去 る7月22日、中国で皆既日食を見た。寧波・奉化市の渓口(蒋介石の故郷として有名)にある「雪竇寺」(「せっとうじ」もしくは「せっちょうじ」と読む) で。こういう場合、雪竇寺に巡見に行った時にたまたま皆既日食を見たのか、あるいは皆既日食を見るために雪竇寺という場所を選んだのかを詮索することは野 暮というものだ(と私は思う)。とにかく、雪竇寺で皆既日食を存分に体験することができた。
雪竇寺に行って度肝をぬかれたのは、この弥勒像だ。2002年に私が始めて雪竇寺を訪れた際に、こんなものはなかった。というか、寺自体が大きく変容していた。
後で気付いたのだが、この写真(弥勒像に上って撮影)の右隅に小さく見える建物群が以前訪れた場所で、「変容」ではなく「増設」であった。弥勒像は2008年11月に完成したものらしい。
ちなみにこの弥勒像、日本人の目には布袋さんにしか見えないが、それはそれで正しい。中国では、弥勒=布袋なのだ。唐末ごろに実在した契此というお 坊さん(寧波地方出身)が、でかい布袋(ぬのぶくろ)をかついでうろつきまわっていたので、いつしか布袋和尚と呼ばれるようになり、「弥勒さまは、百千億 にも姿を変え、ときどき世に現れなさるが、誰もそれに気づかんのさ」という遺言を遺したために、布袋和尚その人が弥勒菩薩の生まれ変わりということになっ た(この部分の記述は、菊地章太著『弥勒信仰のアジア』、大修館書店刊、を参照した。この書物に載っている韓国の弥勒像は、布袋像以上に衝撃的だ。ご一読 あれ)。中国で弥勒といえば、このふくよかなスタイルが定番である。日本にある弥勒像を中国の方々がどう感じるのか聞いたことはないが、恐らく「貧相で、 迫力にかける」と感じるのではないだろうか?
さて、それはともかく、この弥勒像のお膝元に至ったところで、ちょうど皆既日食の時間となった。
辺りは、徐々に薄暗くなっていき、やがて真っ暗になった。
陳腐な表現だが、全身に鳥肌が立つような感動を覚えた。「そりゃあ、<て、天が怒ったぁ!>って思うわな」と心底感じた。ふと弥勒菩薩を見上げると、ライトアップされていた。
弥勒さま、貴重な体験をどうもありがとうございました!