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(左)冬期野猿調査報告書<中間> (右)冬期野猿調査報告書 第2号

(左)冬期野猿調査報告書<中間> (右)冬期野猿調査報告書 第2号

とうきやえんちょうさほうこくしょ卒業生資料 (農学部)【左】冬期野猿調査報告書<中間> 1974.2.1~2.24    編集:信州大学農学部 野外生物研究会 野猿分科会(7名)    資料の年代:1974(昭和49)年    品質形状:普通紙(表・裏表紙)、藁半紙、27頁、B5判【右】冬期野猿調査報告書 第2号    編集:信州大学農学部 野外生物研究会 野猿分科会(8名)    資料の年代:1976(昭和51)年6月1日発行    品質形状:藁半紙、27頁、B5判   農学部野外生物研究会の野猿分科会による調査報告書です。  会員の学生たちは「野猿群の行動と森林植生の関連」を調査するため、上伊那郡辰野町の横川渓谷で初めてニホンザルの冬期調査を行いました。期間中は数人ずつ交替で入下山し、猿たちが食べた樹皮や糞を手掛かりに行動を追い続けました。報告書には、毎日の観察記録と調査結果、考察や反省などがまとめられています。  調査期間中は冬用のテントを設置して過ごしましたが、狭いうえに雨でびしょ濡れになるなど苦労しました。 <関連リンク> 「信州大学農学部 野外生物研究会会報 第二号」(1971)(信州大学附属図書館OPAC)世界初・サル類の魚食行動の決定的瞬間が撮影される、 世界最寒地(上高地)のサル集団における魚食行動

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『わらぢ』左から1927年・1941年・1946年

『わらぢ』左から1927年・1941年・1946年

わらぢ (まつもとこうとうがっこうさんがくぶほう)卒業生資料 (教育学部)わらぢ 1927 【左】 編集兼発行人:三原清 発行所:松本高等学校山岳部 資料の年代:1927(昭和2)年5月10日発行 品質形状:コットン紙、120頁、230mm x 160mm x 14mm  わらぢ 第6号 2600*【中央】編集兼発行人:濱口朝彦 発行所:松本高等学校校友会山岳部 資料の年代:1941(昭和16)年1月30日発行 品質形状:上質紙、186頁、230mm x 160mm x 18mm  わらぢ 1946【右】編集兼発行人:栗林 発行所:松本高等学校山岳部 資料の年代:1946(昭和21)年発行 品質形状:藁半紙、52頁、207mm x 152mm x 4mm 『わらぢ』は、人文・経法・理学部の前身校である松本高等学校の山岳部報です。  山岳部は、松高が開校した翌年の大正9年1月の校友会発足と同時に創部となり、大正10年10月に山岳雑誌『草鞋』を創刊しています。創刊号は、当時の部長が矢澤米三郎講師(松本女子師範学校長・信濃山岳会長)であったこともあり、松高山岳部員と信濃山岳会員の有志の集まりでつくった「原人社」という組織が発行し、第2号から『わらぢ』として第4号まで続きます。  その後しばらく休刊し、松本高等学校山岳部が復活の第1号(1927年)を発行します。その後は断続的に1946(昭

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   賞状(二人三脚第一等)

   賞状(二人三脚第一等)

しょうじょう(ながのけんしはんがっこう そうりつろくじっしゅうねんきねんうんどうかい)卒業生資料 (長野県師範学校)作者:長野県師範学校 資料の年代:1933(昭和8)年10月27日 品質形状:194mm x 270mm  教育学部の前身校である、長野県師範学校で行われた運動会の表彰状です。10月25日から27日までの3日間、創立60周年記念式が盛大に催され、式典のほか講演会や展覧会などの行事も行われました。その中でも、運動会は満員の観衆で埋め尽くされ大いに盛り上がりました。 北島氏のアルバムには、第一等を撮った「二人三脚」競技の臨場感が伝わる写真が残されています。 このほかにも賞状が残されていますが、昭和初期の運動会では、今でも馴染みのある「パン食い競争」などのほかに、「白面鬼」、「運命」といった見慣れない競技もあります。これらの競技について情報をお持ちの方は、大学史資料センターまでお知らせください。     北島氏が運動会競技で得た賞状(8枚)

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   表札(表)   表札(裏)

   表札(表)   表札(裏)

ひょうさつ(ぶんりがくぶどうそうかいきねんひん) 卒業生資料 (文理学部)作者:信州大学文理学部同窓会資料の年代:1983(昭和58)年品質形状:スギ(204mm x 80mm x 29mm) 思誠寮は、文理学部の前身校である旧制松本高等学校の学生寮として、松本市県の学校敷地内に1920(大正9)年9月に開寮しました。戦後、信州大学に引き継がれた建物は、1983(昭和58)年に解体されることになりました。 文理学部同窓会は建物の棟木から表札をつくり、記念品として同窓生や市内横田に移転した思誠寮の学生らに配布することで寮の記憶をとどめようとしました。裏の「思誠寮」は、松高の名物教授と言われた蛭川幸茂先生の筆による文字を焼印として捺したものです。                                            記念品の添文