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研究ハイライト

  1. 剥製に尋ねる100年前の遺伝子情報
2023年11月6日(月)

剥製に尋ねる100年前の遺伝子情報

Lagopusmuta.jpg

図1 ライチョウの雄(右)と雌(左)。繁殖期、雄と雌は羽の色で明確に見分けることが出来る(撮影:小林篤)。

日本に生息するライチョウ(Lagopus muta japonica, 図1)は、世界に分布するライチョウの一亜種である。世界のライチョウの亜種のほとんどは北半球の北極圏やツンドラ、または高山帯に生息しており、日本の亜種の集団は、世界的な分布の南限に位置している。

日本のライチョウは本州の中部地域の高山帯、頚城山塊の火打山・焼山を北端とし、飛騨山脈(北アルプス)、乗鞍岳、御嶽山、赤石山脈(南アルプス)まで分布している(図2)。生息個体数は1984年時点では約3000羽と推定されていたが、2009年には2000羽以下に減少していることが明らかとなり、2012年に環境省のレッドリストで絶滅危惧IB類に分類されるとともに保護増殖事業計画が策定された。以降は生息域内外で保全が進められているほか、近年は中央アルプスへの再導入も開始されている。

個体数の減少によって引き起こされる問題の一つに、遺伝的多様性の低下がある。遺伝的多様性は環境変化への適応や絶滅速度にも影響しうる要因であり、遺伝的多様性が高い集団では環境の変化に適応した進化が期待できるが、低い集団では進化的な柔軟性の低下や消失によって適応が妨げられ、絶滅する危険性が高まる可能性がある。

図2 ライチョウ生息山岳図.jpg

図2 ライチョウの生息山岳と2000年代の調査に基づいた推定生息数。白山では2009年に1羽のメスが確認されたが、近年は確認できていない。

現存個体群における遺伝子解析は、2001年から信州大学と国立科学博物館を中心に、大きく2種類の方法を用いて行われてきた。1つは母系遺伝するミトコンドリアDNA(以降、mtDNA)の制御領域における塩基配列の分析、もう1つは核遺伝子の短い反復配列の繰り返し回数の変異分析(以後、マイクロサテライト分析)である。mtDNAの分析から、現存個体群では7つのハプロタイプ(遺伝子配列の型)が知られており、各山岳の集団におけるハプロタイプの構成は異なっている(図3)。そこから算出された各山岳に生息する集団の遺伝的多様性は、ハプロタイプが1種類しか検出されていない御嶽山で最も低く、続いて南アルプスで低いとされる(西海 2020)。同様の傾向は、マイクロサテライト分析から算出した遺伝的多様性でもみられている。また、北アルプスや乗鞍岳に生息する集団の遺伝的多様性も、御嶽山や南アルプスに比べれば高いものの、世界の集団と比較すればかなり低い。

 このように現存個体群の遺伝子解析から様々なことが明らかになっているが、一方で、これらの遺伝的情報は、過去から大きく個体数が減少した状態でのものである。約30年の間に生じた1000羽(当時の推定個体数の約1/3に相当)の減少は、ライチョウの遺伝的多様性にどれだけ影響したのだろうか。過去と現在の集団における遺伝的多様性を比較をすることで、その影響を推測できるかもしれないが、そのためには、過去の集団の遺伝子を解析する必要がある。残念ながら、目覚ましい発展を続ける現在の科学技術をもってしても、人間が「過去」に戻って試料を採取できるようなタイムトラベルの手法は存在しない(・・・と思う)。そこで注目したのが、「過去」に作製され、現在まで保存されてきた「剥製」である。

図3 ライチョウプロタイプ頻度とハプロタイプ間の関係.jpg

図3 日本に生息するライチョウの山岳ごとのハプロタイプ頻度とハプロタイプ間の関係性

剥製は採集された当時の生き物の姿を保存しており、その生息地に行かなくとも、場合によってはすでにこの地上で生きた姿を見ることが出来ない(いわゆる絶滅した)生き物でも、その姿を私たちに教えてくれる貴重な標本である。しかも、近年では、剥製の組織から遺伝子を抽出して分析することが可能になり、その学術的な価値はさらに高まっている。信州大学理学部自然科学館には100年以上前の明治・大正時代に作成されたライチョウの剥製が数多く収蔵されており、2019年以降、過去のライチョウの集団の遺伝的多様性を分析することを目的として研究が進められている。長い年月を経て遺伝子が断片化しているため、現存個体群と同じように分析をすることが難しい部分もあるが、現在までの結果として、mtDNAの制御領域の分析では現存個体群に見られないハプロタイプは確認されていないが、核DNAを用いたマイクロサテライト分析では、現存個体群とは少し違う特徴がある可能性が示唆されつつある。今後も分析試料数を増やすことで、より確度の高い情報が得られると期待される。

また、理学部自然科学館には採集地が「千島」と記載されたライチョウ(亜種チシマライチョウと推測される)の剥製があり、採取した組織から遺伝子解析をしたところ、日本と大陸の集団をつなぐハプロタイプをもつ可能性が高いことも明らかとなった。これは日本の集団が成立した進化的背景を検討するうえでも重要な情報と考えられる。理学部自然科学館に収蔵されている千島産のライチョウの剥製は1体のみであったため、現在、国内の研究機関と協力し、昭和時代までに千島列島で採集されたライチョウの剥製から組織を採取して、遺伝子解析を進めている。

文献

西海功(2020)ライチョウの保全遺伝学-遺伝的多様性をどうすれば守れるか.遺伝 74(2):166-169.