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「開学記念日」関連資料

2022.05.26  [ お知らせ ]   [ 資料のご紹介 ] 

 6月1日は信州大学の開学記念日です。
 この日にちなんでこちらの資料をご紹介します。




 
 
  文部省学校教育局長開学認可通知「新制国立大学設置について」
  1949(昭和24)年5月31日
  大学史資料センター 蔵

 

 これは、文部省学校教育局長が、1948(昭和23)年7月31日付けの信州大学の設置申請について、大学設置委員会による認可の答申内容を信州大学創立事務責任者へ通知したものです。信州大学では、国立学校設置法の公布により"信州大学"が発足した1949(昭和24)年5月31日の翌日の6月1日を「開学記念日」としています。

 このとき、大学創立事務責任者であったのは竹内松次郎です。医学部の前身である松本医学専門学校初代校長・松本医科大学学長を務めた竹内は、信州大学の設立に最も尽力した人物です。
 資料の右端に、「十松 昭和24年6月21日」のサインと印章が押されています。「十松」とは竹内松次郎の雅号で、練馬の自宅に立派な10本の松があったことに由来しています。

 内容をみると、位置を松本大字桐109に置き、学部学科は6学部13学科としています。また、条件として、校舎や実験室等の整備と図書・教員の充実をはかること、これらの実施については大学設置委員会に報告をし、必要な場合は同委員会に協議すること等が記されています。

 また、本文中、色の濃い部分が2か所あります。「委員」の部分です。上から「委員」と印字された紙が貼られています。初めに印刷された文字は、「審議」と読むことができます。ちょうどこの頃、「大学設置委員会」から「大学設置審議会」へ組織変更する直前の時期であったため、誤字を正しい方に修正したと考えられます。

 さて、お気づきでしょうか。
 初めから5行目。「信州大学」であるはずの文字が「新州大学」となっています。これは誤字だと思われますが、文部省が国立大学設置の準備で慌ただしかった様子がうかがえます。「審議」を「委員」に貼り直したのならば、どうして「新州」も直さなかったのか!と思わざるを得ません。
 そして、新制国立大学設置に関する十一原則の(八)には、「大学の名称は、原則として都道府県名をもちいるが、・・・」とありますが、どうして「長野大学」にならなかったのでしょうか。その理由は、こちらのコラムに書かれていますのでご覧ください。



<関連リンク>
企画展「信州大学誕生」(Web版)展示解説
信州大学「開学記念日」のお知らせ
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