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いとう つくし

伊藤 尽

英米言語文化 教授

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『ロード・オブ・ザ・リング:ローハンの戦い』日本公開

Blu-rayが発売されました!

それを記念して、追記をしました(2025年5月21日)。興味のある方はどうぞ読んで下さい。

これは、わたしが科研費で研究している内容と少し関わりがあるので、将来へのメモ代わりに残します

映画『ロード・オブ・ザ・リング:ローハンの戦い』は、上記の通り、トールキンの創作『指輪物語』追補編の記述に基づいて作られました。まさに映画の原作〜という骨組みに肉付けされた形ですね!
けれど、このローハンの民の特質というか、ローハンの民自身の気質は、トールキンが専門として研究した古英語文献に表出した文学作品に基づいています。

その最たる例が古英語詩『放浪者』と『モールドンの戦い』の二作です。

『放浪者』についてはかつて私が書いたことがあります。
(成瀬俊一編『もっと知りたい名作の世界9 指輪物語』ミネルヴァ書房, 2007, p.104)
古英詩を私の訳で表すならば次のようなものになります。

馬は何処に行った? 男は何処に行った?
宝物を授けし者は何処に行った? 酒宴の席は何処にある?
館の喜びは何処に行った? 嗚呼、輝ける杯よ!
嗚呼、帷子を纏いし男子よ! 嗚呼、民の栄光よ!
暗き夜の冠の下で 如何にして、今は無きかの時は去って行ったのか?

この無常の世界を嘆く言葉が、『指輪物語』の第二部「二つの塔」第六章「黄金館の王」の中で、アラゴルンの科白として、トールキンは現代英語で記しました。

「あの馬と乗手とは、何処へいった? 吹きならされた角笛はいまどこに?
 兜と鎖かたびらは、風になびいた明るい髪の毛は、どこに?
 竪琴をかなでた指は、赤く燃えた炉辺の非は?
 春はどこに? 稔りの時と丈高く熟れた穀物は、どこへいったか?
 すべては過ぎていった、山に降る雨のように、草原を吹く風のように。」(『最新版指輪物語』第三巻《評論社, 2022, pp.286-87)

中世ヨーロッパの極自然な死生観としてラテン語で uni sunt というフレーズで言い表される概念があります。
直訳すれば「(その者は)どこに今はいる?」という意味で、まさに過ぎ去ってしまった昔日の人々への想いを口にする定型句です。

トールキンは古英詩『放浪者』の一節を、現代英語でさらに慨嘆の情を表したと言えるでしょう。
このトールキンの詩は、映画『ローハンの戦い』の中で、冒頭でハマが謳う歌の下敷きに利用されています。

「馬に乗りどこへ行った?
 君の姿は影の中
 故郷を離れても 妹よ 君は独りじゃない」(Blu-ray, 本編04:45)
 

一読してお分かりのようにトールキンの歌とは趣が異なりますが、冒頭の一節はトールキンの現代英語の趣旨と同じです。
(映画のこの一節は、まるで主人公のヘラが既に他界したかのような歌詞になっていることに注目して下さい)

ですが、実はトールキンにはローハンの民の考え方のモデルとしたもう一篇の古英詩がありました
それが『モールドンの戦い』です。かつては大英図書館に収蔵されていた現存唯一の写本は
1731年10月23日の書庫の家事によって焼失してしまいました。なんと嘆かわしい!

詩の内容は次のようなものです...
西暦991年、北欧からヴァイキング船に乗ってやって来た戦士たちはイングランド南東部のモールドンの町近く
ブラックウォーター河口付近でイングランド軍と相見えます。
イーストアングリア周辺の太守ベオルフトノスは高齢ではありましたが、丈高い偉丈夫で軍を率いて迎え撃とうとします
北欧人は使者を立て、お金を払うならば戦わないで通過してやる、と言いますが
ベオルフトノスは武器を交えて戦おうと言います。「なんのためにここに武器を携えやって来たのか?」とばかりに......
満潮を過ぎて潮が引き、砂州から陸地に向かう細い土手が現れ、北欧人をそこを縦の列になって進軍しますが
土手から陸地への入口を二人の兵が護り、ひとりひとり北欧戦士を屠っていきます。
すると北欧人は再び交渉して、皆が渡るまで待ってくれ、正々堂々と戦おう、と言い始めます
戦なのですが、ベオルフトノスは正々堂々と戦うことをよしとし、自軍に敵が皆渡り終えるまで手出しをするなと命じます
その後、凄まじい戦いが始まり、ベオルフトノスは倒れ、ベオルフトノスの側にいた近衛のような兵士達は、
戦死した主人を追って、ひとりひとり死ぬまで戦い続けますが、太守が倒れたと知った別の貴族は太守の馬に乗って
戦場から逃げ出します。戦線は総崩れになり、倒れたベオルフトノスの遺体の近くで、最後まで戦った戦士たちの
戦いの最中の会話とともに、ひとりひとりの死が謳われます。

