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伊藤 尽

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『ユリイカ:詩と批評』2023年11月臨時増刊号:特集J. R. R. トールキン

特徴その1:没後50年 総特集として、J. R. R. トールキンについてまとめられました

『ユリイカ:詩と批評』2023年11月臨時増刊号表紙

『ユリイカ:詩と批評』令和5年11月臨時増刊号の発刊に合わせ、見本が届きました。
「総特集:J. R. R. トールキン 没後50年〜異世界ファンタジーの帰還」と題されています。
今更ではありますが、トールキンはThe Lord of the Rings、邦題『指輪物語』(評論社刊)の原作者です。

今回、お話を頂き、評論を1編、エッセイを1編、そしてブックガイドに9編を執筆、ブックガイドの編集の高橋勇先生を、辺見葉子先生とともに協力するというお仕事を頂き、なんとか完了致しました。


評論は「『ロード・オブ・ザ・リング——力の指輪』の詩的想像力とは」と題し、アマゾン・プライムから配信されているドラマ『ロード・オブ・ザ・リング——力の指輪』の中で、エルフ語クウェンヤが実際に発音されていることが、原作者トールキンの詩的想像力の発現であると訴えています。



エッセイは「エルフ語を話す人たちとポストコロナを迎えたい」と題して、さらにエルフ語を生んだトールキンの知的・学問的関心を解説しながら、エルフ語学修や会話の意義や楽しみについて、紹介しました。



そして、ブックガイドです。
この「トールキンを楽しむためのブックガイド」は慶應義塾大学文学部の高橋勇先生が編集長を担当され、同大学文学部の辺見葉子教授とわたしと三人で、先ず日本で入手可能な作品を挙げながら、どの本を紹介するかを選定しました。多くの関連書物もある中で迷いましたが、トールキンが執筆し、書物として出版された作品だけを取り上げることにしました。但し、紙幅の関係もあり、全12巻に及ぶ遺稿の総集編『中つ国の歴史(The History of Middle-earth)は含めないことにしました。その一方で、トールキンの学者としての著作は、邦訳がなくても含めることにしました。
この「ブックガイド」は、以下に述べるこれまでの様々な紹介書籍の中でも、現在の最終形態、つまりは決定版として保存版の価値を持つものだと考えています。


「ブックガイド」で私が取り上げた作品・書物は以下のとおりです。
(1)『ビルボの別れの歌』(欧文初版1974年)
(2)『シルマリルの物語』(欧文初版1977年)
(3)『中英語語彙集』(初版1932年)
(4)『ベーオウルフ:翻訳と注釈、附セッリーチ・スペル』(欧文初版2014年)
(5)『ベーオウルフ 怪物たちと批評家たち』(初版1937年)
(6)「ベーオウルフ翻訳について」(初版1940年)
(7)『アーサーの死』(欧文初版2013年)
((4)〜(7)の4作品はまとめて紹介)
(8)『フィンとヘンゲスト:断片と挿話』(初版1982年)
(9)『ベオルフトヘルムの息子ベオルフトノスの帰還』(欧文初版1953年)
(10)『モールドンの戦い 現代英語訳』(初版 2023年)
((9)〜(10)の2作品はまとめて紹介)
(11)『古英詩出エジプト記』(初版1981年)
(12)『シグルズとグズルーンの伝説』(欧文初版2009年)
(13)『クッレルヴォ物語』(欧文初版2015年)

特徴その2:トールキンを扱った『ユリイカ』史上で最も分厚い中身と記事

この一番右のが今回の『ユリイカ』増刊号。次の段落では、こんなに分厚い『ユリイカ』は初めて‼という話をします。

表紙と目次を見ると、執筆者や対談が文字通りスゴイ人たちばかりになっています。
以下、敬称略で御紹介します。

作家の上橋菜穂子の巻頭「なにか、とても美しいものを」は、冒頭を飾るに相応しい、高雅な雰囲気のエッセイです。

小谷真理「われらインク人、魔法を使う創造者:講義の合間の異世界談義」では、わたしの拙い訳書であるジョン・ガース著『J. R. R. トールキンの世界』(共訳、評論社刊)の紹介から始まり、面映ゆい気持ちでした。感謝申し上げます。

