として3つの「G」と3つの「L」を決めていますが、これについてどのような意見をお持ちですか。


丸山 3つの「L」の中にリテラシーが入っていますが、非常に大事な言葉だと思います。語学とか情報とか歴史とか、いろいろな教養を身につけて活用能力を培うのだと考えると、大学教育は非常に大切だという気がします。
 学生がいろいろな物事や出来事を客観的に判断する力を身につける、いわば「批評眼」を持つ。情報を的確に読み解いて判断するという意味でメディアリテラシーがあります。新聞社もメディアリテラシーを身に着けてもらおうという取り組みをしています。大学教育の目標としても、こうしたリテラシーを身につけることは大切だと思います。


丸山貢一 信濃毎日新聞社 論説主幹と濱田州博 信州大学長

「大学の役割は、今社会に存在しない職業にも応用できる能力を学生の身につけること」(学長)

学長 そうですね。リテラシーは時代とともに変わっていきます。研究などを通じて新しいリテラシーを作っていくのも大学の役割だと思っています。


丸山 世の中が専門化してそれぞれの分野を深めていくと、最後にはタコツボ化して、全体がよく見えなくなります。リテラシーという客観的なモノサシを持って見ていけばこの現象が防げるのではないでしょうか。また、世の中が1つの方向に進むとき、流れから一歩引いて見ることができる人がたくさんいる社会は、しなやかで強靭です。信州大学は、そういう学生を是非どんどん育てて欲しい。


学長 大学の本当の役割は、今社会に存在しない職業にも応用できる能力を学生に身につけさせること。そこが専門学校と違うところだと思います。そういう理念を大学が明確に持っていないといけません。


丸山 そこで多様性が大事になってきますね。


学長 まさに「信州大学ダイバーシティ」ですね。例えば東京都内にある大学の悩みは、学生の出身地が関東中心になってきたことだそうです。東京工業大学の学生8割、早稲田大学は7割5分が関東出身者だと聞きました。
 一方信州大学は、全国から学生が集まります。今年は県外の関東甲信越から29%、東海が20%、近畿が8%です。北海道だけでも1年に50人位が来ますから、北から南までまんべんなく若者が集まり、多様な文化が融合しています。


丸山 それは大きな強みですね。ある新聞記事によると、東大、東工大、一ツ橋、早稲田、慶応の5大学では、この10年間で首都圏の高校出身者が増えて、全体の5割から8割近くになっているそうです。私は早稲田出身ですが、私の学生の頃は全国各地からいろいろな人が来ていました。地域が違うと習慣や考え方が違いますから、違いに触れるたびに刺激を受けた記憶があります。だから今の首都圏のキャンパスというのは面白みがないと思いますね。


学長 関東出身、なおかつ実家から通える範囲の学生が多いようです。だからみんな授業が終われば家に帰らざるを得ない。信州大学生は一人暮らしが始まりますので、そこでいろいろなことが起こる。


丸山 つまり、いろいろな文化を持つ人と交流できる。


学長 そういうことです。また、卒業後も長野県に残ってくれる人も多いのが特徴です。人の循環も大学の役割の1つですから、その役目を果たしていると思います。信州大学の卒業生は多様な文化から自立心も育まれ、自分なりの考えを持った人材が社会に出ていっているということではないでしょうか。

─信大生に期待することは。


丸山貢一 信濃毎日新聞社 論説主幹と濱田州博 信州大学長

「異なる他者との触れ合いが対話力やリテラシーを育てる」(丸山)

丸山 新聞離れが深刻だと思っています。情報をスマートフォンで得る人が多いですが、是非、新聞の良さを知って欲しい。ビッグデータの時代では蓄積されたある人物のデータを解析して、その人の趣味嗜好を予測して好みにあった情報をサイトに送ることができる。


学長 自動的に好みに合った情報が送られてくるということですね。


丸山 ある専門家のインタビュー記事によれば、自分の好みの情報に囲まれることを「フィルターバブル」といって、とても快適になるそうです。が、半面では自分と異なる他者の見解や価値観に触れずに生きていく結果になる。民主主義というのは異なる他者と触れ合い、対話して1つの結論にもっていくというプロセスが大事な訳ですが、異なる他者との出会いがなくなれば対話もできなくなってしまう。すると出会いがあってもそれが鋭い対立になりがち、という懸念が生まれます。


学長 好みの情報だけに囲まれていると、違う価値観を排除することにつながるということですね。


信濃毎日新聞

丸山 新聞というオールドメディアは情報の寄せ鍋だと思うのですが、読み手の好みとか、読み手に合わせるということも価値判断の中では行っています。しかしそれだけではなく、この情報は是非知っておいて欲しい、というものも入れている。受け手にしてみれば好みに合わない情報も当然あるわけですが、知っておかなければいけないニュースがあると思うのです。


学長 異なる他者との出会いという意味でも新聞の価値はあるということですね。


丸山 そうです。それを学生にも知って欲しいと思います。新聞はプロの編集者が過去のいきさつを踏まえ、今の世界の動きの中でこれはニュース価値があると判断したもの、しかも見出しの大きさや扱いなどの格付けをして表現している訳ですから、それを参考にしてもらいたいと思います。読むことが習慣になれば、リテラシーの力、物事を判断する力が自然とついてくると思っています。


学長 われわれの専門分野にも専門誌があります。今は電子ジャーナルなのでキーワードを入れれば必要な情報が取り出せます。昔はパラパラとめくって情報を探していたのですが、そうすると専門とは違うけれど、使えるかもしれないという情報が目に入ってくる。スマートフォンだとターゲットしか目に入ってきませんから、その違いは大きいと思います。


丸山 アナログ的なものというのはどの時代でも必要ですね。


丸山貢一 信濃毎日新聞社 論説主幹と濱田州博 信州大学長

学長 我々も専門の幅を広げるという意味ではそういう部分が必要だと思います。本を探すにも本屋さんに実際に足を運んで見ているうちに違うものが目に入りますから。


丸山 パソコンで何でもできるので、逆にクリエイティビティーがなくなったと感じる人もいるようですね。


学長 昔は図を描くときも手で清書していたのですが、その間にいろいろと考えをめぐらしていた。どうも最近考えをめぐらすことがないと感じるのは、パソコンのせいかもしれません(笑)。便利さと裏腹ですね。


─「信大NOW」の創刊100回記念を切り口に、大学や社会が抱える多様な問題にも話が及び、興味深い対談になったと思います。本日はありがとうございました。

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