地域と歩む。須坂市 vol.1 ~"歴史と自然の香るまち" 須坂市と信州大学~地域コミュニケーション

信州大学広報誌「信大NOW」第83号(2013.9.30発行)より

“歴史と自然の香るまち” 須坂市と信州大学 vol.1

長野県内の市町村と信州大学との地域連携の現状にスポットライトを当てるシリーズ「地域と歩む」。6回目の本号は長野県北部に位置する須坂市を訪ねた。
須坂市と信州大学の連携・協働の歴史は非常に古く、その裾野は広い。須坂市は、豊かな自然と伝統ある歴史、そこに根付いた「ものづくり」の息吹などが象徴だが、それにふさわしく、信州大学との連携も多領域にわたり、かつ、学問領域の壁を超え学際的に〝文理融合〟の色合いが濃くなってきているのが特徴だ。
その中で、特に現在、花を咲かせ、実を結びつつある連携の取組みついて、(1)市内の名所「米子瀑布群」の学術調査委員会の活動、(2)小規模水力発電の進展、(3)蔵の町並みキャンパス事業の現状、(4)旧小田切家住宅の建物調査―の4つに焦点を当ててレポートする。

(文・毛賀澤 明宏)

須坂市&信州大学連携の歩み

信州大学との包括的連携協定が調印されたのは国立大学が法人化された平成16年だが、それに先立つ平成14年には、須坂市出身のカーボンナノチューブの世界的権威・遠藤守信特別特任教授が牽引者となり、工学部と須坂市との研究連携センターを開設している。
その後、ものづくりの領域で連携が重ねられその成果は大きく、長野電鉄須坂駅前ビルには遠藤サテライトラボが設置されているほどだ。
だが同時に、平成17年から始まった教育学部土井進教授による信州すざか農業小学校への協力、平成18年スタートの工学部池田敏彦(現特任教授)らの小水力発電を活用した有害獣対策事業、さらに同じく平成18年に着手された蔵の町並みキャンパス事業などを通じて、連携の領域が大きく拡大している。
特に、蔵の町並みキャンパス事業は、工学部・教育学部・人文学部などが中心となり、県内外の他大学とも協力して、須坂の町並み全体をキャンパスとして活用するユニークな試みで、信州大学の地域貢献の一つのスタイルをつくったとも言えるものだ。これは、それ以前から行われていた歴史的建造物の調査・研究・保存・活用の取組みを前史としている。

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蔵のまち須坂市。中心市街地には歴史的建造物が347棟も残っており、そのうち土蔵造りの建造物が200棟以上もある。行政と市民が一体となって、積極的に蔵造りの町並みを復活させている。写真は須坂市銀座通り(旧谷街道)の町並み。(画像提供:須坂市)

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信州大学工学部建築学科は市と共同で毎年1箇所対象を選定、古民家等の再生を現地に出向き実施している。

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信州大学と須坂市との地域貢献の歴史を語る上で、遠藤守信特別特任教授の存在は欠かせない。毎年日本を代表する各界の有識者を招いた「クリスマスレクチャーin須坂」(写真)は毎年Xmasの恒例行事になっている。

米子大瀑布を国指定名勝に

「米子の瀑布群」学術調査委員会スタート

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(地図資料提供:須坂市)

須坂市街地から南東方向の山間に、四阿山(あずまやさん)と根子岳に源流を発する壮大な二つの滝、権現滝と不動滝がある。
周辺の大岩壁・渓流・小滝などを含めて「米子の瀑布群」とされるこの深山幽谷は、古くから山岳信仰の霊場であり、景勝地として知られていた。
この地を、国の文化財保護法に基づいて「名勝」に指定することによって、適切な管理の下に保全活用し、後世に残すことをめざす取り組みが始まった。平成25年春、須坂市と信大が連携し、「米子の瀑布群」学術調査委員会が設置されその活動がスタートした。

米子大瀑布

米子大瀑布

奇妙山遺跡

奇妙山遺跡

名勝の価値と指定範囲を、多角的な視点から捉える。

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「米子の瀑布群」学術調査委員会会議のようす

委員会は「名勝候補地として証明したい価値」として、以下の3つを挙げている。

(1)権現滝と不動滝の二条の滝が、四阿山を背景に白い弧を描いて流れ落ちる姿を「ご神体」に見立てたと推測される不動信仰や、修験道の霊場としての性格。

(2)カルデラ地形と溶岩岩壁で作られた見事な景観。特に、柱状・板状節理の岸壁に、雨の日などに束の間現れる幾筋もの滝の壮観さ。

(3)江戸時代の文書「信濃奇勝録」にすでに名所として記載されている歴史性。

特に、中世史の担当である笹本正治信大副学長・人文学部教授は、滝の対岸にあたる奇妙山遺跡からの景観が、「米子大瀑布」の歴史性・宗教性を内包した本来の姿であるとして、和歌山県の那智の滝や栃木県の華厳の滝と並ぶ「信仰の対象」「ご神体」として、「名勝」指定を得たいと考えている。

