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国際交流・留学

[研究者交流][オーストラリア]

2020年09月01日 研究者交流

写真1 繁華街にあるフリンダースストリート駅とトラム(路面電車)
写真1 繁華街にあるフリンダースストリート駅とトラム(路面電車)
写真2 ANZIC-RCが入るビル
写真2 ANZIC-RCが入るビル
写真3 南半球最大の大観覧車“メルボルンスター”から見たメルボルンの街
写真3 南半球最大の大観覧車“メルボルンスター”から見たメルボルンの街
写真4 公園のBBQテーブル
写真4 公園のBBQテーブル

信州から世界へ ~留学体験記~


望月 勝徳さん

派遣先:オーストラリア モナッシュ大学

期間:2019年9月~2020年9月


はじめに

 みなさん、こんにちは。救急集中治療医学教室の望月と申します。私は、2019年9月から一年間、オーストラリアのメルボルン(写真1)へ留学をいたしました。モナッシュ大学(写真2)のAustralian and New Zealand Intensive Care Research Centre(ANZIC-RC)で臨床研究をして参りましたので、留学までの経緯や留学中の生活についてご報告いたします。


留学までの経緯  

 私は、初期臨床研修の後、2007年に救急集中治療医学教室に入りました。後期研修医の頃に参加した研究会で、オーストラリアのRinaldo Bellomo教授のところへ留学された先生から、当時の楽しそうなお話を伺い、自分もいつかBellomo教授のところへ行ってみたいと思うようになりました。その後、救急科専門医およびサブスペシャリティーとして集中治療専門医を取得し、2014年に信州大学の大学院医学系研究科を修了し、信州大学病院で診療・教育業務に加え、臨床研究を中心とした研究活動をしながら留学の機会をうかがっていました。運よく友人から、Bellomo教授のところから最近帰国した先生を紹介してもらえ、その先生の仲介でBellomo教授と会えることになりました。2018年の8月に、夏休みを利用してメルボルンへ留学の受け入れをお願いしに行き、翌年からANZIC-RCで臨床研究ができることになりました。  

 留学先決定後の最初の準備は、留学資金の調達でした。ほとんどの助成金制度は、留学先が決定していることが条件となっているからです。海外留学の助成金制度は希望者のレベルも高く、どれもハードルが高かったのですが、幸い信州大学の医学科顕彰制度海外留学支援に採択されました。私は家族を連れて留学することにしたため、ビザの申請の他に、住居の確保や、子供が現地で通う学校の手配も出国前に行いました。


オーストラリアでの研究生活  

 ANZIC-RCは、集中治療領域で豪新を中心とした多国間の臨床試験を実施する、国際的な臨床研究センターです。私はここで、近く実施予定である酸塩基平衡障害に関する臨床試験に向け、基盤となる知見を得るための大規模データベースの解析を担当しました。ミーティングや研究プロトコールの作成、倫理申請やデータ請求ももちろん英語で行うのですが、これまで使い慣れていた統計ソフトでさえ、英語版のため一つ一つ確認しながら実行する必要がありました。加えて、統計家と統計用語で解析計画について話し合うのが、一般的な医学用語でのやり取りと比べて不慣れで大変でした。また、Excelで扱えない数のデータを処理するのも初めてだったので、作業工程は日本で行っていた臨床研究と大きく違わなくても、想定外のトラブルを経験しながら四苦八苦して解析しました。さらに、私の在籍期間中に、新型コロナウイルス流行が始まり、業務内容が在宅ワーク中心に切り替わったため、解析ソフトを自宅のPCで利用しやすいものに、勉強しなおして切り替えるなど、この時期特有の苦労もありました。

 私が指導を受けたBellomo教授は、オーストラリアを代表する医学研究者で、ANZIC-RCの副センター長を務めますが、普段はAustin病院という別の施設にいるため、相談はメールやWEBミーティングが中心でした。もちろん英語でやり取りするのですが、Bellomo教授自身が元々イタリアからの移民だったこともあり、いつも非ネイティブの私にも聞き取りやすい速度で話してくれました。新型コロナウイルスの流行も重なり、直接お会いしたのは数えるほどしかありませんでしたが、常にパワフルで、臨床試験に対する熱い思いをよく語ってくれました。ANZIC-RCのスタッフたちも皆親切で、決して英会話が堪能とは言えない私にも、よく声をかけてくれました。また、同時期に数人の日本人留学生が在籍していたこともあり、研究で困ったことがあっても、一人で途方に暮れるようなことはありませんでした。


オーストラリアでの日常生活

 我が家は、メルボルン郊外の静かな地域にあるマンションで暮らしていました。日本の運転免許証があれば、ビクトリア州の運転免許証の取得ができるので、中古の日本車を買って使っていました。オーストラリアの道路は、日本と同じ左車線ということもあり、比較的早く運転にも慣れました。私自身は電車かトラム(路面電車)で通勤していたのですが、オーストラリアの幼稚園や小学校は、親が車で送迎するのが普通なので、妻が車で毎日子供たちの送り迎えをしてくれました。子供たちも、日本語が通じない環境にいきなり放り込まれたにも関わらず、元気に通ってくれました。小学生の上の子は、今では私よりもネイティブの英語が聞き取れているようです。  

 メルボルンは、もともと移民が多い都市なので、街の人たちは英語が堪能とはとても言えない私たちにも、親切に対応してくれました。街の周囲に観光地も多く、公共交通機関も発展しているので、休日は家族でいろんなところへ出かけました(写真3)。また、広い公園がたくさんあり、いつもきれいに整備され、自由に使えるBBQコンロ(写真4)も設置されているので、しばしば日本人家族で集まって、ピクニックやBBQを手軽に楽しみました。

 留学期間の後半は、新型コロナウイルスの流行で、日本に比べるとかなり厳しいロックダウンとなり、子供たちは在宅オンライン学習、私は在宅ワークとなり、四六時中、家族一緒に過ごすことになりました。我が家には小さな子供たちもおり、オフィスに通勤していた頃と比べると、業務の作業効率は下がってしまいましたが、互いに譲り合い、時にケンカしたりしながら、家族みんなでずっと一緒に過ごした時間も、今となってはとても良い経験だったと思います。


終わりに

 新型コロナウイルスの影響もあり、研究の進行も当初の予定より遅れてしまいましたが、周囲の支えもあり、帰国からしばらくして私の担当した解析の論文も無事に受理されました。予想だにしない試練もたくさんありましたが、研究生活でも日常生活でも、この留学を通じてかけがえのない経験をたくさんすることができました。大変な時期ではありましたが、本当に行って良かったと思っています。モナッシュ大学や助成金申請に、何度も推薦状を書いていただいた当教室の今村教授はじめ、厳しい診療環境の中送り出してくれた高度救命救急センターの仲間たち、そしていつも私のことを支えてくれる友人や家族に感謝し、これからも精進して参りたいと思います。

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