「信州 知の連携フォーラム」は、長野県における知と学びに関わる各種の文化施設が、信州における価値ある地域資源の共有化をはかり、新たな知識化・発信を通して、地域住民の学びを豊かにし、地域創生につなげていく方策についてフロアを交えて語り合う場として発足しました。 第7回となる今回は、自然科学系を中心にデジタルアーカイブの現状について事例報告いただいたうえで、文理融合の電子資料の共有化と発信の可能性について検討します。 大学史資料センターからは、福島特任教授が開催中の企画展「野尻湖発掘を支えた信州大学の人びと」について展示解説を行います。「信州 知の連携フォーラム」って何?「野尻湖発掘」って何?と思った方、どなたでもご参加いただけます。お気軽にご参加ください。 〇開催概要第7回 信州 知の連携フォーラム 記憶<データ>を未来へ~信州からはじまる文理融合のデジタルアーカイブ~ 【日時】2023年12月7日(木)13:20~16:00(受付13:00~) 【会場】信州大学附属図書館 中央図書館 2階セミナー室 Zoom(オンライン配信、14:00~) ※企画展の展示解説を除く ※キャンパス内に駐車場はございません。公共交通機関をご利用ください(アクセス) 〇プログラム13:20-13:50 企画展展示解説 「野尻湖発掘を支えた信州大学の人びと」 信州大学大学
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日本では第二次世界大戦後、学術研究の民主化が叫ばれ、地質学分野では、1947(昭和22)年、地学団体研究会(地団研)が結成されました。考古学、人類学の各分野との学際的・横断的研究が、1950年代~60年代にいくつかのフィールドで始まり、そうしたフィールドの一つである野尻湖発掘は、信州大学がその研究の推進に大きな役割を果たしました。 今回の企画展では、野尻湖発掘を概観するとともに、信州大学人の活動を取り上げ、学術研究にどのように貢献したのかについて展示を行います。 [企画概要] 大学史資料センター企画展 「野尻湖発掘を支えた信州大学の人びと」 会期:2023年11月3日(金・祝)~2024年1月18日(木) 場所:信州大学附属図書館 中央図書館 1階展示コーナー (松本キャンパス 松本市旭3-1-1) 主催:信州大学 大学史資料センター・理学部・教育学部・医学部・附属図書館 協力:野尻湖ナウマンゾウ博物館・野尻湖発掘調査団 ※開館日・開館時間は中央図書館の開館情報に準じます。 12月28日~1月4日、1月13日~14日は休館日です。 その他臨時休館等の可能性もあるため、最新情報は下記URLをご確認ください。 https://www.shinshu-u.ac.jp/institution/library/matsumoto/[関連
「野尻湖発掘」に関するエピソードをお寄せください
2023.09.06
[ お知らせ ]
野尻湖発掘に関するエピソード提供のご協力のお願い 大学史資料センターでは、2023年度秋季企画展「野尻湖発掘を支えた信州大学の人びと」(期間:11月3日(金・祝)~2024年1月14日(日)、場所:信州大学中央図書館1階展示コーナー)を開催いたします。この企画展で、野尻湖発掘と信州大学の関わりについて取り上げる予定です。野尻湖ナウマンゾウ博物館などを訪問しながら、発掘初期の歴史的な部分については準備を進めているところですが、展示の中では「野尻湖発掘の思い出」として、この事業に関わった信大関係者の方々の多様な思い出やエピソードをご紹介したいと考えております。様々な分野で活躍されている皆さまのお声を聞けると嬉しく思います。どうぞご協力をお願いいたします。〇エピソードの登録についてエピソード登録フォーム「野尻湖発掘の思い出」にご記入いただき、送信してください。https://forms.gle/ykE3bcxdUUHxLVVS7〇資料、写真等の提供についてエピソード登録のほか、「野尻湖新聞」等の資料や野尻湖発掘に関する写真がありましたら、下記メールアドレスにご連絡ください。〇締め切りについて展示準備の関係上、一旦締め切りを9月末日までとさせていただきますが、それ以降も情報を蓄積してまいりますので、期限内に限らず情報をお寄せください。なお、締め切り後にお寄せいただいた情報は、展示会場で紹介
2022年度秋季企画展「明治・大正期 信濃博物学の夜明けと長野県師範学校-矢澤米三郎とライチョウ標本を中心に-」でご紹介した矢澤米三郎は、「日本の植物学の父」といわれる牧野富太郎とも交流がありました。 1918(大正7)年1月、牧野富太郎は矢澤米三郎に対し、高山地帯に生息する多年草・タカネマンテマの標本を持っていたらいただけないかと相談しました。 (Web展示:「明治・大正期 信濃博物学の夜明けと長野県師範学校-矢澤米三郎とライチョウ標本を中心に-」p.70より) これを受けて、矢澤が、自身の教え子であり、日本における最初のタカネマンテマ採集者でもある岡田邦松を紹介したと見られます。 ほどなく牧野から岡田へ、標本借用と、牧野による解説文執筆の許諾を求める書簡が届きました。 はがき 牧野富太郎から岡田邦松へ 1918(大正7)年1月16日 諏訪市博物館 蔵 御ハガキ拝見仕候、然れば彼のタカネマンテマ誠ニ 申兼ね候へども、其標品一週間位御貸与被下 間敷、私用すみ候へば早速御返上申上べく 候、実ハ其記載文を発表致し度それ故 其標品を見度と存候、御許容被下候へば至急の書留 小包便ニて御送附相願度、用スミ次第又書 留小包便にて御返送申上べく候、右御許し被下候へば 大幸の至に存候、右御相談申上候 一月十六日 (訳) お葉書拝見しました そんなわけでかのタカネマンテマ誠に