センパイの肖像

横山 勝丘さん(理学部卒)


今年5月、フランスの山岳団体と山岳雑誌から贈られるピオレドール(金のピッケル)賞を信大OBが受賞したというニュースが舞い込んだ。ジャンボというニックネームが似合う、横山勝丘さんだ。「信大の山岳会で強くなれた」という横山さんに、ローガン(カナダ最高峰)のクライミングや登山活動についてきいた。


・・・・・ 信州大学広報誌「信大NOW」第70号(2011.7.25発行)より

Profile

登山家 横山 勝丘

1979年、神奈川県生まれ(6人兄弟の末っ子)。8歳の頃から山歩きを始め、小学校低学年から父親と共に毎週のように山へ通う。1998年信州大学理学部入学と同時に山岳会へ入会。以後本格的にクライミングを開始し、国内外で幅広く登山活動を続ける。パタゴニア・アルパインクライミングアンバサダー。主な登山に、アラスカ ブロークントゥース北壁「Before the Dawn」初登(2006)、アラスカ ベアートゥース北東壁「Climbing is Believing」初登(2008)、アラスカ アイシスフェース~スロヴァクダイレクト継続(2008)、ユーコン ローガン南東壁「I-TO」初登(2010)等。

ピオレドール賞を受賞!

●ピオレドール賞受賞、おめでとうございます。受賞について一言お願いします。 

  ありがとうございます。賞を目指して登っていたわけではないんですが、僕たちのクライミングを評価していただけたのは純粋にうれしいです。受賞式のあったシャモニー(仏)では、他のチームのすごいクライミングの話が聞けて、本当によかった。山に対するモチベーションがさらにあがりました。

ローガン南東壁について

ローガン南東壁全景
ローガン南東壁全景と登ったライン

●なぜ、ローガン南東壁を登ったのですか?

  初めてローガンのことを知ったのは、アメリカワイオミング州にいた時。ぼくは妻の千裕と、車で北米クライミングの旅をしていました(2009年4月~2010年6月)。たくさんのいい出会いがあり、山関係の雑誌の編集長をしている人から、ローガンの写真を見せてもらいました。とにかく「デカイ」!

  それまでアラスカを中心にクライミングをしていましたが、アプローチが良く、ルートや天気予報など、細かな情報がすぐ手に入り、クライミングには最適でした。でも、僕は、もっと不確かなものがある中で、迷いながらも自分の力で真正面から向き合うような山登りがしたかったんです。

  そんな時に、見せられた「誰も登っていない、3000mの壁」、それがローガンでした。

 

●実際に登ってみて、どんな山でしたか。

  「天気は最悪、周囲には誰もいない、危険箇所が多い」など、話には聞いていましたが、それ以上にネガティブなものが詰め込まれた山でした。特に懸垂氷河(壁にぶら下がった不安定な厚い氷)はとても恐ろしく、最初に見た時「一体、どこを登ればいいのか」と。何度も眺めるうち、一つだけ、氷河崩落の危険性がないラインを見出しました。
  「これなら条件さえ良ければ登れる」僕が誘った仲間の一人は、この時行くことをあきらめて、ベースキャンプに残ることになり、もう一人の仲間(共に受賞した岡田康氏)と登ることにしました。
  いつ天気が崩れるのかと、不安はつきまとい、登れば登るほど山の巨大さを感じました。ローガンのクライミングを一言で言うなら「ドでかい自然と対峙する」ですね。
  丸三日間登り続け、ようやく壁を抜けて稜線に立ち、夜、洞窟のようになったクレバス(氷の割れ目)を見つけて潜りこみました。マイナス40度近い寒さの中で、靴はバリバリに凍り、一睡もできずに朝を迎えました。
  翌四日目、登り始めましたが、頂上にあと600mのところで限界。散々悩んで迷って、いったん撤退を決めたのですが…「だめだ、やっぱり行こう!」と。
  結局、3時間後に登頂しました。
  次の日、僕らは延々と30kmの道のりを歩きながら、幸せでした。(上写真)誰も登っていない壁に一本のラインを見出したこと、不安に打ち勝ったこと、そして、これまで以上に「生きている!」と実感できたからです。そしてこの登山ルートを、「I-TO(糸)」と名づけました。
  アメリカでの出会い、パートナーとの絆、信大の山岳会や山で出会った強烈な仲間たち…技術、経験、出会い、それらがあって自分なりに描けたライン(ルート)でした。ピオレドールでは、そういうラインを評価してくれたのだと思います。

学生時代、卒業後について

北アルプス蓮華岳山頂
信大山岳会の冬合宿。北アルプス蓮華岳山頂にて仲間と。左端が横山さん。(1999年)

●信大での経験もそのラインに繋がっているのですね
  ぼくは、信大で鍛えられたんです。ちょうどやる気満々の鬼のような(笑)先輩たちがいて、いろいろと教えてもらえてラッキーでした。新人合宿や30日間の冬合宿は、こたえましたが、厳しいからこそ自然の怖さを知り、自分の身を自分で守ることを身につけられました。もちろん山岳会では、厳しさ、それ以上に楽しさを知るわけですよ!

●卒業してから、どのように登山を続けてきたのですか
  卒業後、登山関連の商品の輸入代理店に勤め、その間にも遠征に行かせてもらいました。サラリーマンをやめたのは、2008年8月にアラスカで友人が死に、人はいつ死ぬかわからないから、やりたいことをとことんやろうと思ったからです。2008年秋、学士山岳会の60周年記念事業の一環であった、ヒマラヤのカンテガへ行き、2009年春から北米へ。今は、岩場の整備や、登山関連の新製品の試用など山の仕事をして、資金ができたら山へ行っています。

将来の夢・目標

ローガン東峰山頂にて
左:ローガン東峰山頂にて(左横山さん、右岡田さん)

●将来の夢、目標はどんなものですか

  第一に、自らの心のおもむくままに登山を続けること。限界いっぱいまで自分をプッシュする。その先に山登りの楽しさを知るきっかけを作ったり、登山文化の底辺を広げるような活動をしたいですね。人が作った機械やゲームなどは、時期が過ぎればレトロとしての価値になってしまうけれど、山に登って「ああ、いいなあ…」と思えるものは、ずっと昔から変わらないものでしょう。登山は文化としてもっと発展できると思います。
  山が好きになれば、環境保護や節電は、当たり前のことになります。自然の中で自分のちっぽけさを知り、困難な中でもなんとかやりくりして乗り越える楽しみを知れば、自信もついてきます。
  研究でも何でも、人間の根本にある、冒険心や探究心が引き出されると楽しいですよね。こういうものが大切だと思います。
  来年パキスタンで2000m近い未登の岩陵に挑戦します。その準備で今秋はヨセミテに、年明けにはパタゴニアへ行きます。(了)


  奥様の千裕さんと。結婚披露は、自宅近くの岩場を2、3ヵ月かけてきれいにして仲間を呼んでコンペをし、さらに自宅でホスト役をつとめてパーティをしたとか。写真を撮るのも忘れていたそうです。
◎取材場所:ギャラリー&カフェ憩いの森   (松本市城山公園)

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