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さわき もとえい

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「将棋倒し」は使ってはいけない言葉?

もう一週間以上前のことになるが、新聞等で「原宿で人が折り重なって倒れた」という報道があった。どうして折り重なって倒れるのか、一種の集団ヒステリーかそれとも光化学スモッグかと考えてしまうのだが、実際に起きたことは「将棋倒し」という言葉で普通に言われていること近いものだったと思われる。

ある言葉を使わないことで、どれだけ回りくどくなってしまうかの見本のような話なのだが、それではどうしてそんなことが起きたのか。

今から9年前に明石歩道橋事故が起きた。これは花火大会を見るために大勢の人が歩道橋上に密集し将棋倒しになって多数の死者が出るというものだった。このときマスコミ各社は「将棋倒し」事故として連日報道したのだが、それに対して将棋連盟の二上会長(当時)が「将棋に対して悪いイメージを与える」と抗議したうえで、「『将棋倒し』を使わないように」と要請した。

新聞社やNHKは将棋のタイトル戦を主催したりしていて将棋連盟と利害関係があり、将棋連盟の要請を無下に断ることはできない。そんなわけで、以後「将棋倒し」はマスコミから姿を消したが、ひとり産経新聞だけは「将棋倒し」を使い続けている。この点に関しては産経新聞の見識を評価したい。

この話は米原万里が「ことばは誰のものか」という題のエッセー(三省堂のPR誌に掲載)で取り上げたことがある。

将棋連盟の言い分は無理無体というものである。まず、「将棋倒し」で死人が出たからといって将棋というゲームに悪いイメージが生まれるなどということは全くない。いわゆる差別語の問題とはその点で異なる。それに対して、この世の中から「将棋倒し」という言葉を抹殺してしまうとどんなことが起こるか、それをしめしているのが今回の事件だと思う。

最初に戻って、「人が折り重なって倒れる」では、「後ろから集団の強い圧力を受ける」という意味がすっぽりとなくなった結果、複数の人がそれぞれの事情で同時に倒れたような印象を受ける。その結果としてそのような状況がどうして生じるのかいろいろと想像させられてしまう。結果的にどの想像も的外れなのだが。

「将棋倒し」という我々の言語社会の共通財産である言葉をなくしてしまうとこんなに不都合なことが起きる。

ウェブの記事をいくつか見たところ、朝日と読売は「将棋倒し」を使っていなかったが、産経は使っていた。また、NHKも「将棋倒し」は使わなかったが、目撃者のインタビューで「ドミノ倒しのように倒れた」と目撃者に語らせていた。言葉としては「将棋倒し」のほうがずっと一般的だと思うのだが。

 

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