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飯岡 詩朗

英米言語文化 教授

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雑記

「ポケットに映画」の時代

いまから15年ほど前、朝日新聞の日曜版に「シネマ CINEMA キネマ」という連載があった(後に、『世界シネマの旅』[全3巻]として単行本化)。
内容は、毎回、世界の映画史上の重要な作品を1本とりあげ、製作の裏側や公開当時の受容のされ方などその作品にまつわる記者が足で稼いだ(?)取材記事 と、淀川長治、蓮實重彦、山田宏一という3人の映画評論家の短いコラムで構成されており、毎回楽しく読んでいた記憶がある。
今回の研究室の移転で、資料を整理したり捨てたりしているときに、この連載の1年目の節目に行われた座談会「ビデオ時代もまた楽し 連載1年目の節目 コラム筆者が語る」(1992年8月31日)のコピーが出てきた。この座談会の冒頭で、朝日新聞編集委員(当時)の高木八太郎は、当時の「映画と個人の関 係」次のように述べている。

ここ数年で[映画をめぐる]事情が少し変わってきた。ビデオの一般家庭への普及である。かつて映画は、映画館などで上映されない 限り見ることができなかった。古い映画や外国の映画を見たいと思っても、機会に恵まれない限り個人ではどうしようもない。書店に行けば書物として手に入る 文学や、レコードのある音楽とは、大きく違う点だった。ビデオは、映画と個人の関係を、文学や音楽に近づけた。
映画史の本や年配の人の話だけで想像するしかなかった作品が個人的に見られるようになったのだ。古い映画が次々にビデオ化されて、店頭に並ぶ。[映画が誕生して]ほぼ一世紀の間に作られ、消えていった作品群がよみがえりつつある。
朝日新聞が日曜版で「シネマ CINEMA キネマ」と題する連載をはじめたのは、このビデオ時代の到来に合わせての試みである。(※[ ]は引用者による補足)

上気した大げさな表現がいまとなっては微笑ましくもあるのだが、ここでの「映画と個人の関係」の捉え方が当時の一般的な感覚からすればズレているの も事実だろう。というのは、「ビデオ時代の到来」というのはその通りだとしても(わたしの場合、家にビデオが来たのは1986年頃だった)、「映画と個人 の関係」は、ビデオ・ソフトの高価さ(1万円超もざらだったのではないか)ゆえに、文学=書物と個人や音楽=レコードと個人の関係ほどには近しいものには なっていなかったからである。もちろん、レンタル・ビデオ店で借りることもできたはずだが、レンタル・ビデオ店自体がいまほどどこにでもあるような状況で はなかったように思う。
そのような意味からも、ここで述べられていることは、15年前ではなく、むしろここ数年の「映画と個人の関係」の変化に適合しているように思われる。以 前、このブログでも書いたが、少なくともアメリカ映画を中心とした昔の映画のDVDは300円台で手に入る時代に突入しており、つい先日も100円ショッ プの大手ダイソーで、ジョン・フォードの『プリースト判事』(Judge Priest, 1934)と『若き日のリンカーン』(Young Mr. Lincoln, 1939)のDVD(下の写真)が315円(税込)で販売されているのを偶然見つけ、衝動買いしてしまった。(たしか)いずれもかつてIVCでビデオ化さ れてはいたが、その後廃版になり、後者はIVCでDVD化されたものの、前者はほとんど入手不可能だった作品である。

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すでに感覚が麻痺しているので、315円でも驚かなくなってはいるのだが、冷静になって考えてみれば、315円というのは、文庫本よりも安いとい うことである。たとえば、わずか160ページのヘミングウェイの『老人と海』(新潮文庫)ですら420円(税込)なのだから、それよりも作品としてはるか に優れているジョン・フォードの作品が315円というのは、やはり驚くべき事態であり、先の編集委員の言葉を倣えば、DVDは、映画と個人の関係を、文学 や音楽以上に近づけた、と言える。
また、同じ座談会で、編集委員に「このビデオ時代をどう感じていますか」と問われた淀川長治は、以下のようにこたえている。

一九七〇年だったか、ルネ・クレールが日本へ来たときにね、「いまに映画をポケットに入れて家に持って帰れるようになる」と言ったからね、面白いこというなと思っていたら、本当になった。世にも考えなかったことがね。

VHSであれベータであれ、かなり大きなポケットでもないかぎり、実際に「映画=ビデオ」をポケットに入れるのは無理があったはずだが、DVD時代 の到来以後のいまでは、実際に(とくにケースから出せば)何本も「映画=DVD」をポケットに入れて持ち歩くことが可能である。そのような意味でも、15 年前よりも、はるかに「映画と個人の関係」は近しいものになっている。(しかし、それはほんとうだろうか?)
もっとも、それ以前に、そもそもそれは〈映画〉なのか、という本質的な問いもあるだろう。しかし、315円でジョン・フォードの「映画」が買えるという 笑える/笑えない状況が映画の〈現在〉なのであり、そのかつてないほどの「映画」との近しさとどのように折り合いをつけていくか、という問いの方がわたし にとってはむしろ身近なものなのである。

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