新着情報

資料のご紹介一覧

 附属図書館が所蔵している「小谷コレクション」に故小谷隆一氏にまつわる資料が加わりましたのでご案内します。 「小谷コレクション」は、旧制松本高等学校(信州大学の前身校の一つ)を卒業した小谷隆一が蒐集した8,000点を超える貴重な山岳図書で、2003(平成15)年に附属図書館に寄贈され、中央図書館2階の特別展示室に収蔵されています。小谷は、中学時代の恩師のもとで登山の薫陶を受けて以来、松本高等学校や東京帝国大学でも山岳部に属し、山へと傾倒を深めました。家業を継ぐ傍ら、カラコルム・ディラン峰遠征の隊長を務めるなど本格的な登山へと進み、一方で山岳図書の収集にも努め、山岳図書収集家の小林義正の高嶺文庫を引き継いで一大コレクション「小谷コレクション」をつくりました。 2025年秋、ご長男の小谷達雄氏より、父隆一氏の少年時代からの多数の写真や直筆原稿をはじめとする、230点に及ぶ貴重資料が寄贈されました。このたびの寄贈は、2024年度に開催の大学史資料センターの企画展「小谷隆一生誕百年回顧展 -山を登り、山を読み、山を慈しむ-」において、ご親族から資料提供のご協力をいただいた経緯から、寄贈の依頼を受け実現したものです。小谷氏の人生と人柄を身近に感じられる資料であり、実際に企画展において展示したものも含まれています。 (写真:小谷達雄ご夫妻)「小谷コレクションの展示室にて」(2025年10月31

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       宣誓

       宣誓

せんせい工学部所蔵資料作者:新入生総代 春田和男 資料の年代:1948(昭和23)年4月 品質形状:薄葉紙(280 mm x 400 mm)  この宣誓書は、『儀式に関する綴り』の中に綴られていました。  工学部の前身校である長野工業専門学校の最後の入学式において宣されたものです。このときの新入生は146名、校長は臼井 武(昭和21年5月31日~昭和23年8月31日在籍)でした。翌24年に信州大学工学部となりましたが、最後の卒業生を送り出す昭和26年3月までは信州大学長野工業専門学校として併設されました。 文中の「此の秋は」は季節の「秋」ではなく、"このとき"と読みます。 (関連資料) 「第6回入学式式次第」 (昭和23年4月21日)   品質形状:藁半紙、片面活字印刷 入学式は寄宿舎食堂で執り行われました。当時、まだ講堂はなく、『信州大学設置概要書』(昭和24年4月)によると、講堂は「寄宿舎食堂と兼用」と書かれています。  講堂は工学部の表看板として、正門を入った左側に真っ白なモダン建築が建てられました(昭和29年3月31日新築落成)。なお、現在その場所には、工学部60周年記念事業として建てられた工学部科学技術総合振興センター(SASTec)があります(平成21年11月30日竣工)。 <関連資料> No.31 答辞(1949年3月15日 長野工業専門学校卒業式) 『信州大学工学部

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   「開学式典写真集」より

   「開学式典写真集」より

 信州大学は、昭和24年5月31日交付の国立学校設置法にもとづき、文理・教育・医・工学・農学・繊維の6学部からなる新制の国立大学として、6月1日より発足しました。このとき、前身校のひとつである松本医科大学の地(松本市大字桐)に大学の本部が新設されました。現在の松本キャンパスです。 開学記念式典は、大学組織も整った翌昭和25年10月30日に盛大に執り行われました(写真1、2)。このとき、式典は、教育学部松本分校講堂(現信州大学附属松本小学校・中学校講堂)(写真3)、祝賀会は同場所及び医学部の建物など3会場にて、講演会は文理学部講堂(旧制松本高等学校講堂)で行われています。(参照:大学史資料センター企画展「信州大学誕生」Web版) ここでちょっとした疑問?  なぜ、式典が教育学部松本分校の講堂で執り行われたのでしょうか。 理由については不明ですが、当時の周辺地図(図1)から、信州大学に統合される教育学部の松本分校が本部と道を隔てて隣にあることがわかります。そして、本部が置かれた医学部の建物配置図(図2)を見ると、式典会場として使える講堂のような建物が見当たらないことから、すぐ隣にあった分校の講堂が会場になったと想像できます(図3)。このとき、式典の来賓および関係者は1,000人余りで、席の後ろには立見の人が大勢いるほどでした。(出典『学窓そして三十年』(引用元信州大学新聞教育学部本校版

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理学部A棟前(南東側)のメタセコイヤの木

理学部A棟前(南東側)のメタセコイヤの木

 大学史資料センター第6回企画展「野尻湖発掘を支えた信州大学の人びと」の関連情報をご紹介します。 野尻湖発掘では第6次発掘(1975年3月25日~3月31日)のあと、全国各地に「野尻湖友の会」が組織されました。 第5次発掘に参加した人たちが、発掘の感激と成果を伝える行事を全国各地で計画し実行しました。そして、地域ごとに組織をつくり学習会などを行うようになったことが友の会のもととなりました。当時の野尻湖発掘への熱い想いが伝わります。 長野県内では、東北信野尻湖友の会と中南信野尻湖友の会がつくられました。中南信野尻湖友の会は、信大理学部地質学研究室に事務局が置かれました。友の会の結成1周年を記念して植えられたのがメタセコイヤの木です*。理学部A棟の南東側にあり、当時は2メートルくらいの高さだったものが今では屋上(最上階は6階)を超えるまでに成長しています。 このメタセコイヤの木は、野尻湖発掘のあゆみとともに成長してきたのですね。*野尻湖発掘調査団,増補版「象のいた湖」,新日本出版社,1992,p.225. <関連リンク>大学史資料センター第6回企画展「野尻湖発掘を支えた信州大学の人びと」のご案内

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