スペシャルレポート

山岳科学研究のメッカを目指して

中国山東省・泰山学院のシンポジウム「東亜山岳文化研究會」に参加
泰山学院の会場
中国山東省泰安市の泰山学院会場。
3カ国から大勢の研究者が詰めかけた

中国山東省・泰山学院のシンポジウム
「東亜山岳文化研究會」に参加

 中国・韓国・ベトナム、それに日本の研究者が集い、東アジアの山岳文化について意見を交換する東アジア山岳文化研究会が5月25日から3日間、中国山東省泰安市の泰山学院を主会場に開催された。日本は信州大学から、笹本正治副学長・人文学部教授、鈴木啓助山岳科学総合研究所所長・理学部教授、土本俊和工学部教授、梅干野成央工学部助教らが参加した。
(文・毛賀澤 明宏)


・・・・・信州大学広報誌「信大NOW」第76号(2012.7.31発行)より

TOPICS テーマは「東アジアの名山と世界遺産」

中国・韓国・ベトナムから研究発表

 今回の研究会の主会場である中国の大学=泰山学院は、その名のとおり、中国の名山=泰山のすぐ近くにある。泰山は、ユネスコの世界遺産にも登録されている中国人ならば誰でも知っている山で、道教の聖地である「五岳(五つの山)」のうちの最高峰と讃えられている。
 そこで開催された今回の研究会のテーマは「東アジアの名山と世界遺産」。泰山学院の研究者らが中国の歴史・文化・思想との関係で、世界遺産=泰山が持つ文化的位置に関わる研究内容を報告した。
 韓国から参加したのは、昨年の第一回研究会を開催した慶尚大学や順天大学等の研究者で、韓国南部、全羅南道、全羅北道、慶尚南道にまたがる広大な智里山(ちりさん)についての研究を報告。
 古くより山岳信仰が盛んで有名な仏教寺院も多いが、特に豊臣秀吉の朝鮮半島侵略や、戦前日本の韓国併合の際などをはじめ、幾多の国内外の争いごとの際に、祖国防衛に燃える人々の抵抗の拠点となり、韓国の人々のアイデンティティの拠り所となっている智里山の文化的位置等を話した。
 また、今回初めて参加したベトナムの社会科学院の研究者は、ベトナム北部にある安子山について、朱やシナモン等不老長寿薬として珍重される産物が豊富で、13世紀初頭よりベトナム陳朝により仏教の聖地として深く信仰してきた歴史が、現在のベトナム文化に大きな影響を与えていることを解説した。


信大は、笹本教授(副学長)・土本教授が講演

 これらを受けて、日本からは信州大学の笹本教授が「富士山と世界遺産―信仰と芸術の山―」と題して、日本における富士山の文化的・芸術的位置について話した。
 また、山小屋等山岳建築を、建築工学的視点だけでなく、山岳における生活・信仰・レジャーなどの文化的側面の歴史が刻印された文化遺産として捉えるという独自の視点から、工学部の土本教授が講演。梅干野助教も紙上報告を行った。
 この東アジア山岳文化研究会は、韓国の慶尚大学慶南文化研究院の張源哲院長の呼びかけにより2011年より開催されているもので、昨年の韓国に続き、今年の中国が2回目。2013年度には日本の信州大学での開催が決まっている。
 山岳を自然科学的にだけでなく文化的・社会的にも捉える視点が、欧米では弱いが、日本・韓国・中国など東アジアには共通して存在する独特の視点であるとして、その相互交流と研究の発展を目指して開催されている。


東アジアの独自の視点=山岳文化「共生の時代」の鍵を握る 

笹本 正治 副学長・人文学部教授に聞く
笹本 正治 教授

「 山岳文化研究」の独自性は?

