共通教育科目「環境マインドを現場で体験するゼミ(熱帯雨林)」
担当教員:学術研究院(総合人間科学系)准教授 金沢 謙太郎[全学教育機構 環境社会学・環境人類学]
日 程:後期集中(例年2~3月中の10日間前後)
参加者:学部生10名前後(1~4年生)
訪問先:マレーシアのサラワク州(ボルネオ島)の農山村、及びマレーシア・サラワク大学
熱帯雨林の地へ
熱帯雨林の乱伐によりマレーシアの森は相当なダメージを受けていますが、相変わらず木材輸出の最大相手国は日本であり、安価な家具などに使われています。伐採後に植えられたアブラヤシから採れるパーム油も大量に日本へ輸出され、お菓子や洗剤など、食品や日用品に多用されています。
全学教育機構の金沢准教授が担当する教養科目「熱帯雨林と社会」では、熱帯産の様々なものを切り口に熱帯雨林の自然と人との関わりを考えます。この授業を履修した中から10名ほどの学生が教養ゼミ「環境マインドを現場で体験するゼミ(熱帯雨林)」に参加し、ボルネオ島で演習を行っています。
演習は、国際協力の分野で使われる「参加型農山村調査法:PRA」で、現地住民に参加してもらって生計や生活について情報を集めて分析し、ニーズや課題を探るという手法です。出発前には6回ほど勉強会を開き、マレー語やPRAの訓練をして準備します。
2015年度の演習地はサラワク州の奥地、農耕民カヤン人の村ロング・ブディアン村と、狩猟民プナン人の村ロング・ウィン村。2016年度は同じく、農耕民クラビット人村のロング・ララン村と狩猟民プナン人村のロング・クパン村、2017年度は同じく、観光業に従事するブラワン人の多いムルと狩猟民プナン人のロング・イマン村、2018年度は同じく、農耕民サバン人の村ロング・バンガ村と、狩猟民プナン人のロング・ラマイ村。それぞれの土地で学生たちは、環境・文化・開発という3つのテーマ別の班に分かれて調査し、報告会を行いました。
失われた熱帯雨林、姿を消した野生動物
マレーシアの奥地へ行くには、クアラルンプールから飛行機で2時間、さらに車やボートを乗り継ぎながら6時間ほどかけて辿りつきます。准教授は「時間をかけて行く、そのプロセスが面白い」といいます。4WDに乗って走れば、延々と続くアブラヤシのプランテーションが見え、濁った川でボートに揺られていると何隻もの木材を運搬する船に出会います。アップダウンの激しいジェットコースターのような悪路に悲鳴を上げる学生たち。准教授が20年以上現地へ通い続けた経験とネットワークを活かし、「学生の体力、食事、衛生面などを考慮した中で見せられる一番広い世界」を企画したゼミです。開発によって失われた熱帯雨林の膨大さ、姿を消した野生動物に思いを馳せながら、一行は演習地に到着しました。
「神のおかげで開発が進んだ、幸せだ!」
ロング・ブディアン村のインタビューで学生たちは一様に驚きました。熱帯雨林を減少させる開発は“悪”だと思っていたのに、人々は揃って「開発は何の問題もない」「very very happy」と言っていたのでした。開発のおかげで村には病院も学校もできた、伐採のあとにできたアブラヤシのプランテーションによって収入が増えて村は豊かになったといいます。森は減少し、森から生活の糧を得ることはほとんどなくなりました。
一方ロング・ウィン村では、森林から多くのものを得て生活しています。学生たちはどしゃ降りに遭いながらも、ジャングルを歩き、主食のサゴヤシという植物の採り方を見せてもらいました。森林の大切さを語り、「近頃テナガザルがめっきり減ってしまった」と嘆く村人たち。これ以上森林が荒らされたら、この人たちの生活はどうなるのか…。プナン人の切実さが学生たちの心を打ちました。
ですがその中で、開発でできた道路のおかげで教育を受けられるようになったこと、1家族200本までという規制でアブラヤシが植えられていることを知りました。プナン人だって生活の向上を望んでいるのです。
熱帯雨林を守る主役は現地で暮らす人々
ウィン村では、日本から来た学生たちのために初めての洋式トイレが用意され、家ができていました。報告会には村人の3分の1が集まり、報告が終わると質問の代わりに「この村へ来てくれてありがとう」といって、ダンスパーティが開かれました。明け方まで続いたパーティの翌日、学生たちは村人と抱擁しながら別れを惜しみました。
「大きな手応えを感じた」と准教授。帰国後の報告文を見ると「ほとんどの学生が、森林開発はそこで生活する人々の判断を大切にしなくてはならないと書き、そして全員が“現地の人々は日本人より幸せそうに見えた”と、書いていました」。以降、ゼミは毎年開催しています。