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はやさか としひろ

早坂 俊廣

哲学・芸術論 教授

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中国関係

江西ふたたび

2011年と2017年(1)

 2011年12月下旬、このブログで「江西吉安行(上)(下)」と題して、同年10月末に行った調査旅行の報告を行いました。自ら読み返してみますに、「文献を読んでいるだけではわからない宗族の雰囲気、人的結合の実際が感じられて、非常に有意義な調査でした。またぜひ訪れたいです……と言いたいところではありますが、課題は、「ウコン」でさえも「力」になり得ない「白色恐怖」をどうくぐり抜ければよいのか、という点です」と記されています。正直、もう一度、吉安地方を訪れるとは思っていませんでしたが、科研の共同研究の一環で再び同地を訪れることになりました。そして、今回は、(日本人にとってみれば)常識的な範囲内で「白酒」の飲み合いが収まったため、きわめて有意義かつ快適な調査旅行を行うことができました。私にとってみれば、二度目に訪れた地点と初めての地点とがちょうど半々ぐらいだったのですが、まずは二度目の地点について御報告したいと思います。

白鷺書院風月楼

 写真の(1)は、向かって左上から時計回りに、「陽明書院(2011)」「陽明書院(2017)「白鷺洲書院(2017)」「白鷺洲書院(2011)」です。2011年当時、「陽明書院」は整備されておらず何も残っていませんでしたが、今回は、立派な書院が修復されていました。「白鷺洲書院」は、当時も今も白鷺洲中学の校内にありますが、当時は鍵を開けてもらわなければ入れなかったのに、今回は自由に入ることができました。市民憩いの公園になっているようです。ただし、2011年の時には登ることができた風月楼は、2階以上が立ち入り禁止になっていました。6年前に登った際、歩くたびにミシミシと音がしていたため、賢明な措置と言えるでしょう。

2011年と2017年(2)

 写真の(2)は、同じく向かって左上から時計回りに、「石蓮洞(2011)」「石蓮洞(2017)「青原山入り口(2017)」「青原山入り口(2011)」となります。写真(1)とは異なり、こちらは残念な状態になっていた証拠写真です。特に石蓮洞は、2011年に訪れた時が既に夕刻だったため、今回、気合いを入れて写真を撮ろうと意気込んでいた地点でしたので、心底がっかりしました。明代の陽明学者・羅洪先が学問修養を積んだ洞窟に真っ赤な看板がかかり、仏様も大集合していました。写真が小さくて見にくいと思いますが、わざわざ見るまでもない惨状(儒学研究者からすれば)でした。裏側にあった石刻もなぜか立ち入りできなくなっており、長い時間かけて行ったわりには残念な結果となりました。

歐陽氏崇徳堂

 もちろん、変わらない景色もありました。泰和県蜀口洲にある歐陽氏宗族関連遺跡は、相変わらずの偉観を誇っており、二度目なのにやはり強い感動を味わわせてもらいました。ここは、明代の陽明学者・歐陽徳を生んだ場所なのですが、その子孫の方が詳しく説明をしてくださいました。まことに申し訳ないことに、大部分は聞き取れなかったのですが、かなりの高齢であるにもかかわらず、ビシッとした立ち居振る舞いに、「歐陽徳もこんな感じだったのだろうか」と感激致しました。また、村人のなかに、ニコニコ話しかけてきてくださった方がいて、よく見たら、2011年にもお会いした方でした。何だか嬉しくなって、握手をして別れました。前回はここを経った後、白酒攻撃を受けて意識が途絶したわけですが、今回はもちろんそういうこともなく、気分よく次の目的地に行くことができました。お世話になった中国の皆さま、本当にありがとうございました。

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