人文学部大串教授のゼミ生たちが、フィールドワークで松本キャンパスの歴史を巡りました。案内人は、大学史資料センター福島教授です。センターの坂元、田中も同行しました。今回巡ったのは、松本キャンパス構内の13箇所です。順を追ってご紹介します。(クリックすると地図を拡大表示します。) ➤START 経法学部前 ①西門 このあたりには、戦前は松本衛戍(えいじゅ)病院(陸軍病院)、戦後は国立松本病院の正門がありました。 病院の建物は、現在の人文学部、経法学部棟から中央図書館のあたりにありました。 西門入口の案内看板の前で説明をする福島教授(左)と大串教授(右) ②キャンパスの南北高低差 理学部のB棟と講義棟の間には2~3mの高低差があります。B棟の1階から渡り廊下を渡って行くと、そこは講義棟の2階なのです。(;'∀') 松本キャンパスの土地は南北に傾斜しています。南端の附属病院と北端の人文学部ではおよそ15mの高低差があります。③法人本部北側 信州大学画像情報ネットワークシステム(Shinshu University Video and Data Network System)の電波塔があった場所です。SUNSとは、1988(昭和63)年~2007(平成19)年に、地理的に分散している信州大学の各キャンパスをパラボラアンテナを設置し繋いで映像と音声をお送り、講義や会議を行った画期的なネット
資料のご紹介一覧
「資料の梱包をする ~簡易的な方法~」では、資料を専門の業者に送る際の簡易的な梱包の方法をご紹介しました。 今回は、複製見本の校正をして、完成品ができるまでを簡単にご紹介します。右の写真が資料の原本です。複製の初校です。 断ち方: 資料の周囲をどう処理するか。 ①原本と同じように破けているところも再現する。 ②原本を切らない範囲で直線に切る。 色合い: ①基本色 ②黄色強め ③赤色強め ④暗め 違いがわかりますか? その他にも細かい部分を修正して、複製ができあがりました。原本資料と見比べていかがでしょうか? 「文部省学校教育局長会学区認可通知」複製 複製の特徴:①紙が破けている部分を残して周囲を長方形に切っています。②全体の色は、用紙の色が黄色みがかっているので、それに近づけました。③文字を修正した部分が分かるように強調させました。大学設置「協議」会→大学設置「委員」会④本文の印字と右下の受付印がそれぞれ反対側の紙に写っているのが分かるように強調させました。⑤左上のシミもそのまま残しています。 関連リンク・資料の梱包をする ~簡易的な方法~
資料の梱包をする ~簡易的な方法~
2021.04.19
[ 資料のご紹介 ]
大学史資料センターが所蔵する資料「文部省学校教育局長開学認可通知」は、信州大学の誕生を記した貴重な資料です。 しかし、劣化が激しく、展示でも度々使用されるため、保存が危ぶまれていました。そこで、資料の複製を作り、原本資料を保存することになりました。 右の写真が資料の原本です。用紙がとても薄く、中央は切れかかり周囲はボロボロに破けています。 原本資料の特徴を損することなく、同等のものとして展示できる複製を作るため、専門の業者に依頼します。では、業者へ送るとき、大切な資料をどのように梱包するのでしょうか。 次の動画で資料梱包の方法をご紹介します。簡易的な梱包の方法(MP4形式/約1分30秒、※音声なし) 動画の梱包の様子は簡易的な方法ではありますが、大切な資料なので何重にも包んで大切に取り扱います。 これを専門の業者へ送って、複製資料を制作していただきます。 次回は、出来上がった複製資料をご紹介します。 関係リンク・資料の複製を作る
私、およそ120歳です。~これからも毎日生徒たちを見守ります!~
2021.04.01
[ 資料のご紹介 ]
教育学部附属長野中学校の門柱が移設されましたのでご案内します。 『信州大学歴史探訪マップ』に掲載している、信州大学教育学部附属長野中学校北門の門柱は、令和2年4月、正門後方に移築されました。 この門柱は、現在の教育学部の地(長野市西長野)にあった長野県庁(明治7年建築)の2代目正門として明治30年代に建てられました。明治41年、県庁が火災により現在地(長野市南長野)に新築移転した後は、跡地に移転してきた附属小学校の正門、戦後には附属中学校の正門として残されます。さらに門柱は、昭和56年、附属長野中学校とともに現在地(長野市南堀)に移転し、文化遺産として今もなお大切に保存されています。 こちらもあわせてご覧ください。 旧県庁の建物の移り変わりと附属長野中学校に受け継がれた門柱(PDF/605KB) 【関連資料】 信州大学附属図書館研究(第十号) 『大学史としてのキャンパス前史(1)-旧長野県庁とその表門-』(福島正樹著)
