センパイの肖像

文部科学省長期海外留学支援事業で採択され、アメリカで博士号を取得

文部科学省長期海外留学支援事業で採択され、アメリカで博士号を取得

  1982年、長野県生まれ。信州大学繊維学部精密素材工学科卒業。2年生の終わりに米国へ1年間の語学留学。4年生で文部科学省の「大学教育の国際化推進プログラム(長期海外留学支援)」に推薦を受け、選ばれた。卒業後の2006年8月に渡米し、ウィスコンシン州立大学マディソン校大学院博士課程(修士から博士の一貫コース)へ。2011年5月博士号を取得。同大学博士研究員を経て、2011年11月からノースカロライナ大学チャペルヒルにて博士研究員。

  今年5月、アメリカのウィスコンシン州立大学マディソン校にて博士号を取得した原幸宏さん。平成18年度文部科学省の長期海外留学支援の採択事業として、全国で採択者数60名(東京大学22名、一橋大学5名、慶応義塾大学5名等)の一人として派遣されていた。現在5年間(平成18・20年度新規採択事業)の留学生活を終え、今夏より博士研究員として勤めている。10月20日、21日と信大に来訪した原さんに、留学までのいきさつとアメリカでの研究生活について聞いた。

“留学”という目標に向かって

バスコムホール ウィスコンシン大学
キャンパス:バスコムホール ウィスコンシン大学の象徴的な建物
州庁 議事堂
州庁 議事堂

Q.ウィスコンシン州マディソン市はどんなところですか?
  冬の寒さは厳しいですが、治安も結構よくて、住みやすいところです。マディソンは州都であり、ウィスコンシン州立大学の本部キャンパスを抱える学術都市で、人口が約23万3千人、学生は約4万2千人です。日本人はあまりみかけません。


Q.研究のテーマは何ですか?
  太陽電池のデバイス(機器)の材料の研究です。繊維学部の4年時にはスーパーキャパシタ(重金属を使わない環境負荷の少ない蓄電装置)の材料研究をしていました。もともと環境問題を解決するために新しいクリーンなエネルギーの開発が必要だと考えていて、エネルギー関係機器の材料の研究がしたかったのです。


Q.留学を志したきっかけは?
  高校2年の時、「アメリカの大学を卒業しませんか?」というダイレクトメールを受け取りました。何をするのか迷っていた僕は、そこに書かれていた教養課程を経てから専攻が決められるという部分に魅力を感じ、父と説明会に行きました。結局、費用が高くて断念したのですが、「留学したい」という思いは消えず、日本の大学を出てからアメリカの大学院に留学しようと考えました。


Q.文科省の支援プログラムで、全国国公私立で60名という難関を突破して派遣されましたが、このプログラム応募のための準備をしましたか?
  ぼくの場合は、初めから大学院に留学するつもりでしたので、すでに準備を進めているところに話が来ました。ラッキーでした、タイミングがよかったのです。1年生のころから大学院留学の費用を稼ぐために、部活、サークルはせず、学業+バイトで通しました。夏休みなど月に30万円以上稼いだこともあります。2年生の時、100万円以上貯蓄できた中から費用を捻出して、英会話教室にも通いました。そこで知り合った留学をしてきた先輩に、2年終了時に留学したほうが良いとアドバイスを受け、語学留学を目的に1年間アメリカへ行きました。この時は、大学院を見ることも目的で、ウィスコンシン大学マディソン校へ行き、聴講で授業を受けました。

“留学”を選択した理由

工学部門の建物
キャンパス 工学部門の建物

Q.研究をするにも、アメリカへ行った方がよかったですか?
  ぼくが携わっている材料分野では、日本の研究レベルは高く、日本にいてもよい研究ができたと思います。
語学留学後、大学院留学を決意しましたが、実は、日本の大学院進学も考えました。それは、やりたいと思っていた研究分野のレベルは日本の方が高かったことや、4年次に指導してくださった教授の下で研究したいと思ったからです。しかしながら、他国での研究の進め方および考え方、英語でのコミュニケーションスキル、文化交流、さまざまな人々との出会いなど、研究以外の面では、留学した方がより多くのことが学べると信じて留学を決めました。
  学位取得のための研究では、研究テーマももちろん大切ですが、学位取得までの過程で何を学んだか(どのような研究の仕方があるのかなど)がより重要だと思います。もちろん、どんな環境にあっても、個人の努力があってこその話ですが。ぼくは、アメリカという環境を選んだのです。

英語力で“外国人”が消えた

指導教授の家
指導教授の家でしゃぶしゃぶディナー (左は)元同じ研究室の学生

Q.英語によるコミュニケーションや異文化の中でとまどったことはなかったですか?
  語学留学をしての大学院留学でしたから、とまどいは少なかったと思います。初めにアメリカへ行った時に、半年ぐらいはどうしても「この人は○○人」と国で人を意識して見ていました。英語のコミュニケーションに自信を持てるようになったら、「外国人」という意識はなくなりましたね。
  今でもなかなかできないのは、ディスカッションの場で自分を出すこと。日本の常識では、人の話は最後まで聞きますよね。アメリカでは、たいてい発言をしている人の話が終わる前に割り込む形で自分の意見を出していくんですが、ぼくは、ついつい聞いてしまうんですよ。


Q.アメリカで博士号をとる上で苦労されたことは?
  実験が思うように進まなかった時や、予想と異なる結果だったときは苦労しました。良い結果が得られなければ試験も受けられませんし、学会発表や論文執筆もできず、前へ進みません。このストレスは日本でも同じですね。母国語でないという点では最初の2年間は授業履修で結構苦労しました。

“留学”は一生の財産!

ホームパーティ
友人宅でホームパーティ

Q.今後はどんな取り組みを考えていますか?
  新しく就職先が決まりましたので、研究生活を続け、いずれアメリカの大学で教員職につけたら・・と考えています。また、まだ漠然としていますが、国際交流でぼくができること、留学生の受け入れなどして、日本との橋渡しのような取り組みができればと考えています。留学は一生の財産になります。ぜひ、学生のみなさんにチャレンジしてほしいですね。

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