はやさか としひろ
早坂 俊廣
哲学・芸術論 教授
教員 BLOG
一覧を見る杭州便りその4
南宋の都・杭州
杭州は南宋期に首都が置かれた街です。15年前に住んでいたころ、南宋の皇城の址を探して付近を歩いてみたことがありましたが、全く見つかりませんでした。ところが今回、鳳山門という城門があった付近の水門が辛うじて残っているという情報を得て、探しに行ってみました。以前とは異なり、地図・書籍・ネットで得られる情報は格段に増えていますから、かなり少ない労力で水門を見つけることができました。 なお、「そんな昔の遺跡を見たって、哲学の研究に何の関係もないじゃないか!」というご批判もあるかと思いますが、私としては「昔の思想家たちが、どういう尺(しゃく)で物事をとらえ、考えていたのか」を少しでも実感したいがために、こういう調査(散策?)を出来る限り行うようにしています。
思わぬ副産物
今回は、取って付けたような形で復元された鼓楼から「美食街」が出来つつある中山南路をずっと歩いたわけですが、鳳山門に行く途中、思わぬ副産物に出会いました。「太廟広場」と「南宋遺址陳列館」です。 「太廟」というのは、天子が祖先をまつる「みたまや」のことで、市街地開発の途中で発見された太廟付近を公園化したのがこの広場のようです。また「南宋遺址陳列館」は、この広場のすぐ近くにあり、南宋期の中央官庁や皇帝用道路沿いで発見された建物跡などをガラス越しに見ることができる施設です。この15年の間に、杭州の歴史遺跡保護は格段の進歩を遂げたようで、かつてこの付近をさまよい歩いた者としては非常に感慨深いものがありました。
保護か開発か?
・・・などという感慨は極めて呑気なものであることを教えてくれる新聞記事を、後日、発見しました。5月5日付けの「南方週末」に、南宋皇城遺址に関して七名の学者が連名で意見書を上申したという記事が載っていました。記事によれば、この近辺に高級分譲マンションの建設が進められつつあるようなのですが、それによって南宋皇城遺址が破壊されてしまうと彼らは訴えているようです。皇城のありかについては諸説あるようなのですが、一部の意見だけが採用されて開発が進められ、なおかつ、現在進みつつある「南宋皇城遺址大公園」計画も、学問的正確さを欠いた、旅行業のためのものでしかなく、このままだと、「遺址公園」の名とは裏腹に遺址そのものが破壊されてしまう-----こういう主張のようです。 議論の是非を評定する力は私にはありませんが、中国各地で見かける「テーマパークのような歴史遺跡」はもう勘弁してほしいというのが正直なところです。誰もが納得する解決方法はなかなか見つからないとは思いますが、開かれた議論のやり取りを期待しています。