2022年度秋季企画展「明治・大正期 信濃博物学の夜明けと長野県師範学校-矢澤米三郎とライチョウ標本を中心に-」でご紹介した矢澤米三郎は、「日本の植物学の父」といわれる牧野富太郎とも交流がありました。 1918(大正7)年1月、牧野富太郎は矢澤米三郎に対し、高山地帯に生息する多年草・タカネマンテマの標本を持っていたらいただけないかと相談しました。 (Web展示:「明治・大正期 信濃博物学の夜明けと長野県師範学校-矢澤米三郎とライチョウ標本を中心に-」p.70より) これを受けて、矢澤が、自身の教え子であり、日本における最初のタカネマンテマ採集者でもある岡田邦松を紹介したと見られます。 ほどなく牧野から岡田へ、標本借用と、牧野による解説文執筆の許諾を求める書簡が届きました。 はがき 牧野富太郎から岡田邦松へ 1918(大正7)年1月16日 諏訪市博物館 蔵 御ハガキ拝見仕候、然れば彼のタカネマンテマ誠ニ 申兼ね候へども、其標品一週間位御貸与被下 間敷、私用すみ候へば早速御返上申上べく 候、実ハ其記載文を発表致し度それ故 其標品を見度と存候、御許容被下候へば至急の書留 小包便ニて御送附相願度、用スミ次第又書 留小包便にて御返送申上べく候、右御許し被下候へば 大幸の至に存候、右御相談申上候 一月十六日 (訳) お葉書拝見しました そんなわけでかのタカネマンテマ誠に
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1949年5月31日、新制国立大学が一斉に発足しました。本学は、翌日6月1日を開学記念日としています。 記念日にちなんでこちらの資料をご紹介します。 バックル 1950(昭和25)年10月30日 真鍮:36mmx48mm 大学史資料センター 蔵 これは、信州大学開学の記念品としてつくられたベルトのバックルです。表には「大學」の文字とコマクサの彫刻が施されています。開学当時からコマクサが信州大学の象徴であったことがうかがえます。 こちらはバックルの裏側ですが、「信州大学開学記念 1950.10.30.」と彫られています。あれ?と思った人はいませんか。開学記念日は6月1日なのに、10月30日?しかも、1949年ではなく1950年? なぜ1950年10月30日なのでしょうか。 そこで、信州大学の開学から開学式までの歩みをたどってみると。。。 ▶1949年6月1日:開学 5月31日の国立学校設置法の公布・施行により、各都道府県に設置された新制国立大学69校の一つとして、 信州大学は6月1日に開学 ▶1949年6月:第1回入学試験・合格発表 文理学部・教育学部・工学部・農学部は、長野と松本を会場に第1回入学試験を実施し、 文理学部175名、 教育学部423名、工学部151名、農学部94名が合格しました。 繊維学部は、上田と東京を会場に第1回入学 試験を実施し、120名が
企画展関連資料:信大キャンパスの空撮写真(1960年代・1970年)
2023.05.11
[ 資料のご紹介 ]
現在開催中(4/1~5/31)の春季企画展「信州大学のなりたち -創立を夢見た明治から現在までのあゆみ-」に関連して行われたギャラリートークでは、1970年に撮影された空撮写真パネルを見ながら松本キャンパスの歴史についても解説しました。ギャラリートークに参加の皆さんは、当時と現在のキャンパスの風景の違いに興味津々のようでした。 そこで、大学史資料センターが所蔵する各キャンパスの空撮写真をご紹介します。現在ある5つのキャンパスの写真の裏には「1970.11.9」と書かれてあり、同日または同じころに撮影されたものだと思われます。また、人文・理・経法学部の前身である文理学部は、1973年に旭キャンパス(現 松本キャンパス)に移転するまでは、あがたの森公園の敷地にありました。写真は1960年代のもので、旧制松本高等学校以来の校舎は重要文化財となっています。 キャンパス内の建物はもちろん、周囲の様子も今とは随分違っています。それぞれがどのキャンパスの写真かわかりますか? 答えを知りたい方はこちらから ⇒ スライドショー「信州大学歴史探訪」【一覧】 <関連リンク>【春季】信州大学 大学史資料センター企画展「信州大学のなりたち-創立を夢見た明治から現在までの歩み-」のご案内
6月1日は信州大学の開学記念日です。 この日にちなんでこちらの資料をご紹介します。 文部省学校教育局長開学認可通知「新制国立大学設置について」 1949(昭和24)年5月31日 大学史資料センター 蔵 これは、文部省学校教育局長が、1948(昭和23)年7月31日付けの信州大学の設置申請について、大学設置委員会による認可の答申内容を信州大学創立事務責任者へ通知したものです。信州大学では、国立学校設置法の公布により"信州大学"が発足した1949(昭和24)年5月31日の翌日の6月1日を「開学記念日」としています。 このとき、大学創立事務責任者であったのは竹内松次郎です。医学部の前身である松本医学専門学校初代校長・松本医科大学学長を務めた竹内は、信州大学の設立に最も尽力した人物です。 資料の右端に、「十松 昭和24年6月21日」のサインと印章が押されています。「十松」とは竹内松次郎の雅号で、練馬の自宅に立派な10本の松があったことに由来しています。 内容をみると、位置を松本大字桐109に置き、学部学科は6学部13学科としています。また、条件として、校舎や実験室等の整備と図書・教員の充実をはかること、これらの実施については大学設置委員会に報告をし、必要な場合は同委員会に協議すること等が記されています。 また、本文中、色の濃い部分が2か所あります。「委員」の部分です。上か