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スピヴァク、人文学を語る

再読を機に、鵜飼哲監修『スピヴァク、日本で語る』(みすず書房 2009)から、次の一節を掲げておきたいと思います。

 

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《私は今日の人文学を哲学(私はそこに宗教や、歴史のソフトな側面を含めています)と文学(ここには人類学のソフトな側面が含まれます)の部類に入れます。私が哲学と呼ぶのは、哲学的に考える仕方を教えることであり、ただ単に、私たちの大先達の声の歴史を教えることではありません。つまり、カントがデカルトを修正し、へーゲルがカントを修正し、マルクスがへーゲルを修正し、ニーチェがマルクスを修正し、フロイトがニーチェを修正し、デりダがフロイトを修正し、バディウがデリダを修正するといったようなことではないのです。私が言う哲学とは、知、意味、存在、意志、生と死、行為といったことについて問いをたてる方法を教えることです。このことは日常言語学派の哲学、分析哲学についてさえも言えます。いっぽう私が「文学」と言うときには、口承芸術、映像、ハイパーテキスト、ヴィデオ映像など今日増加している領域も含まれます。文学を教えるとはきわめて広い意味で読むことの教授だと言えます。哲学すること、そしてもっとも広い意味での読むこと、これが私たちの仕事なのです。》

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