「心地」という言葉がある。『心の状態。気持ち。気分。また、そうした気分を作り出す外界の様子』(広辞苑)を言う。心も、気持ちも、気分も目には見えない。
その目に見えない、主観的、感覚的と思われていたスーツの着心地を「数値化する」という世界初の技術が、信大繊維学部先進繊維工学課程・西松豊典教授と金井博幸講師の研究室で開発された。
その技術により、快適なスーツをはじめ、私たちの暮らしの中に「心地良さ」にこだわった多くの製品が生まれ、第62回日本繊維機械学会賞・技術賞を受賞。
西松教授に開発ストーリーを聞いた。
・・・・・信州大学広報誌「信大NOW」60号(2009.11.26発行)より
どんなにおしゃれでも、着心地が良くないウエアを長く着続けているのは大きなストレスになる。ビジネスマンが定年までにスーツを着ている時間は、なんと約85,500時間*。これが快適かどうかは、とても重大な問題だ。
「従来、『快適性』のものさしは、複数のスーツを着比べて、人の感覚だけで判断する官能検査が主でした。私は元々、布の風合いを研究し、『人間の感覚』に興味を持っていたので、この『感覚』を客観的に数値化できないかと考えました」と西松教授は言った。
共同研究のパートナーとなった紳士服企画販売大手の(株)AOKI〔横浜市〕と一緒に店頭で「スーツの快適性」アンケートを実施。61%の人が、スーツ着用時に「動きにくい」と感じ、その中で65%の人が肩回りの圧迫感や窮屈感を訴えていることがわかった。
そこで、西松・金井研究室では、「スーツを着ている時に行うことが多い、デスクワークやつり革につかまるという動作などから、水平内転運動、前方挙上運動(写真1)を選び、そうした動きによって、身体に何が起こっているのかを調べることにした」
アンケートで圧迫感、窮屈感を感じると評価した上腕部、腕付け根部、脇下後部、肩甲部の「スーツから身体に加わる圧力」をエアパックセンサーで測定したり、筋電図で身体への負荷を測定。また、印を付けた格子柄のジャケット(試験用に作製した特注品)を用いて、動作時の上着の変形度合いを撮影し、測定した。
さらに、「圧迫感」「窮屈感」「ツッパリ感」「動きにくさ」「着心地が悪い」を評価する官能検査シートを作り、被験者が従来スーツと試作開発スーツを着て同じ運動をしたあと、項目ごとに評価を行った。そして、これらの評価結果、衣服圧や筋電図の測定結果をデータ化して、「着心地の良さ」を数値で表した。
西松教授は「これらの測定結果を総合し、人間工学に基づいて、アームホール、鎌深、胸囲線、脇巾(写真2)を改良して、型紙を改め、伸縮性の高いスーツを開発しました」と話す。
*1:設定は、22歳から60歳までの38年間、週休2日、盆暮れの休日を除くと1年の勤務日数250日、1日9時間拘束として算出。(38×250×9=85,500)
それをもとに、(株)AOKIは創業50年の技術力で、圧迫感、窮屈感、ツッパリ感、動作拘束感がなく、着心地が良いことを科学的に証明できる「ロイヤルコンフォートスーツ」を誕生させた。
(株)AOKIの柴田清弘商品開発室長は「今まではどんなに売れても生産量の75%でしたが、この商品は80%です。
試着しただけでも着心地の良さが実感できますが、長時間着用するほど従来品との違いがよくわかるため、ファンも多いです。産学共同の最大の良さは基礎的な商品開発研究から商品の性能評価まで一貫して行え、信頼できるデータですので、お客さまに安心してお薦めすることができます。
また、研究を通して新たな開発のヒントが生まれるなど、大きな可能性を秘めています」と語る。
技術賞の選考は、書類選考だけではなく、実地調査も行われるほど厳しいもの。受賞は、今までになかった着やすいスーツを消費者に提供していることが、「創意があり、技術的に高い評価を有する」と認められた証しだ。
圧迫感や窮屈感から解放された快適なスーツを着れば、今までとは違った斬新なアイデアや、素晴らしい企画が生まれるかも。
今、あなたが着ているスーツの着心地はいかがですか?
●「しわ」の等級を評価するシステムから、
(株)AOKIのしわになりにくいスーツ「リンクルバック」、ライオン(株)の「しわスッキリ ソフラン」
●香り評価の研究から、(株)AOKIのラベンダーの香りがする「癒しα波スーツ」、
ライオン(株)の「香りとデオドラントのソフラン」、「消臭ブルーダイヤ」
●最近の研究成果は、外気温が変化しても衣服内温度を一定に保とうとする働きがある
(株)AOKIの「プレミアムサーモスタットスーツ」
そのほかにも、「ゴルフのあらゆる動きに対応できるウェア」「開け心地の良いドア」「座り心地の良い自動車シート」「握り心地の良いステアリングホイール」「お母さんに抱かれているようなチャイルドシート」など、研究成果が人に関わる多くの製品に応用され市販されている。
【ONE POINT MEMO】
<長野市篠ノ井で生まれたAOKI>
全国に426店舗を持つ(株)AOKI発祥の地は、長野市篠ノ井。スーツ1着の価格がサラリーマンの月給分もした1958年に、現・(株)AOKIホールディングス代表取締役社長の青木擴憲氏が「ビジネスマンが日替わりでスーツを着られる世の中にしたい」と創業した。
西松・金井研究室と(株)AOKIを結びつけたのは、「人の日常への温かな思い」なのかもしれない。
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