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はやさか としひろ

早坂 俊廣

哲学・芸術論 教授

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中国関係 寧波プロジェクト

黄宗羲の墓(2)

後日紹介する予定であるが、黄宗羲の墓を視察に行く前に、五桂楼という蔵書楼を見に行っていた。これが、大きな山を越えていかなければならない場所にあり、賃借した車はかなり無理をしてしまったようだ。

そう、車は悪くない。悪いのは、「もうちょっと先」と言った私である。

と、ここからは言い訳であるが、お墓への入り口が4年前と全く変わっていたことが、私が判断を誤った最大の理由である。4年前に撮影した写真を見ていただきたい。

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当時は、この、香港か台湾のお金持ちの方が故郷に建てた立派な墓園(この門の裏には、「水を飲む人間は、井戸を掘った人のことを忘れない」という美 しい言葉も掲げてあった)を目印に、そこをくぐり抜けるような形で黄宗羲の墓に行ったのだ。通った道も、下のような感じだった。

haya48.jpg

それが、いまや大がかりな環境整備が行われ、「黄宗羲の墓(1)」の最初の写真のような立派な看板もできていた。墓への通り道も、次のような感じになっていた。

haya49.jpg

以前の目印であった立派な墓園は、一般の人は入れなくなったようだ(詳細は分からない)。

ということで、今後、黄宗羲の墓を訪れようとする方は、以下のような具合に探してもらいたい。
1.高速余姚インターを南側(余姚市街とは逆)に出て、陸埠鎮に向かう、高速道路と並行して走る国道をしばらく走る。
2.少し古びた石製の「黄宗羲墓」という看板が右手に見えるので、そこを右に折れる。
3.細い川沿いをしばらく上がって、連続した民家が途切れた辺りで、早めに右手に折れる(特徴はないが、比較的大きな道だ)。青や白の長い長い塀が右手に見えたときは、すでに行き過ぎである。

もっとも、次に行くときはまた大きく変わっているのかも知れないが。

さて、車がエンストして立ち往生した我々は、「家の中で休め」と椅子をたくさん出してきてくれたお婆さん、「黄宗羲の墓だったら俺が連れてってや る」と農作業用の「車」に乗せてくれたおじさん、そしてSさんの電話で市街地から車でかけつけてくれたSさんの友人・・・といった方々のご厚意で、無事に 調査を終えることができた。エンストした車とは、王陽明故居である瑞雲楼で感激の再会が果たせた。

中国のみなさんのお力添えに、衷心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

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