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研究ハイライト

  1. 100年の時を超えて知る、コマクサの進化史。
注目の研究
2020年12月25日(金)

100年の時を超えて知る、コマクサの進化史。

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(※1)

先人の残した“お宝”と遺伝子解析で挑む、信州大学山岳科学研究拠点「学章プロジェクト」

 信州大学の学章のモチーフにもなっているコマクサ(駒草)。「高山植物の女王」と称される、日本アルプスに咲く高貴な植物です。日本の高山植物の多くは、もともと北極圏周辺にルーツを持ちます。コマクサが太古の日本にどうやって渡来したのか、生育地の最南端である信州の中部山岳地帯でどうやって生き延びることができたのか̶。そのヒントは、コマクサの遺伝情報にありました。100年前の標本の遺伝子解析にも取り組み、時を超え明らかとなったコマクサの進化史。そこには、コマクサと郷土信州への愛情が支える山岳研究のドラマがありました。(文・柳澤 愛由)

(※1)1949年に当時の信州大学厚生補導部が学生の学章(バッジ)の図案を学生・一般に募集し、結果、業者から提案された図案が採用されました。しかし、採用後長い年月を経る中で、形状が異なる複数のマークが生まれたため、原案にもっとも近い形に統一し、2010年3月18日に、正式に学章として制定しました。

・・・・・ 信州大学広報誌「信大NOW」第124号(2020.11.30発行)より

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撮影:燕山荘グループ代表 赤沼健至 氏

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実はよくわかっていない“強くて弱い”コマクサという植物のナゾ

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日本列島のコマクサ集団を遺伝解析した結果。青色が第1波に進入した古い系統、赤色が第2波の新しい系統が分布する山岳。他の高山植物の遺伝構造とは大きく異なり、遺伝系統群の境界が北海道内にみられた

 荒涼とした高山の頂きで可憐な花を咲かせるコマクサは、山の花の中でも別格の存在感を放ち、登山客にも人気の植物です。1950年に襟章のモチーフに使われて以来、長く信州大学のシンボルとしても親しまれてきました。しかし、実はその生態や進化史は、多くが謎に包まれています。
 信州大学山岳科学研究拠点では、このコマクサの謎に迫るため、2013年から生物学、地質学、気象学など、さまざまな分野の研究者が連携したコマクサ研究に取り組んできました。通称「学章プロジェクト」。その近年の研究成果により、他の高山植物には見られない、コマクサの特異な進化史や生態が徐々に明らかとなってきました。
 コマクサが群落を形成するのは高山帯の砂礫地。季節風が当たり雪も積もることができない「風衝斜面」と呼ばれる吹きさらしの斜面や、岩や砂に覆われた火山地帯に点在します。有機物は少なく乾燥しやすい上、冬になると-20℃という極寒にさらされます。雨、風、氷などで砂礫が絶えず動くことから、本来、植物が定着・生育するには非常に撹乱の激しい環境です。コマクサは、こうした他の植物を寄せ付けない過酷な環境下でのみ自生し、単独で群落を形成してきました。それが、「女王」と評されるゆえんです。
 「他の植物が入り込めないような過酷な環境であれば、生存競争にさらされることはまずありません。競争に弱いコマクサは、生き残り戦略として、あえて過酷な環境を選んで生育してきたのでしょう」。そう話すのは、地質学が専門の原山智特任教授。地質学的にも、コマクサは非常に興味深い性質を持つといいます。「コマクサは、火山由来の岩石の一種である流紋岩や花崗岩などが分布する地質を選んで生育します。これほど地質的特徴を反映する植物は、ほかにほとんどありません」(原山特任教授)。コマクサが自生する御嶽山や乗鞍岳などは、現在も火山活動が続く活火山。地質とコマクサの関係を追うと、火山活動とのつながりも見えてくるといいます。
 「なぜコマクサはこれほど過酷な環境下で生き延びることができるのか、どのようにして分布を広げてきたのか、これまでほとんど明らかになっていませんでした。近年に至るまで、コマクサは定量的な研究がほとんど進んでいなかったのです」(原山特任教授)。
 そうした中、今回新たに明らかとなったコマクサ独自の進化史。ヒントとなったのは、コマクサの遺伝情報でした。

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信州大学学術研究院(理学系)教授
東城 幸治

動植物の遺伝解析による進化生態学が専門。尾崎さんの指導教員として、ともにコマクサの遺伝解析を行った。

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燕山荘季節従業員
尾崎 貴久氏

各地のコマクサの遺伝子の違いを調べ上げた。昨年度、大学院総合理工学研究科修士課程を修了。現在は燕岳の山小屋(燕山荘)で働く。

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信州大学特任教授
原山 智

山岳の成り立ちを研究する地質学の専門家。地質の違いによるコマクサの分布や生態を調べている。

信州大学自然科学館収蔵、先人が残した100年前の標本で遺伝子解析に成功!