三番目は井辻朱美「ファンタジーの祖型はなぜトールキンなのか」は、相変わらずの硬軟合わせ持つ筆致でファンタジーの類型論を含んでいます。

「エンチャントメント、場、空間」はパトリック・カリーの講演を、占星術師鏡リュウジが翻訳しています。

五番目のケルト学者、鶴岡真弓「『指輪物語』と『ベーオウルフ』の生命循環:「金属文明」の始原へ」は、タイトルが示す通り、中世文学とファンタジー文学を、文明論から読み解きます。

中世ドイツ文学者一条麻美子による「指環と指環:欲と黄金の物語の系譜」は、タイトルが示すとおり、ワーグナーの楽劇とトールキンのファンタジーを系譜として捉えています。

フィンランド史、文学史からの解説石野裕子「トールキンはなぜ『カレワラ』に出会うことができたのか」は、エリアス・リョンロット(ロンルート)の『カレワラ』編纂の丁寧な紹介で勉強になります。わたしも大好きなフィンランドの画家アクセリ・ガッレン・カッレラによる『クッレルヴォの呪い』(1899年)も白黒で掲載されていて、嬉しかったです。

『ユリイカ』恒例の対談は、今回は文学の翻訳研究者である大久保ゆう、トールキンとウィリアム・モリスの関係を研究する川野芽生、ダナ・ハラウェイの研究者である逆巻しとねの三者による「トールキンに/から伸びる道:創られた世界で生きるということ」です。三人それぞれの御専門の視点から深い考察が展開されて、とても面白い内容でした。なお、対談内には、『ユリイカ』のバックナンバーに掲載された論文への言及もあり、対談者が『ユリイカ』のための対談のために入念に準備してこられたと、拝察できます

以下、しばらくトールキンのファンタジーと、合衆国の文化や価値観との関わりに関する論考が続きます。

わたしの論考に続いては、ジェンダーや政治的視点を踏まえた清水知子「怪物とファンタジーの紬ぎ手たち:J. R. R. トールキンと「人種」をめぐる覚書」です。ここでは、私が取り上げられなかった、『ロード・オブ・ザ・リング——力の指輪』において俳優イスマエル・クルス・コルドバがエルフを演じたことについて言及があり、読者に「固定観念」について考えさせる内容になっています。
わたしも着ているエルフのTシャツとも関係がある内容です!(Tシャツについてのリンクを下に貼りました)

木澤佐登志「トールキンを読むシリコンバレー:カウンターカルチャー、シリコンバレー、『指輪物語』」は、「ファンタジーといえば文系オタク文化」という呆けた先入観を持つ人たちへのカウンターパンチになるだろうと思われる、小気味よい論考です(もっとも、そんな的外れな先入観を、いまどき持っている人などいないでしょうけれど)。

続く3編は、トールキンとゲーム世界についての深い考察を導いてくれるでしょう

森瀬繚「ゲーム的ファンタジーとトールキーン世界」

上田明「中つ国を体験するTRPG:数値勝負から体験へ」

ただのぎょー著「『一つの指輪:指輪物語TRPG』リプレイ抜粋」は、慶應義塾大学ファンタジー研究会会員が参加した、株式会社ホビージャパンのゲームの中身が想像されます。

ここからは、英文学研究者たちによる論考が4編続きます。

辺見葉子「トールキンと『ブリティッシュ』/『ケルティック』」
高橋勇「二〇世紀カトリック詩人としてのトールキン」
岡本広毅「英雄精神と〈騎士道〉:トールキンのベオルフトノスとガウェイン」
アラリック・ホール著、岡本広毅訳「リーズ大学のJ. R. R. トールキン」


わたしのエルフ語についてのエッセイの後は、山本史郎「『ホビット』とともに歩んできた翻訳論」

小野文「想像言語の比較研究ノート:あるいは母語からいかに飛躍するか」があります。これは、わたしと同じようにトールキンとバーフィールドの関わりを、ヴァーリン・フリーガーの処女作を参考に述べていますが、私とは少し違った視点だったのが興味深かったです。

続く朋友小澤実による「トールキン・ルーン文字・JRPG」は、近刊予定の論集『中世映画』に寄稿した拙論に、是非とも参考文献として挙げたかった優れた内容を持っていて、掲載に間に合わなかったのが個人的に惜しまれますが、『ドラクエ』第一世代を大学時代に遊んだ身としては、懐かしく、かつ「へぇ〜」と教えられる内容も含んでいました。


