平成23年度卒業式告辞 (2012年3月)
6年ぶりの寒さと上雪(かみゆき)の量の多さに悩まされた信州にもやっと春の気配が感じられる季節となり、吹く風は日毎にやさしさを増し、林檎の枝もその赤さを増し、春の息吹を感ずる日を迎えました。 本日ここに、ご来賓ならびに関係各位のご出席のもと、平成23年度信州大学卒業式・学位記授与式を開催できますことに感謝申し上げます。 卒業生、修了生の皆様、信州大学の在学生と教職員を代表して、最高学府である大学での勉学を終えられたことを称えたいと存じます。特に、留学生の皆様は遠く母国を離れ、言葉、文化、習慣の異なる状況を克服され、見事に卒業・修了の目的を達せられました。そのご努力に深く敬意を表します。 ここで、卒業生・修了生の皆様にお願いがございます。皆様が在学中にお世話になった方々のお顔を、今思い起こしてみてください。皆様が思い浮かべられた方々に、卒業証書、学位記をお見せして、感謝の言葉を是非お伝えください。そして、私からも、お世話になった方々に対し、感謝の意を捧げたいと存じます。ありがとうございます。 さて、東北地方太平洋沖で発生した巨大地震・津波による重大な危機に直面した昨年3月11日から、はや一年が過ぎました。東日本大震災からの復興は、津波被災地のガレキの片付けから始まって、少しずつゆっくりではありますが進んでいます。 この一年の間、若い皆様はこのたびの災害について多くのことをお感じになり、お考えになり、またボランティアなどの行動を起こされた方も多いと存じます。その思いと行動力の尊さに敬意を表します。 私は二つのことを考えました。一つは大地震・大津波で破壊された人々のこれからの暮らしのこと、もう一つは福島第一原子力発電所のメルトダウンに伴う広範な放射能汚染についてです。 日本人は昔から多くの地震・津波を経験してきました。寒川旭(さんがわあきら)さんの著書「地震の日本史」(中公新書)によりますと、被害が具体的に記載されている地震としては、日本書紀にある筑紫(ちくし)地震(679年)、白鳳南海地震とそれに連動した東海地震(684年頃)に始まり、陸奥の貞観地震・津波(869年)、死者2万2千人といわれる明治三陸地震・津波(1896年)と、東海、南海、東南海、三陸など全国各地でマグニチュード8クラスの地震と津波がしばしば起きています。 しかし、私たちの先人は地震・津波によって繰り返される壊滅的な被害に屈することなく、その度に、力強く復興し、「美しい風土、自然に寄り添う生活、やさしい思いやりの文化」を絶やすことなく受け伝えてきました。この「日本人のこころのふるさと、こころのみなもと」は、長く万葉集に歌い継がれ、現在に至っています。 田子の浦ゆうち出(い)でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける (山部赤人 巻第3 318) 東国からの防人たちは、遠く故郷を離れた地で筑紫地震に遭遇したであろうし、子を思う歌で有名な山上憶良のほか、この山部赤人も白鳳地震に遭っていたかもしれません。 万葉集に歌われる「日本人のこころのふるさと」は今も引き継がれています。このたびの東日本大震災からも、日本は必ず復興を果たすと信じています。特に、東北の人々には、貞観地震・津波からも、明治三陸地震・津波からも立派に立ち直った先人の経験が受け継がれていると思います。私たちはその復興をしっかりと見守りそして温かく大きく支援したいと考えます。 東北の人のやさしさを歌う歌があります。 安積香山(あさかやま)影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに (巻第16 3807) 「安積香山の姿さへも映し出す清らかな山の井(戸)、浅いこの井戸のような浅はかな心であなたをお慕い申しているわけではありませんのに」というような意味でしょうか。貞観地震・津波のおよそ140年前の歌で、多賀城にあった陸奥国府に派遣された葛城王(橘諸兄)の怒りを解いた采女の歌です。彼女の深い教養と人への深い愛情を感じます。 では、福島の原発事故はどうでしょうか。過去の日本には、今回のような広域にわたる放射能汚染の経験はありません。汚染の原因となった原子力発電所のメルトダウンも初めてです。この未曽有の「一連の事故・災害」への対応には、新しい科学知識と技術が必要です。そして、的確かつ迅速な組織的取り組み、それも国家レベルの取り組みが必要であることは論を俟ちません。 一連の事故の原因究明は、専門家の調査結果(政府、国会、民間の三調査委)を待たなければならないでしょう。しかし、現時点では、安全神話という言葉の独り歩きで代表されるように、私ども国民の原発へのチェックの甘さがその遠因の一つとなっていると言っても良いのではないでしょうか。 現代の日本では、エネルギー、金融、運輸、社会保障など国民の生活を支える社会システムは大規模となり、複雑化、専門化が進んでいます。専門知識が十分ではない一般国民がこれら社会システムをチェックするためには多くの努力が必要です。その結果、どうしても「合理的無知:『知るのが大変なわりに知った価値は少ない』の考え方におちいり、知ることを放棄してしまうこと」になりがちです。日本はこれから人口減少の時代に入り、社会システムの省力化、複雑化はますます進行します。専門家任せとせず、自ら考えそして行動することが若い皆様に期待されています。 そして、広範囲の放射能汚染への対応はどうでしょう。このことについては、医療・安全の対策そして除染対策とも、旧ソ連のチェルノブイリ事故ですでに多くの知識、ノウハウが蓄積されています。特に、放射線被害者への医療に関しては、わが信州大学は大きく貢献をしているところです。しかし、汚染の状況は、気候や地形・地質によって大きく変わります。チェルノブイリの経験を起点として、日本での、福島での、さらなる汚染対策と除染技術の進化が必要となっています。 そのためには、ソクラテスの言う「無知の知」、孔子の言う「これを知るをこれを知ると為(な)し、知らざるを知らざると為せ。是知るなり」の考え方が大切です。私たちは、知への「謙虚さ」を持ち続け、新しい知と技術を創造し、福島の汚染対策と除染を腰を据えて支援することが必要でありましょう。それによって、はじめて「美しい風土、自然との共存生活、思いやりの文化」という「日本のこころのふるさと」を福島に取り戻すことができると考えます。 最後になりますが、本日、卒業・修了される皆様を信州大学は、いつまでも仲間だと、大学の一員だと考えています。ふと大学が懐かしくなった時、一緒に学んだ仲間に会いたくなった時は、いつでも大学に来てください。信州大学は皆様を歓迎いたします。そして、信州も皆様を歓迎することでしょう。 父母が頭(かしら)掻き撫で幸(さ)くあれて言ひし言葉(けとば)ぜ忘れかねつる (駿河の防人「丈部(はせつかべ)稲麻呂」 巻第20 4346) ご卒業、修了、誠におめでとうございます。
平成24年3月21日
信州大学長 山沢 清人