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信州大学自然科学館に収蔵されている約100年前のコマクサ標本。旧制松高だけでなく、それ以前の前身校から引き継ぐものも少なくない。

 コマクサの進化史を解明したのは、東城幸治学術研究院(理学系)教授の研究室に所属していた、尾崎貴久さん。昨年度、大学院総合理工学研究科の修士課程を修了し、現在は北アルプス燕岳の山小屋「燕山荘」で働いています。調べたのは、コマクサの葉から抽出した核と葉緑体DNA。長野県から、東北、北海道にいたるまで、コマクサの自生地はほぼ全て調べ上げました。
 2012年8月に開設した信州大学自然科学館には、理学部の前身校、旧制松本高等学校時代のものをはじめとする、先人たちが残した自然科学のお宝が数多く収蔵されています。「すでに絶滅が確認されている南アルプス・甲斐駒ヶ岳などの個体は、いま研究しようとしてもできるものではありません。しかし、古い標本があれば状況は大きく違います」と、指導教員の東城教授。尾崎さんは、新しい個体だけでなく、自然科学館が収蔵する100年前のコマクサ標本の遺伝子解析も試みました。結果、1912年(大正元年)に八ヶ岳で採取された標本などから、遺伝情報を得ることに成功しています。古い標本も含め、尾崎さんが遺伝子解析を試みたサンプルは200以上。広範な遺伝子解析の末に見えてきた、コマクサ独自の進化史は、その特異性をさらに深めるものでした。

核と葉緑体DNAに基づく分子系統解析で見えてきたコマクサの系統と分布

 高山植物の多くは、数十万年前の氷期(寒冷期)に北極圏から樺太や千島列島を経て日本列島に渡来して分布拡大し、間氷期(温暖期)には北方に退行するとともに一部が高山に取り残され、独自の進化を遂げたと考えられています。
 「多くの高山植物は、少なくとも二度にわたって日本に渡来したことが分かっています。遺伝系統を調べると、第1波と第2波の2系統に分類できます。その遺伝系統の境界は、ほとんどの種で東北地方南部。しかし、コマクサはほかの高山植物とは大きく異なり、北海道内にその境界があることが分かりました」(尾崎さん)。
 多くの場合、第1波で入り込んだ古い系統は、一度、中部山岳域まで分布を拡大した後、間氷期(温暖期)に北方へと分布域が縮小した一方で、中部山岳域では高標高帯に残存できたようです。続く、第2波で渡来した新しい系統は、再び北海道、東北へと分布域を拡大しますが、第1波の系統がしっかり残存できた中部山岳域は、新しい系統に置き換わることなく、そのまま現在まで系統を維持しています。それが多くの高山植物で、東北地方の南部を境に遺伝系統が分かれている大きな理由です。
 しかし、コマクサは、地図で示した通り、標高が低い東北と北海道の大雪山系中南部にも第1波の古い系統が残り、第2波の新しい系統は、北海道の東側に位置する道東地域や、大雪山系中北部までしか入り込めませんでした。
 「しかも、北海道内における第1波の系統は、約70万年前に成長した起源の古い火山だけで検出されています。反対に、第2波の系統は、約4万年前に成長した新しい火山にもみられます。これは恐らく、北海道の地史とも大きく関わりがあるためだと考えられます」(尾崎さん)。
 尾崎さんは、このデータと気候シミュレーションを組み合わせ、ニッチモデル解析にも取り組みました。そこから、コマクサの独特な進化史にまつわる、興味深い推測をしています。「今後、温暖化が進めば、最悪の場合、多くの高山植物は絶滅へと向かいます。しかし推測ですが、第1波の系統が間氷期でも広く生き残ったことを考えると、コマクサの場合にはそうはならないかもしれません。温暖化が進んだとしても高山で生き残ることができるのかもしれません」。

