教員紹介

はやさか としひろ

早坂 俊廣

哲学・芸術論 教授

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葛寅亮調査@浙江

東陽市葛宅村の家訓館

荒木見悟先生の「葛寅亮年譜考」という御論考に、「葛寅亮(号屺瞻、1570ー1646)は、『四書湖南講』の著者、また『金陵梵刹志』の編者として、その知名度は比較的高いのであるが、(中略)今までのところその生涯の実態は明確でない」と記されている(『陽明学と仏教心学』187頁、研文出版)。荒木先生の御論考のおかげでその生涯の概要は明らかになったものの、やはり依然として不明な点が多い。私自身は葛寅亮を専門的に研究したことがないのであるが、「浙東の劉念台、浙西の葛水鑑」(前掲書203頁に引用)と並び称されたうちの前者を研究する者として、葛寅亮は気になる存在であった。今回、インターネット検索及び「DeepSeek」(中国産生成AI)の活用によって、いくつかの関連地点を見つけることができたため、それを現地で確認する調査を行った。

東陽市葛宅村

東陽市葛宅村の葛氏宗祠

インターネットで検索した際、東陽市葛宅村を「葛寅亮の出生の地」と記すウェブサイトを見つけた。地図を見ると、「家訓館」という施設があるようなので、とりあえずそこを目指して行ってみた(長時間、車を運転してくださった杭州師範大学の申緒璐先生に心より感謝申し上げます)。台風の影響で雨が降り、いろいろな施設は閉まっていたが、たまたま出会った村のかたが施設の管理者だったため、解錠してくださっただけでなく、いろいろと説明をしてくださった。要するに、葛寅亮にとって葛宅村は「出生の地」ではなく、「祖先の地」だったようだが、葛寅亮の記憶/痕跡が各所に残っていて、非常に参考になった。ちなみに、昨年度に信州大学に留学していた復旦大学の「葛」くんから、たまたまこの日の夜に連絡をもらったため、葛宅村を調査したことを伝えたところ、浙江省台州市の「葛」くん一族も、ここから分派したとのことだった。

杭州市

慈母橋文化礼堂の掲示

そもそも葛寅亮は「杭州の人」である(葛宅村の家訓館に、葛寅亮の「余は依然として東陽人なり」という言葉が掲げられていたが、原典をまだ確認できていない)。「DeepSeek」は、葛寅亮関連の地として、「杭州轉塘の葛衙庄」「午山村」といった地名をあげてくれた。「葛衙庄」という地名はいかにも葛寅亮と関連がありそうなので(ここでも申先生に運転していただいて)行ってみた。「DeepSeek」によれば、葛衙庄にあった「慈母橋」という橋は、葛寅亮が母を偲んで建てたものだという。現地の「慈母橋文化礼堂(ホール)」にあった掲示によれば、葛寅亮の別荘がこの地区にあったらしい。また、橋の由来についても「DeepSeek」同様の説明があり(というよりかは、「DeepSeek」のほうがこういった現地からの発信を参考にしたのだろう)、「孝」の精神は現代にも受け継がれているとのことだった。現在、「葛衙庄社区」自体は、龍井茶で有名な龍塢鎮の町中に新しい装いで存在しているが(リゾート地のようになっていた)、慈母橋村は落ち着いたたたずまいが印象的な土地であった。

また、同じ街道筋には「大諸橋」があり、これまた「DeepSeek」によれば、「葛寅亮の家族が出資して創建した」ものらしい。この地名を冠する社区にとりあえず行き、調査に付き合ってくださっていた銭明先生(浙江省稽山王陽明研究院副院長)が社区の事務所で聞いてくださったところ、この橋は現存するらしい。行ってみると、「杭州市文物保護単位」に指定されている立派なものだった。橋を見て、「轉塘」という地名の意味も理解することができた。葛寅亮の墓としては、「午山村百子尖」と「三台山」(どちらも杭州市内)の二つの可能性があるようだが、これについては確定できなかった。ただ、西湖の南方にこれだけ葛寅亮に関する記憶/痕跡があるということを現地で確認できたことは、実に大きな収穫だった。改めて、銭明先生と申緒璐先生に感謝申し上げます。

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