ナノファイバーから広がる未来〜信州大学と繊維研究〜

画期的な材料・ナノファイバーから広がる未来

ナノファイバーは1本の太さが500nm(ナノメートル)以下、髪の毛の200分の1程度の細さという極細繊維です。従来のマイクロファイバーに比べて高比表面積、高空隙率、軽量、微細なポア(孔径)、薄さ、滑らかさなどの特徴があり、疎水性(撥水)や親水性(高吸水性)、透過性に優れていることから、現在は衣類のみならずメディカルや電気・電子分野まで幅広く研究開発が進んでいます。

世界初となるナノファイバーの量産化装置を開発

世界初となるナノファイバーの量産化装置を開発
エレクトロスプニング法のしくみ
世界初となるナノファイバーの量産化装置を開発
エレクトロスピニング法によるナノファイバー製造装置

2008年、私たちの研究室は、世界で初めてナノファイバーの大量生産プラントの開発に成功しました。ナノファイバーの製造方法はいくつかありますが、もっとも一般的なエレクトロスピニング(ES:電界紡糸)法で実現したのです。この方法は注射器(シリンジ)の中にナノファイバーの原料であるポリマー溶液を入れ、高電圧を与えてポリマー溶液を帯電させ、静電爆発を起こすことでナノファイバーを作製するものです。静電気力がポリマー溶液の臨界表面張力を超えると、シリンジのノズル先端からポリマー溶液が噴射され、その間ポリマー溶液は互いに静電反発しあうことでファイバーが分裂・微細化してナノファイバーになるのです。原理自体は1930年代から知られており、エレクトロスピニングの操作を記載した最初の特許は1934年に出現しています。しかしながら、理論上、均一なナノファイバーの大量生産は難しいと言われていました。なぜならポリマーを溶解させると粘度が生じ、その粘度でノズルが詰まってしまうからです。そこで私たちはノズルが詰まらないようにポリマー濃度や電圧の強さ、ノズル径の大きさなどを調整し、ノズルを45度カットしたうえで溶液を流出させ続け、均一な生地を作り出しました。これは「水は流しっ放しにすれば詰まらない」という簡単な原理の応用でした。

空気は通しても水は通さないナノファイバー

空気は通しても水は通さないナノファイバー
民間企業2社と約2年間かけて共同開発した アウトドア用ジャケット

量産化が実現し、不織布のナノファイバーの大型サンプル試作ができるようになったことで、産業規模の製品開発が可能になりました。ナノファイバーの可能性は大きく飛躍したのです。空気は通しても水は通さないナノ材料をさまざまな産業と融合させることで、今後はさまざまな応用が期待されています。
当研究室では170件ほどの特許を取得し、国内外の多くの企業と共同研究を進めることで、加工が難しいとされたナノファイバーの製品化を実現しています。2008年にはクリーンルーム用の産業用拭き取り材「ナノワイパー」と、防水性と通気性に優れたアウトドア用ジャケットを相次いで開発。ナノワイパーはテクノス株式会社(愛知県豊川市)と共同開発したもので、市販のワイパーの数十分の1の細さのファイバーを使って微細なゴミのふき取りを可能にし、現在使用されているマイクロワイパーより約30倍以上の効果を出せることで半導体や精密機器でのホコリを取り除くワイパーなどに利用されています。これは年間300億円の売上が見込まれています。アウトドア用ジャケットは、民間企業2社と約2年間かけて共同開発したものです。従来製品では防水性を高めると通気性が弱まり、服の内側がどうしても蒸れやすい状態にありましたが、ナノファイバーを用いることでふたつの性質を両立させました。さらに軽量で保温性が高いうえに洗濯の強度も高く価格が安いことから、今後はアウトドア用テントや警察官のレインコートなど幅広い活用が期待されています。このほかにも、亀山製絲(三重県亀山市)やナノア(東京都千代田区)、小津産業(東京都中央区)の3社が開発に参加したナノファイバーを使った防塵マスクは2014年3月に市販されはじめたばかり。非常に軽くて呼吸がしやすく低コストなので、微小粒子状物質「PM2.5」や花粉症対策としても活躍するでしょう。