 韓国では張源哲先生が最初に提唱したが、日本には以前よりこの領域の研究はあった。修験道などの山岳宗教の場として、山塊に暮らす人々の労働や生活の場として、そして近世以降は観光やスポーツの場としても山岳は大きな役割を果たしてきた。絵画や文学など芸術の対象・素材としても大きな役割を持ってきた。山岳を、このような人間生活や文化の場と捉え、人文科学の視点から研究しようというのは極めてアジア的な発想であると思う。ヨーロッパの精神において山岳は、チャレンジして頂上を極める「征服の対象」であるか、せいぜい「魔の山」。しかし、東アジアでは、昔から「聖なる山」であり「名山」である。文化的・芸術的位置づけが、欧米とアジアでは、かなり違うように感じる。


泰山


山の風景

研究の現代的意義は どこに?

 「3.11」は、ヨーロッパに端を発した科学的合理主義の文明の限界をさらけ出した。文明の転換点が到来していると思う。もちろん、自然科学的な視点から山岳の地質構造や気象状況、植生や生物分布、それらの推移と形成史などを研究することは現代の知的思考においては不可欠だ。しかし、それらの山岳の自然的な面を人間社会とのつながりにおいて捉えようとする時に、「山岳文化」という視点が必要になる。ヨーロッパの山岳研究には、この視点が歴史的に弱かったように思う。「地球環境との共生の時代」が言われ、化石燃料・原発から再生可能型エネルギーへの転換が叫ばれている現在だからこそ、ヨーロッパ発の近代文明の陥穽を埋め、相乗的その発展を可能にする「アジアの思考」が必要だ。「山岳文化」はその糸口となるかもしれない。


信大が目指すものは?

 信大には、日本で唯一、世界にも誇るべき山岳科学総合研究所がある。だがこれまでは「総合」と冠していても、どうしても研究内容は自然科学系に力点が置かれてきた。これは私たち人文系の研究者の努力不足に起因するものであると思う。この点を克服したい。来年の東アジア山岳文化研究会の信大開催等を通じて、これまでも活発に進められてきた自然科学系の山岳研究と肩を並べられるような人文・社会系の「山岳文化研究」の充実を図り、「共生の時代」にふさわしい山岳科学研究のメッカになることができれば―と思う。



人文・社会的側面強化し山岳科学総合研究所の充実を

鈴木 啓助 教授
信州大学 山岳科学総合研究所長・理学部 鈴木 啓助 教授

 信大の山岳科学総合研究所は、日本で唯一の山岳科学に関する研究所だ。「豊かな信州の自然と社会をフィールドとして調査研究し、自然と人間の共生を追求する新たな関係の構築」を目標に掲げ、山岳環境科学、地域環境共生学、山岳環境創生学、山地水域環境保全学、山岳文化歴史、高地医学・スポーツ科学の6つの部門を持つ総合研究所だ。

 欧米では山岳研究が南極や北極等の極地研究と同じジャンルのように扱われていることが多くそこでの山岳研究は自然(気象・地形・地質・動植物など)の側面に特化している傾向が
ある。

 その点、信大では、環境保全や水の利用、山岳文化、スポーツ・医学という幅広い視点から〝山〟岳を研究しようとしており、こうした総合的視点は、世界に誇りうるものだと考える。


 今回、東アジア山岳文化研究会に参加し、また、来年は、日本開催を受け入れることになっているわけだが、これを良いきっかけにして、山岳研究の一部門である山岳文化の領域をより充実させていければ幸いだ。

 現代は、世界中のどの地域でも、「自然と人間」のバランスを保つことが問われている。自然科学的な視点と人文社会的な視点とを両輪として、世界の山岳研究に貢献して行きたい。

【講演Ⅰ】 富士山と世界遺産 ─信仰と芸術の山─

笹本 正治 教授
信州大学人文学部
笹本 正治 教授
(広報・情報担当副学長・附属図書館長)

 富士山の世界遺産登録に向けての現状と、富士山の背後にある山岳文化を報告する。
 日本が「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約」を批准した2年後の1994年には、富士山を世界自然遺産に登録しようと240万人もの署名が集まった。しかし、周囲の状況などから達成されず、富士山を世界遺産に登録するためには自然遺産以外の道を探らなければならなくなった。

