教員紹介

もりやま しんや

護山 真也

哲学・芸術論 教授

教員 BLOG

一覧を見る

日本印度学仏教学会第63回学術大会に参加して

鶴見大学

 2012年6月30日より7月1日まで、横浜の鶴見大学で開催された日本印度学仏教学会学術大会に参加してきました。会員総数2400名以上の人文系では最大規模の学会です。ここに参加すると、旧知の友人・知人、そして恩師の先生方に会うことができます。ほとんど同窓会の代わりですね。  鶴見大学は、鶴見駅から徒歩五分ほど、曹洞宗大本山總持寺に隣接する仏教系の大学です。かつて学会が開催されたときには女子大だったはずですが、今では男女共学の大学となっていました。

発表

 全部で10の部会に分かれての学術発表が行われていましたが、初日午前は、第一部会で、近藤隼人氏のサーンキヤ知覚論に関する発表、小林久泰氏のティミラ眼病に関する発表などを聴講。ティミラ眼病については、私の中でもスタンダードであった金沢篤氏の論考に対して、さらに新しい視点が追加され、非常に有益な発表だったと思います。  午後は第四部会にて、中観思想に関する発表を聴講しました。特に望月海慧氏の発表は、ラトナーカラシャーンティの『経集解説』に見られる中観思想に関するもので、私自身のテーマと直結するものだけに興味深く聞かせてもらいました。後日、望月氏からは、関連する論文の抜き刷りを送付していただきました。本当にありがとうございます。  二日目午前は、同じく第四部会にて、プラマーナ関連の諸発表を聴講しました。東京学芸大学で開催されているプラジュニャーカラグプタ研究会で旧知の方々(松岡寛子、小野基、渡辺俊和、片岡啓、岡田憲尚、佐々木亮、稲見正弘、各氏)の発表に加え、西沢史仁氏、木村紫氏の発表でした。いずれも今後のプラマーナ研究に欠かすことのできない重要な発表だったと思います。特に、小野氏の「pramāṇabhūtaの意味の変遷」、稲見氏の「二種の因果効力」は、これまで長年に渡り培われてきた、ディグナーガ・ダルマキールティの宗教哲学・存在論の先行研究に修正を迫るものであり、今後、ウィーン大学をはじめとする世界各地の諸学者からの反応が待たれるところです。

パネル

 二日目午後は、ダルマキールティ論理学の中心概念、svabhāvapratibandhaをテーマとしたパネルを聴講しました。片岡啓、石田尚敬、福田洋一、金沢篤、桂紹隆の五名のパネリストが、この概念の解釈をめぐる考察を披露されました。片岡啓氏が最初に論争の見取り図を提示されたおかげで、問題の中心が極めてクリアになりました。ただ、残念ながら、片岡氏が描いた対立軸に対して、パネリスト各氏がどのような立ち位置を取るのか、そして、この厄介な概念に対していかなる訳語(邦訳・英訳)が可能なのか、そのあたりは十分に展開されなかったようです。(最後のオープン・ディスカッションを聴講できなかったため、誤解があるかもしれませんが…)。ともあれ、『インド論理学研究』の最新号には、各氏の論考が掲載されるようなので、発刊を心待ちにしたいと思います。  なお蛇足ながら、昨年の「比較哲学特論」では、特にカントの分析判断・総合判断の区別と絡めながら、ダルマキールティの論理学を解説しようと試みました。いろいろと疑問のみを残す授業展開になりましたが、そこで気づいたことが、仏教論理学研究のパイオニアであるスチェルバツキーのダルマキールティ理解を見直すことの必要性でした。このsvabhāvapratibandhaにしても、スチェルバツキーの解釈にシュタインケルナーが反論を提示したことが契機となり、その後の解釈史が生まれてきますが、そもそもその反論はどこまで妥当だったのでしょうか。svabhāvapratibandhaという概念にア・プリオリ性を認めることはナンセンスなのでしょうか。このあたり、片岡氏が『インド論理学研究』に寄稿する論文の中では、谷貞志氏がすでに重要な指摘をしていることが示されています。

トップページ 教員紹介 護山 真也 ブログ 日本印度学仏教学会第63回学術大会に参加して

ページの先頭へもどる