文化コミュニケーション学科編 30号(1996)
須沢 通 | 中高ドイツ語における借用語について | 1-11 |
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井上 逸兵 | 異文化間のミスコミュニケーションとポライトネスモデル | 13-31 |
出原 健一 | 認知環境におけるプロトタイプ性について | 33-42 |
深沢 恒雄 | 体験話法の過去形からみた物語の過去形の性質と問題点 | 43-53 |
滝沢 壽 | エルネスト・フェドー『ファニー』小論 : 忘れられたベストセラー小説 | 55-67 |
水野 知昭 | Loki as a Terrible Strange and a Sacred Visitor | 69-90 |
新田 玲子 | アメリカ文学におけるユダヤ系作家達 | 91-99 |
船津 和幸 | 古代インドのパフォーミングアーツ論 : 『演劇典範』(Natyasastra) 翻訳ノート(1) | 101-117 |
近藤 富英 | 言語行動としての英語の'disclaimer'についての一考察 | 119-128 |
Mark Robert | Using Dictation to Teach ESL Grammar | 127-136 |
Schwambom Frank | Heinrich Heines "Florentinische Nachte" | 137-157 |
霍 有明 | 盛唐山水田園詩派與王孟的詩歌創作 | 159-172 |
加藤 浩司 | 土佐日記「ありけるをんなわらは」の解釈について : 「ありし」と「ありける」の機能の差異を手掛りとして | 173-182 |
宮川 康雄 | 島木赤彦に関する一資料 : 「局部的文学と民衆的文学とを論ず」について | 183-190 |
佐倉 由泰 | 『平家物語』における源行家 | 191-213 |