 2000年に日本の文化審議会が「富士山は文化的景観として評価できる」としたことをきっかけに、文化遺産としての登録を目指す動きが強まり、2007年には富士山は暫定リストに登録された。2009年には「富士山―信仰と芸術の源―」と題された運動の公式本が出版され、翌年には学術委員会において「信仰」「芸術」「景観」の3つの評価基準をもって富士山の普遍的価値とすることになった。そして、2011年7月末に、静岡県と山梨県の両知事から文化庁に文化遺産登録推薦書原案が提出された。

 富士山は火山で、その爆発は人々の生活に大きな影響を与えた。そうしたこともあって、富士信仰は原始時代にまで遡り、平安時代初期には富士浅間神社が祀られた。その後、富士山が修験道の修行の場となり、室町時代には村山口、吉田口などの登山道も開かれ、富士山は登拝の対象となった。各登山道の起点には信者のための祈祷や宿泊などを助ける御師が住んだ。17世紀になると長谷川角行を開祖とする「富士講」ができ、18世紀の食行身禄などの布教活動により発展した。富士山は日本人にとって、古来より神仏が住む、信仰の山なのである。

 富士山を詠んだ和歌は日本最古の歌集である『万葉集』に見え、富士山の伝説は『常陸国風土記』に記載されている。また日本最古の物語である『竹取物語』も富士山を舞台とする。この他、古代から現代に至るまで富士山を素材にした文学は枚挙にいとまない。

 また、平安時代後期(11世紀)に制作された「聖徳太子絵伝」など、富士山は古代から現代まで絵画の素材ともされてきた。特に江戸時代に葛飾北斎や歌川広重などによる浮世絵には、様々な視点からの富士山の姿が活写されている。彼らの芸術はヨーロッパの印象派にも大きな影響を与えた。写真でも富士山を扱ったものは多い。

 富士山を歌った歌は日本著作権協会からの検索で119曲もある。とりわけ文部省唱歌「富士山」はよく知られている。

 このように、富士山は日本人にとって最も親しく、生活に根ざした、特別な山であり、日本文化の基底の一つをなしている。そして、富士山を素材とする文化は世界にも影響を与えたのである。

【講演Ⅱ】日本アルプスにおける山小屋再生の実践

土本 俊和 教授
信州大学山岳科学総合研究所
土本 俊和 教授( 工学部建築学科)

世界の山岳地域には
【1】人類の手つかずの山岳地域
【2】人類が居住域を拡大していく過程での山岳地域
【3】近代登山以降の登山家による山岳地域
【4】フィールド科学者による山岳地域
【5】山岳観光による山岳地域
の5つに分類できる。

 これと、山岳建築という人工物との関わりを考えると、【1】の「手つかずの山岳地帯」には人工物はないとはいえ、その地域の下には建物が立地しているから、ここは【2】の「居住域を拡大していく過程の山岳」の外に残された領域ということになる。【2】の「過程の山岳」には山村や都市が立地しているが、その場合、【1】の「手つかずの山岳」が信仰の対象になっていることが多い。山岳信仰とそれにともなう宗教施設や宿泊施設が【2】の山岳には見られる。
【3】の「登山家による山岳」には山小屋があり、特に近代登山が盛ん地域ほど多い。【4】の「フィールド科学者による山岳」では重要な観測地に研究施設が立地している場合が多い。

 最後に【5】の「山岳観光による山岳」は多数の事例があるが、多くは山岳信仰(【2】)ないし近代登山(【3】)から出発し、そのごくわずかが山岳地帯の環境を理解しようという科学的動機(【4】)から出発していると言えよう。しかし、かつては信仰によって価値づけられてきた山岳地域を、地球環境の一部として科学的に理解しようという動機は重要で、こういう動機による山岳観光は単なる「物見遊山」ではない。ここで重なのは、五感と連動した知性だ。

