はやみ かおり
速水 香織
日本言語文化 教授
教員 BLOG
一覧を見るしましまへの道をめぐって
発端
ごきげんよう。人文学部教員の速水です。 10月も半ばを過ぎたあたりから急に気温が下がり、木々も紅葉を急いでいるかのような気配です。私もまた、この10月は、少々急がねばならない状況にありました。というのも、この春、当ブログでもご紹介しました、アルピコ交通上高地線で開催されたブックイベントの話題の中で、上高地線の終着駅名「新島々」が、地名の島々(しましま)に由来していると知り、この地名に大変興味を持ったことがありました。そこで、このイベントに参加した際、現地の方にお尋ねしてみましたところ「もう少し上高地方面に行くと安曇資料館という施設があるから、そこに行ってみれば何かわかるかもしれない」と教えていただきましたので、古典籍調査でいつもご一緒する大学院生くんたちと「フィールドワークに行ってみよう」ということになったものの、今年の夏の、あまりの暑さに怯んでしまい、秋になったら…と思っているうち、10月に入ったところで、同資料館は土日祝日のみ開館、12月から4月までは休館になるということを知りました(そういえば、上高地も冬期は閉鎖されますね…)。上記の「少々」とは少々語弊があり、正確には急激に焦りながら日程調整して、10月26日に集合し、安曇資料館を訪問致しました次第です。
「島々」そして安曇資料館
信州大学から安曇資料館まで自家用車で向かう場合、上高地まで続く国道158号線を西に走ることになります。その途中で新島々駅付近を通過し、さらに走ると、土地としての安曇島々が右側に見えてきます。現地に詳しい とある大学院生くんから教えていただいたところによると、昔より上高地への登り口として知られた島々は、梓川と島々谷川が直角に近い角度で合流する地点にあり、かつ山を背にしているため、川を2辺とする、デルタ形とも言うべき地形を持つ地区だそうです。車窓からではありましたが現地を実見した上で、今回のメンバーの間では、この地は、街道から見た場合、川の向こうにある「島」状に見える土地として認知されるものだったのではないか、と考えました。さらに「島」には「集落・村落」あるいは「ある区画」という意味があります(ちなみに、松本市島内地区の「島」も同様の意味を持つらしいことが『松本公民館報』第373号(2024年5月30日発行)に指摘されています)。つまり、この「島々」という地名は “多くの島” というより “島状に見える地形を持つ区域” という意味があるのではないか、という推定に至りました。この仮説に立つならば、意味的に畳語ではないので「しまじま」と濁音化もしない、という説明が成り立つように思います。 **このような話で盛り上がりつつ、安曇資料館に到着しました。地域の方々から寄贈された郷土資料を中心とした常設展を見学しましたが、地域の人々の生活や文化、特に養蚕に関わる器具や機械の展示が充実していました。個人的には、蔟(まぶし)を作る機械を、とりわけ興味深く拝見しましたが、資料館の方から写真撮影をご快諾いただいていたにもかかわらず、見学に夢中で撮影するのを失念しておりました。誠に面目ありません。院生くんたちが、展示に見入っていらっしゃるご様子は撮影いたしましたので、そちらをご覧いただければと思います。 **加えて、安曇出身の版画家・加藤大道の作品展示もあり、堪能させていただきました。 **なお、同館の方に「島々」の由来をお尋ねしてみたところ、文献等で確認したわけではないが、この地区が二本の川の合流点に位置し、浅瀬に堆積した砂礫が点在する島のように見えることが関係しているかもしれない、というお話をお聞かせいただけました。この地名由来については、まだ文献上で確認できる情報に出会えていないため、推定の域を出ませんが、島々は、江戸時代には既に使用されていた地名で、地形や文化に基づく意味があるはずだと思っています。今回のメンバーによる推定も大きくはずれてはいないように思いますが、今後も継続して調べてみるつもりです。
かくとかいてこき
地名の話題といえば、今回のフィールドワークでは、せっかくの遠出だからと、現地で名物をいただき、お土産を調達することといたしました。安曇資料館のほど近くには道の駅「風穴の里」がありますので、そこで、とある大学院生くんから教えていただいた、地元で栽培され、信州三大漬け菜のひとつと言われる、いねこき菜のお漬物を購入しました。その時は、4名で「いねこき菜が名物なんですよ」「そうなんだぁ。《いねこき》って、どんな漢字書くの?」「やっぱり現地の地名なんですけど」「かくとかいてこきって読むんですよね」「え?え?」などと話していたのですが、一人だけ訳のわかっていない人物が私です。お恥ずかしい。「稲核」と書いて「いねこき」と読むとのことです。しかしこれは、知らなければ絶対に読めない難読地名の一つではないでしょうか…。ちょっと驚きましたので、帰宅してから『日本歴史地名大系』で確認したところ、この地名の「核」は、もともと木偏ではなく手偏の「㧡」という字を書いたそうで、明治期に作成された安曇村の地図等に、この表記が確認できます。「稲扱(いねこき)」の意味かとも思われますが、一方で、この字には「うごく(「ゆれうごく」の意)」という訓があり(『大漢和辞典』)、もともとは「いねうごき」であったものが、母音「ウ」が落ち、現在の読み方になった、そしてその読みを保ったまま、漢字は、形状が類似する、より一般的な「核」が当てられるようになったという可能性がありましょうか。もうそうであれば、近世以前は、濁音で発声する言葉でも、表記する際には濁点を打たないことは珍しくなく、表記の影響を受けて「いねこき」という地名が定着したかとも思います。しかし、こう考えてくると「しましま」も、実は普通に「しまじま」と発音するものであったが清音で表記されていた可能性も…。結論には至りませんでしたが、いずれにせよ、この興味深い課題については、もう少し継続して考えてみたいと思います。**そしてお土産を調達した我々は、お昼に、近隣の奈川地区発祥と言われる「とうじ蕎麦」をいただきました。寒さ厳しい地域で、お蕎麦が温かく食べられる工夫が凝らされており、本当においしかったです。この食文化も興味深いのですが、長くなってまいりましたので、またの機会とさせていただきます。**険しい山々を貫く国道158号線を通りつつ、昔はこの山を歩いて越えるしかなかった歴史に思いを致すとき、道路を敷き、トンネルを開通させ、地域の振興に尽力した先人の苦労と努力に、深い敬意を抱かずにはいられません。信州という土地そのものに理解の深まる、意義あるフィールドワークとなりました。
謝辞
このたびのフィールドワークには、信州大学人文学部同窓会から、活動補助金を賜りました。ここに明記して、心より御礼申し上げます。 **また、安曇資料館からは、私共の学びに役立つようにと、画像掲載させていただきました、旧安曇村発行『安曇村全図』をはじめとする、貴重な郷土の参考資料をご恵与いただきました。同じく明記し、心より御礼申し上げます。