6月1日は信州大学の開学記念日です。 今回ご紹介するのは、開学翌年の1950(昭和25)年10月30日に松本の本部で挙行された開学式をうけて、各学部でも開催された記念行事のひとつ、「開学記念体育祭」(教育学部)のパンフレットです。 体育祭のスローガンは「今日のスタートが平和日本へゴールイン」 開学記念体育祭パンフレット 1950(昭和25)年11月1日 254×362㎜(見開き) 「信州大学 開学記念体育祭」 主催:信州大学教育学部・長野師範学校・ 青年師範学校 開学記念祭委員会 卒業生寄贈資料(教育学部一期生) 大学史資料センター蔵 11月1日に教育学部校庭で予定された体育祭は、実際には雨で順延し4日に行われました。注目すべきは、誕生したばかりの信州大学教育学部本校と前身校である長野師範本科・予科および青年師範学校の合同主催で盛大に開催されたことです。朝の8時半からはじまり午後4時まで全49競技の盛り沢山なプログラムで、徒競走(予選・決勝)やダンスなどを中心に多種多様な種目が行なわれました。一日かけてのお祭り行事でした。出場者名を見ると、附属小・中学校生徒や旭幼稚園・中央保育園の園児たちの競技もあり、参加者と関係参列者、家族や観客を合わせると相当の人で盛り上がったことが伺えます。最後に「信濃の国」を合唱して閉会するところは信州大学教育学部ならで
寄贈資料一覧
No.43 思誠寮夜景 "寮と北斗七星"
2025.11.27
[ 寄贈資料 ]
しせいりょうやけい "りょうとほくとしちせい" 卒業生資料(医学部卒)撮影者:鈴木孝司(人文学部卒業生)資料の年代:1972(昭和47)年頃品質形状:モノクロ写真、400mm x 350mm(額入り) 思誠寮とその夜空に光り輝く北斗七星を撮った写真です。 こまくさ会※の一員である鈴木孝司氏の作品で、先輩の教えのもと写真を学んでいたころに撮影されたものです。 資料を寄贈したのは医学部卒業生T氏ですが、T氏はこの作品をこまくさ会初代幹事を務めたK氏から贈られ保管していました。これはおそらく、鈴木氏が自身の撮った写真を複製し、交流が深かったK氏に贈り、その後、さらにK氏と深い親交があったT氏に渡ったと推測されます。このストーリーは、鈴木氏と同期で親交が深く、鈴木氏の自宅に同じ作品が飾ってあることを知っていたE氏の話しから明らかになりました。いずれの方もこまくさ会のメンバーです。 思誠寮寮歌「高原の黙示」の一番冒頭の歌詞にある「筑摩の森の御空に高く 輝く白きあゝあの明星は」を表現したこの作品は、寮生たちの学生時代を偲ぶ1枚として仲間たちに受け継がれてきたのです。 ※こまくさ会:思誠寮で生活を共にした学生たちのOB会のひとつ。主に昭和36年~45年に入学した 寮生を中心とする仲間で、現在も毎年各地から松本に集まり親睦を深めています。 <関連資料>[寄贈資料]No.13 思誠寮
9月11日、文理学部同窓会の同窓生約40名があがたの森文化会館に集まり、最後の総会を開催しました。大学史資料センターも参加させていただきましたので、その様子をお知らせします。 1972(昭和47)年に再発足して以来、53年続いてきた同窓会は、この会をもって会報発行、総会の開催を終了しました。可知会長が会の歴史を振り返り、当時の場所を示しながら建物や植栽などの話をしている姿が印象的でした。 信州大学文理学部は、前身校の松本高等学校の校舎を受け継き学び舎としました。昭和40年代の終わり、校舎解体の危機が訪れたときには同窓生たちは立ち上がり存続に尽力しました。その努力と熱意によって遺された本館と講堂は、現在、旧制高等学校記念館として引き継がれています。2007(平成19)年には国の重要文化財に指定されました。 この度、大学史資料センターは創刊号から最終号までの会報(全55冊)の寄贈と依頼を受け、すべてをアーカイブ(PDF化)しました。それをもとに同窓会が「信州大学文理学部同窓会報 バックナンバー」(DVD)を制作し、最終総会の記念品としました。来春には、このDVDのデータをもとに同窓生有志たちが再編集した記念誌が発行される予定です。 講堂(北側入口) 受付に訪れた参加者 総会の様子 「感謝状」を紹介
No.42「知止不殆」 竹内松次郎 書
2025.09.09
[ 寄贈資料 ]
「ちしふたい」 たけのうちまつじろう しょ 卒業生資料(松本医学専門学校)作者:竹内松次郎 資料の年代:不明 品質形状:色紙、270mm x 250mm 松本医学専門学校初代校長、松本医科大学学長(いずれも医学部の前身校)および信州大学創立準備責任者を務めた竹内松次郎の書です。 「知止不殆」とは、『老子』第四十四章「知足不辱、知止不殆、可以長久。」(足るを知れば辱められず、止まるを知れば危うからず、以って長久なるべし。)にある言葉で、「ほどほどを心得ていれば自らを危険にさらすことは無い。」という意味です。ほどよい所で、満足をすることの大切さを言った言葉です。 竹内は、信州大学創立準備責任者として、国、県、市町村、前身校などとの調整を精力的に行い、総合大学である「信州大学」の設置を主導した人物です。このような功績からも、信州大学初代学長になり得た人物でしたが、学長の座に就くことはなく医学部長を務めた後、1949(昭和24)年8月、松本を離れ福井大学学長となりました。この書についての制作年は不明ですが、このころの心情をあらわしたものなのかもしれません。 左下の「十松(じゅうまつ)」は竹内の雅号で、竹内の資料には多くみられます。 <関連リンク> 企画展「信州大学誕生」(Web版)のご案内「松本キャンパスのはじまり:信州大学誕生 その2」大学史資料センター 福島正樹(信州大学機関リポ
