南アルプス・仙丈ヶ岳の登山口に位置する大平山荘から西側の斜面を見上げると,稜線(馬ノ背尾根)付近から林道の近くまで,帯状に立木がなくなっているのが見えます(写真1)。ところどころ白っぽく土が見えているところもあります。
北沢峠を越えて,南アルプス林道を山梨県側に歩いていくと,正面(南西方向)に小仙丈ヶ岳が見えてきます。こちらの斜面でも,帯状に立木がなくなっているところがあります(写真2)。これらはどちらも,雪崩が流下した痕跡です。甲斐駒ヶ岳の山頂からは,2つの雪崩の痕跡を一望することができます(写真3)。

写真1 大平山荘前から撮影した馬ノ背尾根(2021/7/15)

写真2 南アルプス林道から見た小仙丈ヶ岳北東斜面(2021/7/23)

写真3  甲斐駒ヶ岳の山頂から見た仙丈ヶ岳(2021/7/18撮影,写真提供 金城学院大学薬学部 吉田耕治准教授)

 雪崩が起きたのは,仙丈ヶ岳から北に続く馬ノ背尾根の北東斜面(薮沢)と,小仙丈ヶ岳の北東斜面(雪投沢)です(図1)。発生時期は,衛星画像やスキーで訪れた人の写真等から2017年2月中旬から下旬とみられます。この雪崩によって,亜高山帯林(シラビソやトウヒ,カラマツ,ダケカンバ等)のまとまった倒木が発生し(写真4,5),藪沢では倒木の一部が流路に流れ込みました。2017年の雪崩による森林被害面積はそれぞれ約4.1 ha(藪沢),約3.5 ha(雪投沢)とみられます。

図1 雪崩流下範囲(地理院地図に加筆)

写真4 藪沢の雪崩跡地(2019/10/24)幹折れや根返りした倒木と礫が散乱する状況

写真5 雪投沢の雪崩跡地(2020/6/5)

 気候変動にともなって,豪雨や豪雪といった極端気象の発生が懸念されています。これまで雪崩の発生頻度が低く,樹木が大きく生長した斜面では,突発的な豪雪等で大規模な雪崩が発生した場合,まとまった倒木が発生する恐れがあります。さらに,倒木が渓流まで運搬されると,その後の出水で流木となることも考えられます。
 そこで,雪崩の流下にともなう倒木発生範囲を予測するために,2017年に雪崩にともなう倒木の発生した南アルプスの藪沢・雪投沢を対象として,雪崩の流下シミュレーションとその検証や,積雪と融雪をより正確に推定するための気象観測を実施しています。調査研究は,伊那市・山梨県・環境省の許可とご協力の下,中部森林管理局南信森林管理署と共同で実施しています。

 雪崩跡地では,折れた立木を探してその位置をGPSで記録し,地表からの高さや直径を測ります(写真6,7)。折れた幹は,雪崩がその場所を通過したことの重要な証拠になります。もちろん,雪崩以外にも立木が折れる要因はあるので,折れた幹や周囲の状況を見ながら判断しなければなりません。また,折れた幹からは,雪崩の速度を推定することができます。雪崩が立木に衝突した時,立木に作用する雪崩の力が樹木の強さを上回ると樹木は倒れます。そこで,折れた木の太さや樹種,折れた高さを調べ,雪崩が立木を倒すのに必要な最低限の速度を求めます。曲げに対する強さは樹種によって異なるので,樹種の情報も必要です。このように,雪崩跡地に残された幹折れ木は,雪崩の流下経路とその地点の速度の情報を記録した貴重な資料であり,雪崩の流下範囲や速度のシミュレーションを検証するのに不可欠なので,腐朽してしまう前に調べているところです。

写真6 幹折れしたシラビソの位置座標の記録と高さの計測(2021/7/16)

写真7 幹折れしたシラビソの直径計測(2021/9/12)

写真8 雪投沢の雪崩跡地斜面

 調査を行っている藪沢や雪投沢は,林道や山小屋が比較的近いとはいえ,高標高の森林で,しかも不安定な倒木や礫が散乱する急斜面なので(写真8),安全対策が欠かせません。林道から離れた場所でケガをすると命に関わります。そのため,天気がよい日に,早く始めて余裕のある行程で調査するようにしています。特に気をつけているのは,転倒や滑落によるケガ,クマ,ハチ,熱中症等です。倒木は非常に滑りやすく,登山靴で倒木の上を歩くのは非常に危険です。倒木の隙間に踏み込んでしまって脚が抜けなくなり,捻挫しそうになることもあります。倒木や礫が折り重なっているので移動もままなりません。計測したい幹折れ木がすぐ近くに見えているのに,大きく迂回しないと近づけないこともしばしばです。
 現地調査には毎回,非常食や飲み物,ハチ用スプレー,ポイズンリムーバー,日焼け止め,虫除けスプレー,サングラス等を携帯しています。さらにクマ対策として,クマにできるだけ早く自分たちの存在を気づいてもらえるように,匂いや音を発するもの(写真9)を総動員して,クマの五感に訴えるようにしています。

 クマは怖いですが,日帰りで亜高山帯の森林を調査できるのは伊那キャンパスのいいところだと感じます。現地調査に基づいた山岳域における土砂・流木の生産場や生産量予測の研究を通して,山岳域の安全で持続的な利活用に役立てたいと思います。

写真9 クマ対策のために現地に持っていくもの