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さわき もとえい

澤木 幹栄

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ワールドカップ その1

日本チームの快進撃で日本中にサッカー熱がよみがえったようだ。高校のときにサッカー部にいた私にとってはとても喜ばしいことだ。

開催国の南アフリカはワールドカップで決勝トーナメントに進むことができなかった。しかし、国民全体が代表チームを応援していることは中継映像などからも読み取ることができたと思う。

ところで、最終戦の南アフリカチームの先発メンバーに白人の姿がなかったことに気がついただろうか。
日本では意識されることがほとんどないが、スポーツには社会的な階級の違いが露骨に反映されることがある。今でも、オリンピックの水泳競技でアメリカチームでは白人が多数を占めるし、冬季オリンピックのスケート競技ではあまり黒人の姿を見ることがない。テニスやゴルフでも同様の傾向がある。テニスでの黒人の先駆者はキング夫人が全盛だったころ(今から40年近く前だが)のアーサー・アッシュだったと記憶する。キング夫人とアッシュがウィンブルドンを制したときのタイム誌の見出しが"King Arthur's Court"だった。
サッカーに話を戻せば、イギリスではサッカーは労働者階級のスポーツで、ベッカムやリネカーのようなスター選手のインタビューを聞いているといわゆるクイーンズイングリッシュを話していないことがよくわかる。日本では「訛りは国の手形」と言うが、イギリスでは出身階級が言葉で分ってしまうのだ。
それでは、中産階級や上流階級のスポーツは何かと言えば、ラグビーなのである。
南アフリカのラグビーの代表チーム(スプリングボックス)は世界のトップクラスの実力だが、このチームは白人主体で構成されている。
何年か前にラグビーのワールドカップが南アフリカで開催されたとき、マンデラ大統領は黒人も白人もこのチームを応援することが国の統合の象徴であるとしたが、今回は白人が代表チームを応援していた。南アフリカという国の希望はそこにある。

たかがサッカーと馬鹿にしてはいけない。サッカーは国民性も社会の構造も映し出してしまう鏡なのだ。

 

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