医療分野で多岐にわたって活躍するナノファイバー

医療分野で多岐にわたって活躍するナノファイバー
ナノファイバーを使った細胞接着型人工血管

幅広い用途があるナノファイバーですが、現在はその53%がメディカル分野で応用されています。たとえば、現在活発化している再生医療研究に欠かせない足場材料での利用です。皮膚、毛管、軟骨、骨などの各種臓器再生のための足場材料には人体に対して安全であり、生体吸収性や細胞接着性、多孔質性、力学強度が高く、酸素透過性があり、安定的な形状が保たれることが求められます。それを実現するのがナノファイバーです。ナノファイバーを足場材料に使ったマウスの実験でも、再生が非常に早いという結果が得られています。現在はこれを応用し、人工皮膚にも活用されています。
また、一般的な不織布は自重の20倍を吸水すれば高品質だとされていますが、ナノファイバーは40倍もの吸水率を誇るためるほか保持力も優れ、薬剤を吸収させて火傷や傷に貼ることで新しい創傷被覆材として利用されています。ナノファイバーはゆで卵の薄い膜(卵殻膜)のような半透膜で皮膚と同じ構造であるため、治りが早いのです。最近は鼓膜もナノファイバーで作ろうとします。
さらに今後力を入れようと考えているのが、飲み薬での応用です。一般的な飲み薬の場合、食道から胃を経て腸へ行き、吸収されて肝臓に運ばれます。肝臓は薬を代謝する機能を持っており、多くの薬はこの代謝で形が変わり作用を失います。そこで、薬をナノファイバーで囲んだり、カプセル自体をナノファイバーで作ることで、薬が体内で少しずつ溶け出るようになります。たとえば高価な癌の薬の場合、癌細胞に届いて2〜3日作用し続けることができ、私たちはそれを実用化させる特許も持っています。このようにナノファイバーは医療分野に非常に適しているのです。

製造過程を利用したナノファイバーの活用

もちろん、医療分野以外の応用も進んでいます。たとえば一般的に使用されているフィルターの上にナノファイバーを乗せると、フィルターとしての効果が上がり、半永久的にフィルターが活用できます。また、放射能問題もナノファイバーが回避できます。セシウムと親和性が高いものをポリマー溶液に加えて装置で飛ばすことで、セシウムが入った繊維を作製し、セシウムを繊維の中にとじ込めるのです。要はセシウムをどうキャッチするか、なのです。
この要領で、女性の月経痛の予防もできると考えています。鎮痛剤を入れた繊維を作製し、その生地でショーツを作ることで痛みを抑えるのです。また、水虫の薬を入れた靴下は水虫対策に有効でしょうし、用途は無限大に広がっていると感じています。 さらに、電池の応用も考えられています。たとえば、携帯電話を充電しなければならないのは、容量が足りないからです。その容量を増やすためには陽極の極片の凹凸を増やす必要がありますが、それをナノファイバーに置き換えることで微細な凹凸がたくさんでき、貯蓄量を増やすことができます。さらに電極間のセパレータをナノファイバーにすることで電解液の保持力やイオンの移動性を向上させ、電池の高出力化や充電の高速化も実現できるのです。
このように、私たちは装置の開発から用途の応用まで、すべてナノファイバー化することで効率化・高機能化を達成する研究を続けています。

2011年、ナノファイバー分野の研究業績において全世界1位に

2013年に沖縄で開催された「工学応用科学に関する国際会議2013」で発表した学生
2013年に沖縄で開催された「工学応用科学に関する国際会議2013」で発表した学生

そんな私たちの研究室は、2011年、全世界の教育・研究機関、企業等において、化学をはじめ医学、工学、物理、情報などの分野で活躍する研究者による活動情報をリアルタイムで検索できる学術情報データベース「SciFinder(サイファインダー)」で、ナノファイバー分野の研究業績において1位となりました。研究の内容が評価されたのです。
私たちの研究室には2年前には13人の博士学生が所属し、現在は6人が在籍。博士学生が多い分、多様な研究ができるのがこの研究室の強みとなっています。また、彼らは1人1企業と共同研究を進めているのがこの研究室の特徴です。学校にいるだけでは、はっきりと世の中で何が求められているのかわかりません。しかし、当研究室の院生たちは在学中から1週間に2〜3回企業と打ち合わせをして、そのための準備も自身で行うことで、社会に出たら即戦力として活躍できる力を身につけています。こうした院生が社会に出ると企業の人は「ほかの学生と違うね」と非常に喜びます。
また、私は大学だけではなく、外の世界を見せてあげる必要があると感じています。そのため、学会発表は国内外で毎年少なくとも1回ずつは必ず参加するように働きかけています。