詩は終わりが切れておりますが、恐らく殆ど最後近くまでがかつて残存した写本に書き残されたのだと学者は見ています

現代人であるトールキンは、1953年に学術雑誌Essays and Studies 6に発表した論考で
この「正々堂々と(?)」戦おうとしたベオルフトノスの「驕(おご)り」を
詩人は批判的に書き残したという解釈を示し、学界に波紋をなげかけました。
そして学術誌に(であるにも拘わらず)なんと二人劇の脚本を添付させたのです
「ベオルフトヘルムの息子ベオルフトノスの帰館(The Homecoming of
Beorhtnoth Beorhthelm's Son)」と題されたその作品は、長い間日の目を見ませんでした
わたし、伊藤は、コロナ禍で一時中断することになったものの、その草稿を調査して来ました。

2023年に、アメリカの研究者Peter Grybauskasが、そのうちの一部を活字にして
単著として出版しましたが、わたしはさらにそれを精緻に見ようと考えています。

その二人劇「ベオルフトノスの帰館」にも、今はいなくなった過去を理想化する詩人が
登場します。
そもそも「脚本」であるからには「上演」されることを目的とした筈ですが
1954年12月3日に放送劇として放送されるまで上演された記録はありません。

しかし、この脚本は出版される前にトールキン自身によって清書され、
リーズ大学の元同僚E. V. Gordonに献呈されていました。
実際に出版されたヴァージョンよりも前の内容ですが、丁寧に修正書き込みも含みます
2025年3月末に、わたしは出張してその草稿を検証することができました。
Peter Grybauskas自身も、わたしのその調査報告を読むのを楽しみにしていると連絡を戴きました

なお、ブログでお知らせし損ねていましたが、わたしの科研費研究の中間発表は
2024年12月3日早稲田大学で催された第39回日本中世英語英文学会全国大会にて行っています。
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↓ この下に続くのが、オリジナルの記事になります。未読の方はこちらもどうぞ......

日本語吹替版と日本語字幕版 翻訳協力をしました

劇場公開版公式サイト

皆さんは、映画『ロード・オブ・ザ・リング』三部作、或いは映画『ホビット』三部作をご存じでしょうか?
或いは、御覧になったことはあるでしょうか?

2024年12月27日から、日本で、シリーズ最新作『ロード・オブ・ザ・リング:ローハンの戦い』が劇場公開されます。
劇場公開版の前作にあたる『ホビット』三部作に引続いて伊藤尽は、慶應義塾大学文学部の辺見葉子教授、高橋勇教授と共に、三人で、邦訳の協力を致しました(前回は「監修」という名目でした)。

この三人は、原作者であるJ. R. R. トールキンの日本人研究者としてこれまで研究を続けてきており、三人がそれぞれの角度からトールキン研究の成果を日本や世界で発表してきています。
今回も、それぞれの専門を活かして話合い、協力し合って、日本の観客やファンの理解を促進するように努めました!

アニメ版+日本人である神山健治監督作品

今回の劇場版の一番の特徴は、世界中にファンがいる、日本のアニメーションというジャンルとして世界公開されていることです。
『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズは これまで三作品が作られてきています:
映画版『ロード・オブ・ザ・リング』(The Lord of the Rings )三部作 (2001-2003)
映画版『ホビット』(The Hobbit)三部作(2012-2014)
Amazon Prime Video版『ロード・オブ・ザ・リング:力の指輪』(The Lord of the Rings: The Rings of Power)(2022-未完)
また、今後、The Lord of the Rings: The Hunt for Gollumも計画されているとのこと

日本のアニメーション制作会社の努力が随所に見られることも、神山監督の拘りでしょう。下のリンク先のサイトには記載がありませんが、現在わたしが最も推すアニメ制作スタジオであるテレコム・アニメーションフィルム(TMS Entertainment子会社)も入っています (^^;

原作との関わり

『ロード・オブ・ザ・リング:ローハンの戦い』は、原作である『指輪物語』の「追補編」に記載がある、ローハン国の歴史の一端を膨らませて、オリジナル作品として制作したものです。

『指輪物語』の邦訳は、現在、評論社より『最新版指輪物語』として、文庫版で全7巻が出版されています。
この第7巻が「追補編」で、本編では語り尽くせなかった歴史的背景や、エルフ語の解説、またそもそも原作である英語版自体が、架空の言語、中つ国共通語 (Common Tongue)からの翻訳であることなどの「設定」が詳しく記されています。