これに続いては、テクスト研究の論考が続きます。

桑木野幸司「テクストの中の『中つ国』:言の葉が織り紡ぐ再生の庭」は、西洋美術、建築学、庭園史の専門家らしい趣に富んだ内容で、『指輪物語』全巻を読みながら、参照し、風景を堪能したくなる内容です。

勝田悠紀「もうひとつのフィクション性:『妖精物語について』における〈現実〉の位相」は、現在、伊藤尽ゼミでセットテクストととしても用いている、トールキンのファンタジー論『妖精物語について」の新たな解釈を提示しています。懐かしのローズマリー・ジャクソンの『ファンタジー論』に言及しているのも、個人的に親しみが持て、理解を進みました。多くの示唆に富む内容を持っていて、ファンタジー文学研究者ならば、一度読んでおくべきでしょう。

岡田進之介「ファンタジーの魅惑:J. R. R. トールキン『妖精物語について』におけるフィクション理論」は、杉山洋子訳を元に、丁寧に読み解こうと努めた、好ましい論考です。ただ、トールキンのより深い考察には至っていないのが、やや残念な気もいたしました。

石倉敏明「トールキンと現代の神話:準創造という概念をめぐって」は、よく勉強をしている、という印象を持つ好論です。日本語文献をしっかりと読みこんだからこその内容で、本誌の後に掲載されていますが、知的好奇心の高い読者ならば、なるべく最初に読んだ方がいいくらい。トールキンと彼の創作活動についてあまり知らない読者への、よい導入となると考えます。

論考の最後を飾る渡邉裕子「物語を受け継ぐ方法:『再創造』という創作・読解行為からみる、トールキン再読の可能性」は、配信ドラマ『力の指輪』の紹介を丁寧にしていて、わたしの論考よりも先に読むべきものかも知れないと感じたほど。内容的にも私とは異なる視点で、或る意味、この論考の後に私の論考を掲載してくださっても、よかったのかな〜?と。


そして、ブックガイドのあとの「編集後記」に私たちの名前が挙げられていたのが嬉しい驚きでした。こちらこそ、編集部の皆様に御礼申し上げます。

トールキンを扱った、日本の批評誌の系譜

トールキン/ファンタジー関連の特集をした、評論系雑誌

ココに挙げたのは、『ユリイカ:詩と批評』をはじめ、トールキン及びトールキンに関連する研究分野を特集した、日本で発行された批評誌です。年代順に列挙してみましょう:
①『ユリイカ:詩と批評』(青土社)第10巻第10号(1979年8月) 特集:妖精物語 ファンタジーの深層へ
②『幻想文学』(幻想文学会)12号(1985年秋[9月]) 特集:インクリングズ—トールキン・ルイス・ウィリアムズの世界
③『ユリイカ:詩と批評』第24巻第7号(1992年7月) 特集:トールキン生誕百年—モダン・ファンタジーの王国
④『鳩よ!』(マガジンハウス)No.216 第20巻第4号(2002年4月) 特集:トールキン—『指輪物語』を読もう
⑤『ユリイカ:詩と批評』第34巻第6号(2002年4月臨時増刊号) 特集:『指輪物語』の世界—ファンタジーの可能性
⑥『月刊 言語』Vol.35, No.6 (2006年6月) 特集:ファンタジーの詩学:想像力の源泉をたずねて
⑦『文学』(岩波書店)第7巻第4号(2006年7,8月) 特集:ファンタジーの世界
⑧『月刊 言語』Vol.35, No.11 (2006年11月) 特集:人工言語の世界—ことばを創るとはどういうことか


件の『ユリイカ』がトールキンを初めて特集したのは、「1979年8月号 特集:妖精物語 ファンタジーの深層へ」でした。このときも、執筆者がスゴかったのです。 確かにかなり昔のものですが、だからこそ、今一度、内容を少し詳しく見てみましょう