今後、植生・山岳信仰・地質などの現地調査と、鉱山・動物・水質などの文献調査を行い、平成26年7月までには報告書をまとめる予定だが、文字通り多角的な視野から、須坂市の新たなシンボルづくりが進められようとしているわけである。

委員会メンバーは信州大学中心、且つ文理融合の面々。

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委員会の会議には、当然のことながら、須坂市から三木正夫市長、渡辺宣裕教育長も参加、文化庁や長野県教育委員会の文化財関連の職員などもオブザーバーで出席するが、調査・審議の中心は5人の委員となる。

この5人が、ことごとく信大関係者になった。このことは、もちろん偶然のことではあろうが、何か、信大と須坂市のつながりの強さを象徴するものでもあるかに見える。

委員長で名勝景観評価を担当する亀山章東京農工大学名誉教授は、もともと信大農学部で教鞭を振るわれた方。地域史を担当する須坂市文化財審議委員会の青木廣安氏も信大OB。残りの3人は、中世史担当の笹本正治副学長・人文学部教授、植生担当の島野光司理学部准教授、地形地質担当の竹下欣宏教育学部准教授だ。

須坂市、あるいはさらに広く信州のある地点の総合的な学術調査を行う場合に、地域の総合大学としての信州大学が、少なからずお役に立っていることを示していると同時に、信大の地域貢献が、学問領域の壁を超えて、文理融合の形で実現できるようになってきたことを示す、象徴的事態だと言ってもよいであろう。

学術調査委員会メンバー

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委員長 名勝景観評価担当
東京農工大学 亀山 章 名誉教授

信州の大自然は神仏の信仰を伴って地域の人々によって守られてきた宝ものです。米子の大瀑布はそのシンボルとも言えるものであり、多くの方々の力を結集してこの事業に取り組んでまいりたいと思っております。


1968年東京大学農学部農業生物学科卒業。1968年厚生省国立公園局技官。1969年奈良県企画部技師。1972年信州大学農学部助手。1976年同助教授。1982年農学博士(東京大学)。1988年同教授。1992年東京農工大学農学部教授。2009年東京農工大学名誉教授。現公益財団法人日本自然保護協会理事長。専門は造園学、景観生態学、地域計画学、環境緑化工学、森林科学。

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副委員長 中世史担当
信州大学副学長 笹本 正治 人文学部教授

米子大瀑布は自然に滝があるだけでなく、信仰の対象とされてきたことが重要です。この滝で日本人が自然に対してどのような感情を抱いてきたかを読み解き、名勝としての価値付けをすることで、未来の須坂と日本を作っていきたいと思います。


1974年信州大学人文学部文学科卒業。1977年名古屋大学文学研究科博士課程前期修了。1977年名古屋大学文学部助手。1984年信州大学人文学部助教授。2008年人文学部学部長補佐。2009年10月副学長。

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委員 植生担当
島野 光司 准教授 信州大学理学部

須坂市の米子瀑布群の名勝指定には、滝だけでなく、それを取り巻く自然環境や文化財も構成要素として必要になります。これをきっかけに信州・須坂の豊かな自然環境が見直され、大事にされていくことに今回の名勝指定の意味があります。


1997年千葉大学大学院自然科学研究科(博士課程)修了。1997-2000年横浜国立大学環境科学研究センター研究員。2000-2002年電力中央研究所研究員。2002年より信州大学理学部助教授(現准教授)。専門は植物生態学。

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委員 地形地質担当
信州大学教育学部地質学(第四紀地質学・火山灰層序学)竹下 欣宏 准教授

これまでにも四阿火山の研究はありますが、米子瀑布の成り立ちと関係が深い四阿カルデラの成因については、きちんと議論されていないようですので、今回の学術調査を通して整理できればと考えています。


1999年信州大学理学部地質科学科卒業。2004年信州大学大学院工学系研究科博士後期課程修了。2004年栃木県立博物館学芸嘱託員。2008年長野市立博物館分館戸隠地質化石博物館専門員。2010年信州大学教育学部助教。2012年信州大学教育学部准教授。

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委員 地域史担当
須坂市文化財審議委員会 青木 廣安 氏

米子大瀑布は、近代米子硫黄鉱山開発の陰に隠れてきたが、霊峰四阿山と瀑布群、奇妙山平などを結ぶ、古代からの聖地であったことを明らかにし、秘境四阿火山カルデラ総体が名勝の地となることを期待する。


1957年度信大教育学部卒業、県下各地小中学校勤務、平成6年高山中学校長を最後に定年退職。地理学専攻し学生時代より、信大に事務局を置いた「長野県地理学会」会員、県下各地の巡検調査に参加。現在吉田隆彦信大名誉教授会長の下に、『地図に見る長野県の100年の歴史』編集に参加。須坂市では、信州大学工学部建築科の蔵の町並みキャンパス事業に「須坂の歴史や風土」についての現地講師や調査案内役を勤めている。

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