 このことから項目ごとに大切な点を明記すると、【1】人類の手つかずの山岳地域の保全、【2】山岳信仰を伴う人類の生活の場としての山岳地域の保全ならびに再生、【3】近代登山を起源とする登山文化の継承と発展、【4】山岳地域の科学的研究の継承と発展、【5】山岳観光の進化、山岳観光地の保全ならびに再生―ということになる。

 日本アルプスで3つの山小屋(北アルプス・徳本小屋、中央アルプス・西駒山荘、南アルプス・塩見小屋)の再生を進めているが、このような考察を踏まえて、それぞれの小屋の特性を活かし発展支えることを目指している。特に山小屋であるから、● 過酷な環境に耐える堅牢さ、● 山岳景観との調和、● 自然環境との調和、● 古い建物の調査・記録と古い営みの把握、● 古い“いとなみ”を継承していく建物であること―などが求められる。

【報告要旨Ⅰ】 近代登山を契機とした日本アルプスの山岳建築

梅干野 成央 助教
信州大学山岳科学総合研究所
梅干野 成央 助教( 工学部建築学科)

 山岳は、信仰の場として、また、生業の場として、古くから人の暮らしと関わってきた。そのため、神を祀る社や仏を安置するお堂、また社や堂の巡礼者が体を休める建物が建てられ、食材・薪炭材建材等の資源も豊富で、それら資源を得て生活した猟師や木樵などの小屋も無数に建てられた。近代になり、近代登山の文化が普及すると、山岳の中には、登山者の休憩、避難、宿泊を用途とした山小屋が続々と建てられた。

 山岳に厳しい自然がある一方で、人は山岳の中に建物を建て続けてきたのであるが、そこで育まれてきた建築の文化、つまり山岳建築の歴史的文脈は体系的に把握されてこなかったと言える。ここでは、日本の近代登山発祥の地として知られる北アルプスの山小屋について、日本山岳会が1930年から1989年まで発行した「山日記」から情報を収集し、これを通史的に分析することで、近代登山を契機とした山岳建築の歴史的文脈を概観する。

 日本における近代登山の普及の大きなきっかけになったのは1905年の日本山岳会の発足である。その山岳会が1930年から60年近く発行し続けた登山手帳「山日記」は、近代登山に関する情報が網羅的に記されており、かつ、毎年更新されてきた、近代登山の歴史を物語る極めて重要な資料の一つである。

 その中で山小屋一覧に注目すると、当初(1930年の発刊時)は、山麓の旅館、水力発電所建設のための作業小屋、岩小屋などをすべて除外し、極めて厳密に「山小屋」という概念を使っていたにもかかわらず、5年後には作業小屋や岩小屋の一部を加え、10年後には山麓や登山口の旅館も「今後成るべく載せて行く」としているように、「山小屋」の概念が拡大的に解釈されていったことが分かる。この時期は、山小屋の棟数・収容人数共に急速に増加した時期と重なる。

 こうして増加した山小屋の中には、開設年代が記されていない山小屋が多くあるが、それらは近代登山が普及する以前より、猟のための狩小屋とか、木材生産のための杣小屋として利用されていたものや、信仰登山のための宿泊施設を原型としたものが多い。

 このような経緯をみると、近代登山が山岳建築の発展の一つの契機になったことは明らかだが、それは、近代登山以前の信仰や生業の文化を複合的に編纂するなかで形づくられたものであり、近世以前から育まれてきた建築との連続的な視点で捉える必要性が浮き彫りになっている。

山岳文化の交流 母国を見直すきっかけに

信州大学国際交流課(国際交流センター)職員 馬 佳琳 さん

馬佳琳さん

 私は中国河北省の出身で、留学生として信大経済学部を卒業しました。いったん中国に戻りましたが、2008年から信大の職員として働いています。今回はたまたま中国を案内できる職員はいないかということで同行することになりました。おかげで、名前は知っていたけれど登ったことのなかった泰山に初めて登ることができ、これも山国・信州で働いているからなのかと不思議な縁を感じました。東アジアの人々が、自分の国の「名山」を通して相互の理解を深めることができたら、実りある国際交流が広がるような気がします。

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