特集の冒頭が手塚治虫「映画の中の妖精たち」であることに驚くかも知れません。これは近刊書でも言及するつもりです。
続いて、心理学者の秋山さと子「『指輪物語』の現代的意義」だというのも驚きです。論の始まりはロジェ・カイヨワで、時代を感じますが、特集が「妖精物語」であることを考えると、このタイトルだけでも、秋山さと子の先駆的なアンテナの鋭敏さが判ります。それにしても、ベルクソンからユングにまで当然言及するのですが、『指輪物語』とガルシア・マルケスの『百年の孤独』を、あたかもペアであるかのように何度も併記していることが印象的です。
そして、二編の翻訳論文が続きます。
最初は、今回の増刊号の対談でも言及された、英国桂冠詩人であり、かつてはトールキンの講義に出席したこともある、W.H.オーデン著(中矢一義訳)「探求物語としての『指輪物語』」です。
次がレスリー・フィドラー著(佐藤良明訳)「フェアリーテールへの招待('Introduction' in Beyond the Looking Glass (1973))」
呼応するかのように、次が山室静「妖精学事始め」です。北欧文学の紹介者である山室は、後に市場康男が訳した(『妖精の誕生:フェアリー神話学』社会思想社, 1982)トマス・カイトリーの名著The Fairy Mythologyを紹介しています。
青山学院大学の冨山太佳夫「ルイス・キャロルと妖精物語」、立教大学の吉田新一「五つの妖精物語」のあと
矢川澄子の訳で、飯野和好が挿絵を描いたメアリ・ド・モーガンの「オパールのお話」が続きます。
そして、満を持したように、井村君江「妖精:その種類と淵源」、詩人で明治学院大学仏文学教授の天沢退二郎と、児童文学作家で、元岩波少年文庫編集者だった、いぬいとみこの対談〈甦るファンタジー〉です。

続いてファンタジー・児童文学作家による論の翻訳が2編。ロイド・アリグザンダー著(大原えりか訳)「ハイ・ファンタジーと英雄物語」、アラン・ガーナー著(神宮輝男訳)「レッド・シフト」です。
特集の最後は、金井美恵子「アダルト・ファンタジーへの疑問についてのメモ」で、ファンタジー文学への懐疑論が打ち立てられています。


②『幻想文学』では、インクリングズという、オクスフォード大学でトールキンの同僚で親友だったC. S. ルイスを中心とした文芸/研究サークルの三人の文学者を特集しました。
トールキンだけに絞って記事を見ると:
〈対談〉別役実+天沢退二郎「別世界創造の方法と実践」pp.17-27.
蜂谷昭雄 ‘The Fellowship of the Inklings’, pp.34-39.
赤井敏夫「インクリングズの中のトールキン神話」, pp.40-49.
種田又右衛門編訳、翻訳協力磯村薫「友情と孤独と:『トールキンの手紙』を読む」, pp.50-59.
斎藤敦夫+菅原啓州「回想の瀬田貞二」, pp.112-19.
石堂藍「ブックガイド インクリングズを読む」, pp.120-23.


③『ユリイカ』の特集は、「失われた道」(赤井敏夫訳)、「領主と奥方の物語(レー)」(辺見葉子訳)、「密やかな悪徳」(松田隆美訳)という三編が「本邦初紹介」と銘打って翻訳が掲載されました。
このときの中心は慶應義塾大学文学部の高宮利行教授。ファンタジー・ブームなどと縁遠かった時代に、よくこれほどの執筆者が集まったものです——吉田新一、忍足欣四郎、高宮利行、井辻朱美、赤井敏夫、鶴岡真弓、小谷真理、トールキン研究会「白の乗手」からは月館敦子、山本まみ。加えて、わたしの先輩や後輩が執筆しました(わたしは遠いアイスランドで留学生としてアイスランドの言語と文献を学んでいました)。
岩井茂昭はウォームズリー著「トールキンと六〇年代」を訳しました。また、論考は辺見葉子、柳沢富夫、宮原弥子の面々です。



今のORPG隆盛の時代から見ると、宮原弥子「ヒーローになろうよ:トールキンとRPG」(pp.220-28)は、貴重な評論となっています。ワタシも近刊書執筆ではお世話になりました。

21世紀のトールキン/ファンタジー関連記事

④からは21世紀に入ります。執筆陣がだいぶ重なっていきますので、その模様を目次のように観てみましょう



④ Game Mentat構成「『指輪物語』攻略読本:キャラクター/モンスター/アイテム/ヒストリー/中つ国年代記」pp.8-15.
辺見葉子訳、トム・シッピー「時を超えた誘惑と魅惑」pp.16-23.
井辻朱美「ホビットはうたう:トールキンのファンタジー」pp.41-46.
〈インタビュー〉中山星香「妖精たちの国へ」聞き手 建部伸明 pp.47-52.
〈対談〉小谷真理+ひかわ玲子「光と闇に魅せられて」pp.53-59.
高橋勇構成「J. R. R. トールキン文献表」pp.60-61.
井辻朱美構成「トールキン先生の処方による 効くファンタジー16」pp.62-63.


