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山浦 愛幸 先生(株式会社八十二銀行 顧問)の講義が行われました

山浦 愛幸 先生(株式会社八十二銀行 顧問)の講義が行われました

2020. 12.09

  • 経営者と企業

 2020年12月9日、2020年度「経営者と企業」第8回の講義として、株式会社八十二銀行顧問(長野県経営者協会会長)山浦 愛幸氏より「長野県経済と八十二銀行」と題して講義が行われました。

 山浦氏は大学卒業後に株式会社八十二銀行へ入行、頭取、会長の要職を経て、2020年から同行の顧問となられました。さらに2009年より一般社団法人 長野県経営者協会の会長職を務められ、長野県経済・産業の振興に資するための諸活動や各種事業を展開、長野県を代表する経済団体のトップとして邁進されています。

 長野県の経済と銀行についてお話しいただくにあたり、明治・大正時代の銀行諸制度の変遷や県内金融機関の動きについて説明されました。1872年の国立銀行条例、そして1876年の同条例改正を受けて、長野県は5行の国立銀行が設立されました。その後、私立銀行の設立も相次ぎ、1900年の県内銀行数は116行(全国第4位)に達しました。
 当時、日本では生糸の生産が盛んであり、政府によって重要輸出品に位置付けられたことにより、蚕糸業が急速に発展。長野県の生糸生産量は全国の3分の1を占め、諏訪地方の「片倉組」をはじめとする製糸工場を数多く有する製糸王国となりました。
 しかし、生糸の相場は不安定で変動しやすいため、多くの県内銀行もその影響を受けて倒産するなどし、県内金融機関の再編も徐々に進んでいきました。

 2014年に世界遺産に登録された群馬県の「富岡製糸場」は、フランス式の技術を導入した官営の器械製糸工場であり、全国から研修に訪れた女性がこの官営工場で技術を学びました。もともと群馬県は江戸時代から養蚕が盛んで、官営工場の動力に使った蒸気機関の燃料となる石炭が近くで採れたこと、さらに横浜港への輸送に便利な立地条件などから、富岡地が選ばれたのはないかとのことです。
 しかし、長野県は民間の努力で器械製糸が盛んとなり、フランス式とイタリア式の良いところをとった「諏訪式」製紙機械の導入などもあり、全国一の製糸県になります。その代表が、製糸業で唯一無二の横綱格と評された片倉組でした。そして、長野県の銀行は、こうした製糸業を資金循環面から支える役割を担っていました。農家から繭を購入する資金を、購入した繭を担保に融資することがその一つです。もう一つは、生糸を横浜の仲買人に売ってその代金を回収するための為替手形の仕組みでした。

 昭和初期は世界恐慌や農村恐慌の波及によって慢性的な不況が続き、県下最大の信濃銀行が破綻。その渦中の1931年、第十九銀行と六十三銀行の合併により、八十二銀行が誕生します。長野県は全国一の不況県と言われ、大変厳しいスタートとなりましたが、県内の製糸工場が強制的に軍需方面に転換されたことが大きな転機となり、その後の長野県が機械工業分野で発展を遂げる要因になりました。現在では精密機械工業や情報機器分野において、世界一のシェアを誇る製品や部品を数多く供給しています。そして、八十二銀行は長野県経済とともに大きな飛躍を遂げ、長野県内外に151店舗を有する地方銀行に成長。長野県のトップバンクとして地域社会のさらなる発展に寄与しています。

 山浦氏は50年余りの銀行員時代を振り返られ、「就職に対してこだわりはなく縁あって銀行へ入行したが、入ったからにはそこで頑張ることが一番で、自身それを信念としてやってきた。30年、40年と長く勤めると、就職した時とは世の中の状況は変わっていくもので、そうした変化の激しいなかでは、自分で問題を発見し解決していく能力が重要となる。新しい発想をもち、何でもやってみる度胸が大切。いろいろ頭で考えて悩み続けるよりも、まずは行動すること。これからの長い人生、大きな夢を持って前へ進んでください」と学生にむけて期待をこめ、エールをおくられました。

  • (株)八十二銀行 顧問(長野県経営者協会会長)山浦愛幸氏
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