THE信大生

海外ボランティア に挑む。

海外ボランティア に挑む。

今年1月に2年間の青年海外協力隊(JICA:独立行政法人国際協力機構)の任務を終えて帰国した、加藤新さんは、アフリカのナミビア共和国の中学校で理科の授業を指導してきた。赴任当時の不遇にも負けず、「精一杯の力を尽くした」加藤さんのボランティア体験を聞いた。また、「信大NOW」(No.64~66)に海外ボランティア周遊記を書いてくれた古川博一さんにもメールインタビューした。

                                                     ・・・・・ 信州大学広報誌「信大NOW」第68号(2011.3.25発行)より

道を切り開くのは、今しかない!

ナミビア共和国の地図

高校生のころからボランティア活動に取り組み始めたという加藤さん、ユニセフの職員に出会い「いつかは世界で活動してみたい」と、強い憧れをいだいたという。

2年生の時に、青年海外協力隊の看護師さんの話を聞を聞いて感動。加藤さんの心に火がついた。「道を切り開くのは今しかない!」と、すぐにJICAの青年海外協力隊公募に応募し、合格。2008年10月~12月にかけて、福島県で65日間の派遣前訓練(英語と教える技術)を受け、2009年1月には、ついにアフリカ・ナミビア共和国へと旅立った。

自分は役に立つのか?

ナミビア共和国の首都ウイントフック
首都ウイントフック
サイエンスフェア
サイエンスフェアで

ナミビア共和国は1990年に独立した、ダイヤモンド、ウラン等の資源が採れる国。首都ウイントフックには「完璧に」舗装された道路や10階建てビルが立ち並でいる。加藤さんの赴任地はそこから1200キロほど離れたカティマムリロ市で、首都ほどでなくとも、品揃え豊富なスーパーマーケットに大きな病院が揃う、不自由なく暮らせる町だった。「こんな国に援助が必要なのか、自分が役立てるのか」、加藤さんの心は不安でいっぱいになった。

理系の教員として勤務したのは、カプリビ州立のカプリビ学校。8年生から12年生が通う、生徒数約1000人、教員数35人という、州立の中で最も有名な学校だった。

学校の予算は十分にあり、とても立派に見える反面、生徒たちの服装は乱れていたり、先生への態度の悪さなど荒れている様子。何より潤沢にある実験器具は棚にしまったままで使われず、先生たちの授業がほぼ無計画なまま進められていることに驚いた。

加藤さんは、先生たちに実験器具の使い方を伝え、共に目標・計画を立てて、授業を進めた。また「サイエンスフェア」という理科の自由研究発表大会の実行委員長を勤めることになった。しかし事前準備をしっかりして呼びかけても他の委員の先生たちは、なかなか出てこない。大会の運営から生徒指導まで、加藤さんがほぼ1人で仕事をこなすことになってしまった。生徒たちは好奇心旺盛で、加藤さんの働きかけに温暖化や電池、肥料など、自ら決めたテーマに夢中になって取組んでいる。それがうれしくてさらに熱心に指導した。大会が終わると生徒からは「来年も内容を深めて、また出たい!」という声があがる、手応えを感じた。

〈課題発見+行動〉これが協力隊の仕事

ナミビアの青空教室
青空教室の様子

そんな加藤さんも、そこまで順調にきたわけではなかったのだという。
初めの頃は職場での信頼が得られず、仕事がほとんど与えられない状態が続いた。もう日本に帰ろうかと、うなだれてアパートに帰った時に「シンカト!」、子ども達が抱きついてきた。一緒に遊びたくて帰りをまってくれていたのだ。「今帰ったら、この子達とも会えなくなるな……」

それから加藤さんはもがく。学校ではどんどん雑務を引き受けて、町では子ども達のための青空実験教室を開いた。しだいに町の人たちからも声をかけられるようになり、学校でも徐々に信頼を獲得していった。
「多くの協力隊員は、はじめから仕事が与えられていないと思います。その中で、どう課題を見つけて行動を起こしていくか、なんです」という。

「日本社会で通用する人材になりたい」

加藤さんはナミビアでの2年間を「持てるアイディアをすべて出し、すべてが全力の挑戦だった」と振り返り、「どこにいっても通用する日本の教育、道徳、文化に感謝いっぱいです」という。だから、今後の目標は「まずは日本社会で通用する人材になりたい。それから海外へ出たい」と。
ナミビアの経験はこれからの加藤さんの夢を育て、そしてナミビアの子ども達の心に残る彼の姿は、ずっと子ども達を応援し続けることだろう。


Mail Interview

1年間の海外ボランティアプログラムに参加した

古川 博一さん[農学部3年]

なぜ、海外ボランティアへ行ったのですか?

今しかできないことをしたかったからです。就職活動など、このまま惰性で進みたくなかった。出発前の僕には、仕事を選ぶための判断基準さえありませんでした。海外ボランティアは、海外に長期滞在するのに安上がりな方法ということもありました。


周遊の中で印象に残っていることは?

インドでスラムに行った時、僕は純粋に「ここでは生活できない」と感じました。スラムの子ども達は、みんな溢れんばかりの笑顔で僕に話しかけてくる。でもゆくゆくは教育を受けられずに働くことの限界を見せつけられるのだと、楽しさと同時にとても悲しくなったことを覚えています。幸せになるためには、「可能性」と「可能性を感じる心」が必要で、スラムの子どもには前者がなく、豊かな社会でも自殺をしてしまう子どもには後者がないのだと思います。日本との歴然とした違い、また世界にはこれ以上の「可能性すら感じることができない世界が存在する」ということ、たくさんのことを考えさせられたワンシーンでした。


日本に帰ってきて、どんなことを思いますか。

ほんとに色んな人々に出会いました。熱心な祈りを行うヒンドゥー教徒、一心不乱で演奏するストリートパフォーマー、アグレッシブなホームレス、一つの文化としてのゲイ。それぞれが考え、己を表現している。それを見て僕は、日本じゃ一生出会えなかったかもしれない“違い”について考えました。
以前と比べれば、僕は自分自身の考えを持てるように、それを恥ずかしがらずに発信できるようになりました。発信するから人との違いがわかり、何らかの影響を、たぶん良い方向に受けます。それが人の成長だし、個性(表現)となるのだと思います。今後「自分の考えを持ち、柔軟に対応し、発信していく」という姿勢を忘れずに持ち続けていきたいと思います。


2010年5月末 日本を出発。インドへ

2010年5月末 インド・ヒマーチャルプラデーシュ州で

    ~8月末 ボランティア

2010年9月 アメリカに向け出発

2010年9月中旬 アメリカ・カリフォルニア州で

~12月中旬 ボランティア

2010年12月末 日本に帰国

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