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はやさか としひろ

早坂 俊廣

哲学・芸術論 教授

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中国関係

杭州便りその21

今日2月20日は、故・谷澤淳三先生の命日です。先生が急逝されて、早5年となります。何となく部屋に居たくなくて、少し早めに恒例の散歩に出ました。私の杭州滞在も残り一ヶ月となりましたので、あまりちゃんと歩いていないところに行こうと思い、今日は珍しくバスに乗って西湖の西側地区に行きました。丁家山風景区で下り、昨年5月に一度来たことがある趙之謙の墓に行きました。趙之謙(1829-1884)は清代晩期の文人で、紹興の出身です。書道・絵画・篆刻という芸術の分野で主に名を残した人ですが、思想家としての彼を研究してみたいと思いながら早幾歳・・・。己の怠惰を責めるしかありません。なお、彼の「墓」と書きましたが、正確には「彼の墓がこの辺りにあったことを示す記念碑」とでも言うべきで、道路拡張の際に本当の墓は失われてしまったようです。最近の中国では、こういう事態を「保護のための取り壊し」と称するようです(どういう意味か聞かないでください。私にもわけが分かりません。)

「西湖」と一口に言いますが、「白堤」「蘇堤」「楊公堤」などの堤によって、いくつかに区切られています。白堤や蘇堤と比べて、楊公堤の周り、特にその西側は、以前であれば少し寂れた感じを覚えましたが、今世紀になってからかなり手を入れたようで、今ではとても美しい風景を楽しむことができるようになりました。数年前に、知り合いの車でこの楊公堤の西側にある于謙(明代の武将)の墓を見に来たことがあり、その時の記憶を探りながら(「ここで、あいつ、こすって車の横に傷をつけたんだよなあ」とか思い出しながら)、てくてく歩いて再び見に行きました。さすが岳飛・張煌言と並んで「西湖三傑」の一人に数えられる英雄だけあって、墓道も立派で、お墓にはきれいな花が添えられていました。

さて、全く意識していなかったのですが、于謙墓近くの看板を見たところ、ここが「三台山」という場所だと気づきました。三台山と言えば、兪樾の墓もあるはずです。兪樾(1821-1906)は清代晩期の有名な考証学者、号は曲園、かの章炳麟の先生に当たります。杭州市の郊外に徳清という町があり、徳清兪氏は学者の家として著名です(テレビでそう言ってました)。兪樾の故居である「兪楼」が西湖の孤山にあり、記念館として公開されていますが、彼の墓は今まで見たことがありませんでした。「よーし、探すぞ!」と気合いを入れて大きな通りに出たら、「兪曲園墓」という表示がでーんと控えていました。しかも、その近くには昨秋訪れた高麗寺もそびえ立っていました。こんな近くに兪曲園先生の墓があったとは、思いも寄りませんでした。本当に、まだまだ知らないところ、見てない場所が多くあるものだと実感しながら、墓参りを済ませました。

谷澤先生、今年は御霊前に伺えなくて、ごめんなさい。でも、代わりに今日、趙之謙と于謙と兪樾のお墓に参って(実はもう一つ、蓋叫天という京劇役者さんの墓にも参拝しました)、先生のことを思い起こしながら合掌してきましたよ。「そんな奴ら、知らねえよ!」って苦笑いしているかも知れませんけど・・・。

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