この中で、高橋勇「文献表」は、今回のブックガイドの基盤にもなっていますね。

⑤〈未邦訳詩篇〉辺見葉子訳、J. R. R. トールキン「航海譚(イムラヴ)」pp.16-23.
辺見葉子「西方の楽園への航海者たち」pp.24-32.
C. S. ルイス「トールキンの『指輪物語』」高岸冬詩訳 pp.33-41.
エドマンド・ウィルソン「ああ、あの恐ろしいオークたちよ!」高橋くみこ訳 pp.42-47.
河合隼雄「ファンタジーがなぜ読まれるか」pp.48-49.
富士川義之「トールキン談義」pp.50-51.
荻原規子「これは祖父の物語」pp.52-53.
恩田陸「ファンタジーの結末」p.54-55.
〈対談〉天沢退二郎+井辻朱美「いまなぜ『指輪物語』か:聞かれ方、読まれ方」pp.56-73.
上橋菜穂子「大シャーマンの旅の跡:『指輪物語』論」pp.74-80.
宇月原晴明「〈主〉(ザ・ロード)という呪い」pp.81-87.
〈インタヴュー〉「『指輪』と「歴史」と「映画」の中では何かが突然起こってしまう」pp.88-95.
高橋勇「『指輪物語』をめぐる七つの問題」pp.96-105.
風間賢二「『指輪物語』の下に二匹目のドジョウがうじゃうじゃ」pp.106-13.
アーシュラ・K・ル=グィン「『指輪物語』におけるリズムのパターン」北沢格訳 pp.114-126.
マリオン・ジマー・ブラッドリー「人間と小さい人と英雄崇拝」安野玲訳 pp.127-41.
レイモンド・E・フィースト「みんなのおじいちゃん:J. R. R. トールキンをめぐる瞑想」pp.142-51.
円堂都司昭「越境なきYA(ヤングアダルト)ノベルの異世界:もう一つのファンタジー史」pp.152-58.
津原泰水「ろーど・おぶ・ざ・りんぐ鑑賞記」pp.167-71.
田中純「人間的な、あまりに人間的な」pp.172-77.
斎藤環「ロード・オブ・ザ・リング敗戦記」pp.178-81.
北大路隆志「歴史VSファンタジー」pp.182-94.
コリン・N・マンラブ「二つのファンタジー:一九世紀から二〇世紀へ」鈴木淑美訳 pp.195-209.

どうでしょう? 今回の増刊号に負けず劣らぬラインナップではないでしょうか? 個人的には富士川先生のエッセイは肩の凝らない随筆でしたし、荻原規子のエッセイはにやりとしましたし、円堂都司昭の論考は勉強になりました。でも、価値が高いのは何と言っても辺見訳「航海譚」でしょう。辺見さんのその後の研究の指針になってもいます。そのことは、今回の増刊号の論考にしっかりと現れています! さすがですね。

⑥は、本来言語学の雑誌なのですが、言語表象としてのファンタジーを特集しました。
井辻朱美「二重性の文学としてのファンタジー:『ナルニア』から『指輪物語』そして映像の時代へ」pp.20-28は、トールキンのファンタジー論「妖精物語について」の客観的読み。
辺見葉子「『ケルト』神話とファンタジー」pp.29-37. 現在まで続く「ケルト」とトールキンに関する辺見の研究テーマを、門外漢にも分かり易く紹介。
伊藤盡「言語学者トールキンの横顔」pp.38-41. ③に収められた忍足欣四郎「中世英文学者としてのトールキン」pp.87-93を、もう少し言語学の面から捉え直して短くまとめた小論。
松枝到「アジアのファンタジー」pp.42-47.
上尾真道「ファンタジーを生み出す心」pp.48-55.
無藤隆「子どもの遊びからファンタジーへ」pp.56-63.
及川馥「ファンタジーの種子:バシュラールの物質的想像力」pp.64-71

