THE信大生

僕らは頑張ることで、被災地に「元気」を届けたい。

僕らは頑張ることで、被災地に「元気」を届けたい。

  信州大学山岳会の土田さんと小平さんが北米大陸最高峰マッキンリー登山(6194m、現地名:デナリ)に挑戦した。信大OBの大木信介さんらが昨年の3月ごろから計画した登山隊に参加。「自分達が頑張ることは、みんなの元気にもつながる」と東日本大震災の被災地へ向けたメッセージを寄せ書きするための旗を用意し、アラスカへと飛んだ。
                                                                                                ・・・・・2011年7月26日掲載

頑張るから、届けられる

信大4人組
いよいよ出発 信大4人組 左から小平・花谷(OB)・大木(OB)・土田

  登山隊のメンバーは、信大山岳会の土田さん、小平さんと、OBの花谷泰広さん(山岳ガイド)、大木信介さん(山岳写真家)、ほかに谷口けい(冒険家・2009年ピオレドール賞受賞)さんら計6人。登山の全体計画は、前半で高所順応をかねてノーマルルートで登頂し、後半には、南壁の難ルートから再度登頂を目指そうというもの。海外登山に初挑戦の土田さんと小平さんは、前半部分に参加した。後半のルートは3年前に登頂しながらも亡くなった、OBの同志の登山家が描いた見事なライン(ルート)を最後まで辿ることを目的にしたという。
  昨年末ごろから本格的な準備を始め、いよいよ手配を始めようとした矢先、3月11日東日本大震災が発生した。被災地へボランティア活動に行った花谷さんが「日本が大変な時に本当に行くべきかどうか、それぞれ考え直そう」と提案し、話し合いが持たれた。
この時に、当初参加予定だった2名が辞退。しかし、大木さんの「ここでへこたれていても、誰も喜ばない。被災地の方々も日本全体が元気をなくすのを望んでいるわけじゃない。俺たちが頑張ることがみんなの元気につながるんじゃないのか」ということばに、土田さんと、小平さんは同意、参加することを決めた。
  「被災地のために何ができるだろうか」、大木さんのアイディアで、各国の登山者からのメッセージを旗に書いてもらって被災地に届けようということになった。

マッキンリー登山者と旗

外国隊との交流
外国隊との交流

  マッキンリーは、北米大陸の最高峰、登山をする人々の憧れの山だ。土田さん、小平さんが入山した同時期に、600人もの登山者がいたという。標高差1000mおきぐらいに登山者のテントが集中し、テント村のようになっている。そこで、各国からの登山チームに話しかけ、旗を広げて被災地へのメッセージを書き込んでもらう。日本から来たというとみんな震災のことを心配して聞いてきた。
  「被災地以外の日本より、むしろ外国の人々の方が震災のことをショッキングに受け止めていると感じた」(土田)
  世界的な活躍をしている谷口さんは、マッキンリーでも知り合いにあったりする。積極的に旗を持ってあちこちへと飛び回った。

山頂へ

もうすぐベースキャンプ
4300m付近 もうすぐベースキャンプ
マッキンリー山頂
マッキンリー山頂 左から大木・谷口・小平・花谷

  5月10日に日本を出発し、アンカレッジへ。

  5月14日にセスナで登山口の氷河に入って以降、延々と8日間、氷河の上を歩いていく。大きいクレバス(氷の割れ目)を避け、互いにロープをつなぎ、ソリを引っ張った。標高4300mのベースキャンプ(メディカル)を経て、23日、5200mのハイキャンプ(頂上にアタックするための基点)に到着。翌日天候の様子を見ながら、頂上にアタック。しかし5500mのデナリパス(峠)まで行ったところで土田さんは高山病で進めなくなり、引き上げることになった。

  翌日、症状が悪化した土田さんは、他のメンバーと共にメディカルキャンプへ降りた。ハイキャンプには、谷口さん、大木さん、小平さんが残るも、悪天候は続き、アタックができない。そこへ顔見知りの日本人のチーム遭難の知らせも届いた。3人は食糧と日程の限界も迫ることから、登頂を諦め、メディカルキャンプに下った。しかし、下降しながら悔しさが込み上げる…、その晩メンバー全員で話合いがもたれた。
  もし、頂上にアタックするならば、明日、ここメディカルキャンプから出発し、その日のうちに戻ってくるパターンのみ。高山病の症状がなくなっていた土田さんも、再挑戦の可能性がでてきたが、標高差2000mのアタックは、長時間であり、体力的にもきつくなる。土田さんは「行きたいが、もし高度順応が不完全な自分がだめになったら他のメンバーを巻き込んでしまう」、小平さんは「土田が行けなかったら、自分ばかりが参加する意味はあるだろうか」と悩んだ。話し合いは12時ごろまで続けられ、結局土田さんはメディカルで待機、小平さんは挑戦することになった。
  翌朝、5月27日は、好天だった。
8時10分、谷口さん、花谷さん、大木さん、小平さんが頂上へ向けて出発。初の高度を体験する小平さんも安定した歩きで着実に進み、17時50分、ついに4人は山頂へ立った。

  被災地に向け多くの祈りとメッセージが込められた旗が、群青の空にはためく。
  「ウォー……」

  小平さんは号泣した。圧倒的な大地と空、見渡す限り続く山々の峰、そこに精一杯を出し切ってやってきた自分がいる…。

  頂上の感激を胸に、気を引き締めながら下降、23時10分にメディカルキャンプに帰還した。15時間行動の長い長い一日だった。

二人が得たもの

荷揚げ後キャンプへ下降中
荷揚げ後キャンプ(3353m)へ下降中の土田と小平

  頂上に立つことができなかった土田さんだが、誇りに思っていることがある。それは初めての経験の中で、自らを見つめ、判断し、自分で結論を出せたことだ。「山頂に立ちたいという願望、一緒にと誘ってくれる先輩、そしてサポートしてくれた日本の人たちの存在を感じながらなお、自身の体調とできることを冷静にとらえられた」ということ。
  小平さんは「2週間かけて、一歩、一歩山頂へ向かうという、日本にはないスケールの大きさに感動しました。山頂で経験したことは、ものすごいもので、自分のちっぽけさを知り、世界観も変わりました」という。

メッセージの中から

無事下山
無事下山 ここからセスナでフライアウト メンバー全員と前レンジャー長と

  「メッセージは温かなものばかりです。あえて一つ紹介するなら」と、大木さんが書き出してくれたのは、アメリカの消防士の方が書いたものだ。

THE WORLD IS WITH YOU
WE ARE ALWAYS WITH YOU
OUR WORDS ARE INSIGNIFICANT
BUT OUR HEARTS ARE FOREVER

-MANY QUIET AMERICANS

世界はみなさんとともにあります。
私たちはいつもみなさんと一緒です
私たちの言葉は、ちっぽけなものでも、
私たちの心は、ずっと消えることはありません。

―言葉なくとも想う、多くのアメリカ人より

  大木さんは「被災地へ声が届くよう、これから様々なところにこの旗を出していきたい」と、さまざまな媒体への掲載、展示の方法を検討している。(了)







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