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すぎの けんたろう

杉野 健太郎

英米言語文化 教授

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『アメリカ文学と映画』

『アメリカ文学と映画』を上梓しました

杉野編で『アメリカ文学と映画』という本を三修社から10月30日に刊行しました。

アメリカ文学のアダプテーション実践を論じた学術研究書で、17におよぶアメリカのキャノン(重要作品)の映画化作品を論じています。

他の領域でもそうですが、映画製作者は、先行する作品に大きな影響あるいはインスピレーションを受けることが多いでしょう。こういう間テクスト的関係は広い意味でのアダプテーションです。狭義のアダプテーションは、メディア間、例えば小説と映画の間で起こります。その場合は先行作品は明確です。その先行する作品をどのように異なるメディアに置き換えるかが、腕の見せどころです。

私が担当したのは、20世紀アメリカ文学の最高の小説とまでの評価もあるF・スコットフィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』(1925)をバズ・ラーマンが映画化した『華麗なるギャツビー』(2013)です(ともに原語タイトルはThe Great Gatsbyです)。ラーマンが宿願をかなえた映画ですが、渾身の力作だと私は評価しています。デジタル・ギャツビーと呼ぶこともあります。フィッツジェラルドが生きていたら自分の小説をよくぞここまですばらしい映画にしてくれたと感慨ひとしおだと推測します。

いずれにせよ、アダプテーションは文学研究さらには映画研究の一領域として確立しました。ご興味のおありの方はご一読ください。

ご参考までに紹介をあげておきます。

☆内容紹介
文学を映画製作者はどのように映画へと変貌させたのか
文学研究と映画研究の新たな地平を求めて、文学研究者がアメリカ文学を代表する作品のアダプテーションをめぐる批評実践を試みる。文学と映画それぞれのメディアの表現方法の違い、原作と映画テクストの歴史性、改変の意味や効果などを論じる。

取り上げる作品は、『白鯨』『ハックルベリー・フィンの冒険』『華麗なるギャツビー』『欲望という名の電車』『ブレードランナー』などを取り上げる。

目次

はしがき

ジェイムズ・フェニモア・クーパー『モヒカン族の最後』1826
1 崖の上のアリス
『モヒカン族の最後』とその映画的表象
川本 徹

ナサニエル・ホーソーン『緋文字』1850
2 ヴェンダース、アメリカ古典文学に挑む
ヴィム・ヴェンダース監督『緋文字』
藤吉 清次郎

ハーマン・メルヴィル『白鯨』1851
3 ニューディール・リベラリズムの遺産と反メロドラマの想像力
ジョン・ヒューストン監督『白鯨』
貞廣 真紀

マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』1885
4 『ハックルベリー・フィンの冒険』の映画史
辻 和彦

ヘンリー・ジェイムズ『鳩の翼』1902
5 リアリズム、ロマンスとモダニティ
イアン・ソフトリー監督『鳩の翼』論
堤 千佳子

イーディス・ウォートン『無垢の時代』1920
6 抑圧された<感情>のドラマ
マーティン・スコセッシ監督『エイジ・オブ・イノセンス』
新井 景子

シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』1925
7 小説的社会と映画的世界
『アメリカの悲劇』、エイゼンシュテイン、『陽のあたる場所』
小林 久美子

F・スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』1925
8 モダン/ポストモダンな『グレート・ギャツビー』
バズ・ラーマン監督『華麗なるギャツビー』
杉野 健太郎

リリアン・ヘルマン『子供の時間』1934
9 ひとりで歩く女
ウィリアム・ワイラー監督『噂の二人』
相原 直美

ジョン・スタインベック『怒りの葡萄』1939
10 アメリカ大衆文化における民衆の想像力
ジョン・フォード監督『怒りの葡萄』
中垣 恒太郎

テネシー・ウィリアムズ『欲望という名の電車』1947
11 プロダクション・コードを抜けて
エリア・カザン監督『欲望という名の電車』の軌道を辿る
山野 敬士

レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』1953
12 裏切りの物語
『長いお別れ』と『ロング・グッドバイ』
諏訪部 浩一

フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』 1968
13 ユダヤ人/黒人の表象としてのレプリカント
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』?と『ブレードランナー』
大地 真介

カポーティ『冷血』1967と『カポーティ』2005
14 そのまなざしを受けとめるのは誰なのか
『冷血』と『カポーティ』
越智 博美

アリス・ウォーカー『カラーパープル』1982
15 覇権調整のシネマトグラフィ
スティーヴン・スピルバーグ監督『カラーパープル』
宮本 敬子

フィリップ・ロス『ヒューマン・ステイン』2000
16 ミスキャストの謎を追って
ロバート・ベントン監督『白いカラス』
相原 優子

コーマック・マッカーシー『血と暴力の国』2005
17 コーマック・マッカーシーの小説とコーエン兄弟の映画の対話的関係の構築をめぐって
『ノーカントリー』における「暴力」と「死」の映像詩学
山口 和彦

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著者について


【編集責任】
杉野健太郎(信州大学人文学部教授)
【編集委員】
諏訪部浩一(東京大学大学院人文社会系研究科准教授)
山口和彦(上智大学文学部准教授)
大地真介(広島大学大学院文学研究科教授)
【執筆者】
川本 徹(名古屋市立大学大学院人間文化研究科准教授)
藤吉 清次郎(高知大学人文社会科学部教授)
貞廣 真紀(明治学院大学文学部准教授)
辻 和彦(近畿大学文芸学部教授)
堤 千佳子(山口東京理科大学教授)
新井 景子(武蔵大学人文学部准教授)
小林 久美子(京都大学大学院文学研究科准教授)
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中垣 恒太郎(専修大学文学部教授)
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宮本 敬子(西南学院大学文学部教授)
相原 優子(武蔵野美術大学造形学部教授)

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