⑦は、固い人文系出版者の雄、岩波書店の定期公刊誌がファンタジーを真正面から捉えようとした意欲的な特集でした。
脇明子「仮想世界の罠とファンタジーの真実」pp.12-21. 舟崎克彦「虚構の立ち位置」pp.22-34. 冒頭の「児童文学の一ジャンルにすぎなかったファンタジーが、映画産業にもてはやされたり、ゲームソフトに重宝されたりするようになるとは思いもよらなかった」という一文からわかるような立ち位置から、メルヒェン、ファンタジー、ナンセンスを「虚構三兄弟」(p.25)と称する著者が、定松正、本田英明編著『英米児童文学辞典』(研究社, 2001)の定義を紹介しながら、七〇年代から八〇年代に至るファンタジー文学の日本での捉えられ方を紹介しています。
井辻朱美「ファンタジーとはなにか:遠近法の文学」pp.29-34. もう言葉は不要です。さすが、幾つ書いても王道のファンタジー論を展開して新しい見方を教えてくださいます
安藤聡「一八六〇年代のファンタジー:『不思議の国のアリス』を中心に」pp.35-45. 安藤さんがC. S. ルイスやトールキンでなく、ルイス・キャロルを取り上げたのは当時は不思議でしたが、今から思うと、ちょうど一九世紀から二〇世紀に至る史的概観を練り上げていらした時期だったのだな〜とわかります。秀逸な論です。
高橋義人「メルヘンからファンタジー文学へ」pp.45-58. 王道のドイツ・ファンタジー文学の系譜論。ドイツのファンタジー論を読むならば、ここから始めましょう。
山形和美「C. S. ルイスのファンタジー世界」pp.59-70. ルイスのファンタジー概観
伊藤盡「エルフ語紹介:トールキンの言語創作うらばなし」pp.71-82. わたしが考えるエルフ語の基本的考え方を凝縮しました。
子安美知子「『二人の父』を継承する:エンデの場合」pp.83-93. ドイツのファンタジー作家であり、ファンタジー論を展開するミヒャエル・エンデの考え方の秀逸な紹介
高楼方子「私の『ファンタジー』」pp.94-95. 児童文学作家のファンタジー観。
西村醇子「物語は時空を超えて:ダイアナ・ウィン・ジョーンズ論」pp.96-103. 尊敬するファンタジー研究者による作家論
小谷真理「テクノゴシック現象」pp.104-10. どこかに転載されたと思うのですが。この当時の小谷評論の典型ですね
金水敏「ファンタジーとしての『ダ・ヴィンチ・コード』」pp.111-114.
岩宮恵子「思春期体験と現実の多層性:村上春樹『アフターダーク』から」pp.115-20.
渡辺守雄「船中マンガ映画におけるウツの用法:蠱惑する『くもとちゅうりっぷ』」pp.121-33.
神戸洋子「RPGとファンタジー」pp.134-42.
井辻朱美「ファンタジー年表」pp.143-54.


最後に短く⑧で、トールキンに言及しているのは
新島進「フィクションと言語創造」pp.70-75.
伊藤盡「人工言語 ミニ事典 エルフ語」pp.76-79.

ここで新島論中に興味深い一節があったので引用しましょう:

「マリナ・ヤグェーロによれば『フィクションにおける空想言語の流行はすたれて』いく。そして彼女の結論では、現代は英語が普遍言語化したために、もはやSF—これもアングロ=サクソン中心の文化といえるが—作品は新しい言語を創りだそうとはしない。確かにこれほどの異世界流行のなかでも、トールキンの偉業は例外的なのだ(p.72)」。

けれど、わたしたちは既に知っています。ヤグェーロの見立ては間違い、今や、多くのSF,ファンタジー映画で「創造言語」が用いられています。ジョージ・R・R・マーティン『ゲーム・オブ・スローン』の映像化でも、ジェイムズ・キャメロン監督作品『アヴァター』でも。それについては、先日も、高橋勇さんとわたしでちょっとしたやりとりがありました。

ことほどさように、トールキンの没後50年にあたる今年は、いろいろな新しい視座を通して、ファンタジー、言語学について、考えるステージに入っているようです。

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