
1985年、ブラジル生まれ。リュージュ全日本選手権大会で7連覇。2006年トリノオリンピックで13位。2005年度信州大学学生表彰、学長賞受賞。 バンクーバーオリンピックを目指し、2008年5月~8月、2009年8月イタリアへ留学。
バンクーバーで2度目のオリンピックに出場した原田さん。グルジアの選手の不幸な事故により、競技直前にスタート地点の変更があるなど、今回は厳しい戦い となったリュージュ。オリンピックについて、昨年と一昨年に取組んだイタリア留学について語った。
・・・・・信大NOW62号(2010.3.26発刊)より
昨年の感じから一ケタもいけそうだという自信があったのですが、自分の実力以外の部分が大きく、出せると思った力が出せず、そういう意味では悔しい 結果でした。でも、自分が準備してきた事には全く後悔はありません。
事故後、男子のスタート地点が本来の女子のスタート地点に、女子は更に下がった練習用のスタート台になりました。選手はコースに合わせて準備し てきますので、コース内容が変更され、高い技術力を競うようなコースでなくなったことは残念でした。
競技は、1本目うまくスタートができず、ソリの調整をして、2本目は調子がよく、3本目もまずまずでしたが、4本目のスタートで失敗して、悔し かったですね。ただトータルでみて、滑走そのものは悪くなかったと思います。
ドイツ語(滞在した北イタリアはドイツ語圏)がわかるようになると、コーチのきめ細かい指導やニュアンスが伝わり練習が充実してきました。以前は理 想のラインを通すことが一番大事だと考えていたのですが、今は操作の妥協点を見極めることが大切だと思うようになりました。リュージュの操作はすべて速度 を落としますので操作を多くするより、次のカーブとの兼ね合いをみてどのようにラインを修正するか、あるいはそのまま行くかを判断しています。
また日本人はミスを恐れることが多いのですが、ドイツやイタリアの選手はミスを恐れません。ミスに対処できる引き出しをたくさん持っています。外国人選手 を見ていると、好きで楽しんでやっていて、予想外の変化もポジティブにとらえていますね。だから、うまくなる、私もそうありたいと思います。
バンクーバーを一つの区切りとして、メダルを獲って、リュージュ競技を有名にしたいと精一杯頑張ってきました。今後、さらに選手として入賞やメダル を目指すのか、あるいは後輩へサポートする側として力を注いでいくのかは、まだ決めていません。
いずれにせよ、これからもリュージュに関わっていきます。リュージュは長野にいたからこそできた競技で、皆さんの優しさや気遣いをたくさん感じ ながら続けてきました。本当に感謝でいっぱいです。また、リュージュ競技を見にきてください。
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