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推定されるコマクサの系統進化史。氷期̶間氷期のサイクルの中で、他の高山植物とは異なる経過をたどったと考えられる

とにかく3度のメシより山が好き、山で暮らし高山植物を愛でる、コマクサに魅せられた研究者

 信州の山や自然に憧れ、信州大学に進学する学生は少なくありません。尾崎さんも中学生の頃に訪れた木曽駒ケ岳でコマクサに魅了され、奈良県から信州大学へと進学したひとり。「中学生の頃、3度の登頂でようやくコマクサを見つけることができたんです。『こんな場所に生えている植物があるのか』と衝撃を受けたことを覚えています」(尾崎さん)。取材した日も、北アルプスから下山したばかり。「5日間の休みをもらったのですが、実は昨日までの4日間、ずっと縦走していたんです。明日からまた、出勤のため登ります(笑)」と、その山好きぶりを示してくれました。
 もともとコマクサだけでなく、高山植物全般が好きだったという尾崎さん。研究を進めるうちに、さらに高山の植物のおもしろさにはまっていったといいます。
 「高山の植生は独特です。特にコマクサは山の頂にしかありません。 隣の集団ともかなり離れているのに、自ら移動できないコマクサがどのようにして分布を広げていったのか、考えるととても不思議ですよね。どうやって種を運ぶのかも、実はよく分かっていないんです。山にいる人は、イワヒバリがよく種を運んでいるところを目撃しているようなのですが、その実態も定かではない。アリが運んでいるという説もある。そんな風に、どんどんコマクサのおもしろさに魅了されていったように思います」(尾崎さん)。
 しかし、コマクサは高山植物のなかでも集団の遺伝的違いを見つけることが難しく、古い標本はDNAのコピーを増やすだけで1か月近くかかることも。それでも各地のサンプルを比較し、考察を重ねてきたといいます。今は研究の第一線からは退いている尾崎さんですが、学生時代に培った学術的知見をもとに、北アルプスの大群落の傍らで暮らしながら、観察を続けていくそうです。

信州大学理学部発、自然科学のプロフェッショナルが山岳系研究で以心伝心のタッグ!

 「学章プロジェクト」にはプロジェクトリーダーがいる訳ではありません。もともと原山特任教授は、山岳地帯の成り立ちを長年調査してきた地質学者、東城教授は動物の遺伝子解析をもとにした進化生態学を専門とした研究者です。理学部に所属する自然科学のプロフェッショナルたちが、コマクサをテーマに、以心伝心のタッグを組んで研究に取り組んでいます。
 原山特任教授は、コマクサの進化史のデータを見たとき、次のように感じたといいます。「データを見たとき、私の次のテーマは、北海道の大雪山系の噴火史を調べることにあると感じました。火山が多い北海道は何度か大きな噴火に見舞われています。噴火のタイミングとコマクサの進化史とを照らし合わせれば、また新しいことが分かってくるはずです」。
 標高2,000メートルを超える高山の頂きで薄紅色の花を咲かせるコマクサ。荒涼とした大地に強く根を張り生き抜いてきた姿は、信州大学が歩んできた歴史とも重なります。
 「実は、以前から『コマクサは長い根を持つため、過酷な環境下でも生育できる』というのが通説でした。しかし複数のサンプルを調査すると、根のほとんどが30センチ程度。特別長い根を持っているとはいえませんでした。それでも過酷な環境下で生育できるのはなぜなのか、なぜ‒20℃の環境下でも凍らないのか、どうやって花を咲かせるのか、どのように発芽しているのか̶、テーマは山積みです」(原山特任教授)。現在、原山特任教授は、コマクサの定点観測に取り組んでいます。観測を続けることで、温暖化の影響も考えたいといいます。
 中部山岳域は、ライチョウやコマクサなどが生育する、高山の独特な生態系の南限に位置しています。3,000メートル級の山岳があったからこそ、いくつもの神がかった偶然によって、その生態系は維持されてきました。山岳系研究は、信州大学が誇る研究領域のひとつ。学章でもあるコマクサの謎を追い、その独自の生態系を保全していくことは、信州大学の使命のひとつだと感じました。

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