学生たちの柔軟な発想を研究に生かす取り組み

学生たちの柔軟な発想を研究に生かす取り組み
科学雑誌の表紙を飾った、博士学生が発見した新たなナノファイバー製造方法

当研究室では修士課程卒業時にすべての院生がジャーナル論文を書かないといけないと定めています。これは決して無理なことをいっているわけではありません。学生時代から教えれば、自然に社会でもできるようになるのです。また、早い段階から社会経験を積ませて研究室を社会だと思えば、力が身についていくのです。
そもそも私の専門は繊維ではなく、かつては電子顕微鏡を使い金属の観察をしていました。電子顕微鏡は今はある程度普及しているものの、当時は非常に珍しいもので、私は日本に10台ほどしかない100万Vの電子顕微鏡を扱っていたのです。そんなある日、繊維の研究をやっている友人から「電子顕微鏡で見てくれないか」と持ち込まれたのがナノファイバーでした。虫のようなもので気になって調べると、かなり用途が多いのに全然実用化されていないのです。ナノファイバー自体が作れないからだとわかりました。「将来性があるし、おもしろい。だったらやってみよう」と思ったのがナノファイバー研究を始めたきっかけです。
研究は、時にプロが考えても解決できないが、素人が考えると簡単に答えが出ることがあります。ナノファイバーの量産装置はまさにそれでした。私は素人だったからこそ、新たな観点から装置が開発できたと感じています。しかし、今はナノファイバーのプロとして、すっかり脳が固まってしまいました。そこで、院生たちにはいつもメインテーマと遊びテーマ、ふたつの実験テーマを渡し、それで「遊びながら研究をしなさい。プロがやらないことをやってみなさい」と伝えています。
エレクトロスピリングは何でも溶解できるため、彼らは大量のイチョウの葉っぱやバナナの皮を溶かしてナノファイバーを作り、服飾を作ったりしています。そうしてできたのが、納豆を引っ張った繊維から思いついた新たなナノファイバーの製造方法です。その装置が世界的に注目され、多くの賞を受賞し、雑誌の表紙や特集で取り上げられました。これは大変名誉なことであり、こんなことができるのはうちの大学以外ないと自負しています。

アジアを結ぶ「学生のための学会」を開催

アジアを結ぶ「学生のための学会」を開催
ソウルで行われた学生のための学会のようす

私は信州大学にきて、教員になった時に心に決めたことが2つあります。そのひとつが「先生のための学会は多いのに、本来大事である若手学生が集まる場がない。だから『学生のための学会』を作る」ことです。ファイバーの世界は狭いので、日本でマスターまで修了したら、だいたい世界には在学時から知り合いになった研究者がいるのです。だから、院生時代から彼らが連絡を取り合える場を設けたいと思ったのです。また、私はいつも院生たちに「海外と競争しなければだめだ」と伝えています。そのためにも、まずは日韓中がひとつになることが大事。社会に出ても中国や韓国への出張が多いのだから、まずは隣近所から仲良くなる必要があるのです。そこで私は7年前から日韓中各国の大学生を集め、学生のための学会を4日間開催しています。進行はすべて院生が行い、その場で1回は彼らに英語で発表させるようにしています。私は英語教育は、筆記で高い点数を取るのではなく、外国人と話ができてワイワイ楽しめ、自分の研究発表もできればよいと考えています。もちろん誰もが最初は苦労しますが、彼らは2年になると余裕で発表しています。というのも、当研究室は外国人が多いので、会話はすべて英語。下手でも何度もくり返ししゃべることで警戒心がなくなります。そして、さらにこういう学会をやると、英語に対する距離感がなくなります。これが教育だと考えています。私も最初は日本語を全く知りませんでした。でも通じればいいのです。このアジアトライアングルのネットワークを、いずれはヨーロッパまで広げたいと考えています。

繊維研究で世界に立ち向かう

また、私は、大学は教育機関ではありますが、研究機関の側面を大事にしなければいけないと考えています。学生を育成するためには、どうやって育てるのか明確なビジョンを示さないといけません。学生は成績が大事であるように、教員も成績が大切です。その成績というのは、やはり論文を中心にした研究業績。だからこそ、大学の教員は研究能力がないといけないと感じています。 私がいつも関心をもっているのは世界大学ランキングです。私が教員になって決意したもうひとつのことは、信州大学をアジア100位以内、世界の500位以内に入れることです。この判断基準のひとつは論文の本数なのです。つまり、私がナノファイバー分野で世界1位になったのは、論文数が多かったから。もちろん評価はそれだけではありませんが、論文が一番大きな要素です。 また、ネイチャーやサイエンスなどのトップレベルの雑誌に論文が掲載されると、信大のランキングが上がります。順位がすべてではありませんが、今後リーディング大学院の学生が世界でどんどんと研究発表をすると順位が上がるでしょう。しかし、大事なのは、そのための環境づくりです。ある意味、繊維学部は私のような外国人も多く、グローバル化しています。今こそ、本当に研究でひとつになり、世界に立ち向かっていくべきだと感じています。

金 翼水

信州大学 繊維学系 先鋭領域融合研究群
国際ファイバー工学研究拠点
フロンティア・バイオメディカルファイバー研究部門 教授
兼 中国蘇州大学Distinguished Professor