そして、本編に出てくる、<馬の司の国>ローハンが、本編に至るまで、どのような歴史を辿ったかも語られます。
特に、本編に出て来た「角笛城」(Hornburg)の位置するヘルム峡谷 (Helm's Deep)の名前の由来が、ローハン国王だったヘルム(Helm)に由来すること、またヘルムの統治の時代に起きた事件のあらすじも記されています。
興味のある人は、映画を鑑賞する前でも後でも、読んでみて下さい。

その事件のあらすじに、ヘルムにはひとりの娘がいたことも記されています。けれど、その名は記録されていません。
名前の記録のない、王の娘である姫に、今回、制作総指揮であり、映画版『ロード・オブ・ザ・リング』『ホビット』の監督だったピーター・ジャクソン(PJ)と彼のパートナーのフラン・ウォルシュ(FW)とともに、両作品の脚本を共同執筆したフィリッパ・ボウエン(PB)が原案を作り、かつその姫の名前を「ヘラ (Hera)」に決めたのは、PJとともにトールキンのファンであるFWとのこと。

トールキンは「語られていない」部分にこそ、物語の奥行きがあることを知っていました。
ですから、ヘルムの娘の名前も、原作の中に記さなかったのでしょう。

そして、現代の私たちに残された、中世に書かれた古英語をはじめとする文献には、同じように「名前のない」女性もたくさん記されています。

おそらく、名前がない女性として最も有名なのは、英雄叙事詩『ベーオウルフ』に登場する英雄ベーオウルフ自身の不倶戴天の敵、怪物グレンデルを産んだ母親でしょう。
ベーオウルフは、その母親とも戦い、討ち取るのですが、古英詩の中には、彼女の名前は記されません。飽くまでも、グレンデルという名前を持つ怪物の母親というだけしか分からないのです。
ここに、男尊女卑の時代性を見ることもできるでしょう。最も、中世には、名前が記されている女性もたくさんいます。
だからこそ、雄傑とも呼べるような主人公ヘラが、トールキンの原作では名前が記されておらず、名も無き姫として記録されていることに対して、映画版オリジナルストーリーが作られることによって、名前が与えられたことは、21世紀的、現代的と言えるのかも知れませんね。

ファンの方々へのオススメ!と、学術的な「ツッコミ」

翻訳協力として、日本公開の協力をしている身としては、とにかく、この映画の素晴らしさを強調したいところです。
特に、日本語字幕附き英語版では、実写版映画『ロード・オブ・ザ・リング』『ホビット』の英語の科白をそのまま用いる箇所も多く、両作品が大好きなファンの方には、そのオマージュとしての科白を是非耳で聞いて、日本語字幕を読んで戴きたいです!

日本語吹き替え版でも、オマージュに相当するところはきちんと翻訳されていますので、是非是非耳を傾けて戴きたいところ

一方、トールキン研究者として、ひとつ申し上げておきたいのは、「ヘラ」という名前についてです。
この名前は、現代の英語話者に分かり易い名前として制作総指揮のピーター・ジャクソンのパートナーであるフラン・ウォルシュが考えたことは上に書きました。

ローハン国の言語は、原作では「古英語 (Old English)」という、5世紀〜11世紀までイングランドで話された英語で記されています。この言語は、伊藤尽の研究専門領域の言語ですので、解説がいくらでも出来ます。
王ヘルム、王子のハレスやハマ兄弟は、みんな「H」で始まる名前になっています。これは古英語社会の文化的慣習に依るのです。

そこで、フラン・ウォルシュが「H」で始まる女性の名前として、古英語で「軍隊;戦」を意味する hereという男性名詞の語尾に、現代英語の女性の名前に用いられる -a を差し替えることで、姫の名前にしたのだと考えられます。勇ましい名前ですね。
けれど、残念ながら、語尾が -a で終わる人名は、古英語社会では「男性」の名前と見做されるのです。
典型的な例が、ヘラの兄として登場する「ハマ (Hama)」です。
「ハマ」の名前は、古英語で書かれた最も有名な叙事詩『ベーオウルフ』の中でも、デーン人の王の館ヘオロットを守る衛士の名前として登場します。

また、古英語には名詞に男性、女性、中性という文法的性もあるので、女性名ならば -u, もしくは子音で終わるものが普通です (-oも全く無い訳ではありませんが、)。
とはいえ、そこは現代の観客に合わせた名前として愉しんで戴ければ、と思います。
ちなみに、古英語には「威厳」を意味する女性名詞 hēreもあります。仮名表記ならば「ヘーレ」となるでしょうが、現代人には女性の名前とは感じられないでしょうね……(汗

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